街角に広がるスマイルの輪
沈暁寧 王浩=文

 オリンピック開催まで残り2年となった2006年8月8日、北京市ボランティア協会は「微笑北京」キャンペーンを始めた。スマイルによって「奉献、友愛、互助、進歩」の気持ちを伝えていきたいと考えたのだ。

 このキャンペーンはたちまち市民たちの賛同を得た。現在、北京のあちらこちらでは、スマイルによる交流やサービスが広がっている。

スマイルが流行

リストバンドをつけ、オリンピックのために努力する決意を示すボランティアの代表たち

 早朝、天壇公園にやってきたイギリス人のサラさん。公園内で歌を歌ったりダンスをしたりしている市民たちの活気ある姿に目を奪われた。拳術や剣術の練習をしている人もいる。市民たちに一緒に踊ろうと声をかけられたサラさんは、笑い声と明るいメロディーの中に入っていった。

 サラさんは北京で過ごした日々について、「楽しく友好的なムードを感じました。北京ではスマイルが流行しているのですね」と振り返る。サラさんの言うとおり、北京市民たちは今、心からのスマイルで、オリンピックと外国の友人たちがやってくるのを歓迎している。

「微笑北京」キャンペーンは小学校でも行われた。スマイルマークをうれしそうに掲げ、「スマイルを運ぶ小さな使者」となる子どもたち

 「微笑北京」キャンペーンでは、黄色いスマイルマークや五輪カラーと同じ色の五種類の手首につけるリストバンドを作った。赤のリストバンドは「人助け」、黒は「誠実さ」、黄は「マナー」、緑は「環境保護」、青は「進取の精神」を象徴している。

 赤のリストバンドをつけた72歳の林さんは、「人助けを喜びとすることは、私たち中国人の伝統的な美徳です。私はもう歳ですが、北京については詳しい。オリンピックのときには、外国の友人たちの案内役になれると思いますよ」と笑顔で話す。

 「微笑北京」のサイトには、たくさんの人たちがメッセージを寄せる。ある女の子は、「すてきなスマイルによって北京に新たな風景が加わり、ほんの少しの力によって北京がさらに精彩を放つことを願います」と書き込んだ。

スマイルでサービスを

オリンピックの記念グッズを紹介する孟慧君さん(写真・沈暁寧)

 市内のデパートで働く孟慧君さんは、18年間販売員を務めてきた経験から、スマイルは客の足を止めさせ、行き届いたサービスは客の心を動かすことができると実感している。

 孟さんは、外国人客にも応対できるようにと、英語を独学した。また、商品をよりよく説明できるようにと、関連知識も学んだ。

 あるとき、米国からやってきた夫婦が、内壁に中国古代四大美女を描いた嗅ぎタバコ瓶に目を奪われていた。そこで孟さんは、内壁に絵を描く中国の「内画」芸術や四大美女の伝説について紹介した。これを聞いた夫婦は、喜んでこの工芸品を購入。特に女性客は孟さんを抱きしめ、「あなたの説明を聞いて、この芸術品をより魅力的に感じました」と感激した。

 孟さんが働くデパートは、オリンピックを迎えるにあたって、「親しみやすいサービス」のトレーニングを進めている最中だ。孟さんも、自身が培ったサービスの心得を若い販売員たちに伝授している。

 このデパートのように、オリンピックを間近にひかえた北京では、各種サービス業に携わる44万人近くが、「スマイルサービス運動」に参加。タクシーの運転手は乗客にとって最適なルートを提示し、レストランのスタッフは心をこめて料理を紹介している……。

スマイルをお届け

駱先秋さん(中央)に太極柔球を教わることで、身体障害者たちは健康になり、楽しみや自信を得た(写真・沈暁寧)

 観光や飲食、交通、ショッピングなどの分野で「微笑北京」キャンペーンが盛んになっている一方、ボランティアたちも、たくさんの人たちにスマイルを届けようとがんばっている。

 ある日の午前、駱先秋さん(65歳)率いる身体障害者のチームが太極柔力球を楽しんでいた。彼らは車椅子の上で思いっきりラケットを振り、楽しそうに談笑している。体が不自由なことに悩んでいる様子はない。

 しかし2年前には、ラケットをしっかり持つことさえできない人もいた。「当時は、彼らに太極柔力球を教えるというより、彼らの球拾いをするという感じでした」と駱さんは振り返る。それでも駱さんは、額に汗をかきながら、あっちへこっちへと走り回り、始終笑顔で太極柔力球を教えた。みんなの腕が上がるにつれ、練習中、笑い声が絶えなくなった。体調も目に見えてよくなった。

2006年10月29日、長城で開催されたスマイル運動には、1万人を超える北京市民が参加した

 2006年に参加した国際交流大会では、日本太極柔力球協会の牧田安夫副会長が、駱さん率いる身体障害者のチームに対して、「あなた方が一番すばらしかった!」と感嘆の声をあげた。

 駱さんは、両足を失ったメンバーから、手紙をもらったことがある。そこには、「障害のせいで、5年間ほとんど家に閉じこもっていましたが、駱さんと太極柔力球のおかげで、人生の光を再び見ることができました」と書かれていた。

 駱さんはこれについて、「体の不自由な人たちにも私たちと同じように、健康で楽しい生活を送ってもらいたいと考えているだけです」とうれしそうに話す。

親身になってお年寄りの話を聞く張大諾さん(写真・王鏑鳴)

 張大諾さんも駱さんと同じように、スマイルを届ける人の一人。スマイルのお届け先は老人ホームのお年寄りたちだ。

 張さんは老人ホームにやって来ては、お年寄りたちと一緒におしゃべりをしたり、日向ぼっこをしたりする。髪をとかしてあげたり、面白い話をして楽しませたりすることもある。

 お年寄りたちはすっかり張さんに打ち解け、今では張さんを見かけると手招きし、自分の心の内を打ち明けるようになった。そんなとき張さんは、お年寄りたちの話にじっくりと耳を傾け、温かい言葉で慰める。お年寄りたちの顔に笑顔が浮かぶと、心が温まるのだという。

 オリンピックは、マナーを守り、調和の取れた社会を建設するきっかけを北京に与えた。北京市民は、自らの行動によって、たくさんの人たちに温もりや楽しみを届けている。北京オリンピック組織委員会の劉淇主席が、「私たちはスマイルをもって、客人を歓迎する中国人民の気持ちを示し、人と人との間の友情や信頼を深めていきます。スマイルは、北京の最高の名刺です」と言ったように。  (写真提供・北京市ボランティア協会)


 
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