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日本輸出用に無公害野菜を育てている王楽義さん(左から2人目) |
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山東省の寿光市は昔から農業が盛んな土地である。有名な農学の大著『斉民要術』は、北魏末期(6世紀)に、寿光が生んだ傑出した農業科学者である賈思キョウの手になるものだ。今またこの地から、全国的に名を馳せる一人の野菜の専門家が輩出された。王楽義さんである。彼によって寿光は、「野菜の里」として、全国的に有名となった。
王さんは、寿光市の孫家集鎮三元朱村の党支部書記である。1989年、彼は三元朱村で、冬に暖房を使わずにビニールハウスで野菜を育てる方法の開発試験に成功した。
翌年、この栽培方法を広め、それまで千元に達していなかった全村の各戸の平均収入を、一挙に1万元以上に引き上げた。ここから、村民たちを率いて、豊かになる道を歩み始めたのである。
「一村が豊かになっても富裕とは言えない。全国の農民の兄弟たちがみな豊かになってこそ、はじめて豊かになったと言えるのです」。王さんはこの10年余り、中国北方の11の省、直轄市、自治区を駆け回り、無償でハウス野菜の栽培技術を伝えた。彼が始めたこの事業によって、厳しい北方の冬でも、さまざまな新鮮な野菜が食べられるようになり、「冬は白菜と大根、ジャガイモだけ」という歴史にピリオドを打った。これは「買い物カゴの革命」と呼ばれている。
ハウス野菜の普及と同時に王さんは、三元朱村の農民たちを指導して、無公害野菜の生産の実験を行った。村に、栽培から加工、販売まで手がける野菜会社をつくり、中国農業科学院など17の科学研究部門と共同で野菜生産の技術研究を行った。
三元朱村には現在、無公害野菜の栽培基地が5000ムー(1ムーは6.667アール)あり、土を使わず有機栽培するエコロジー型の基地が2000ムーある。「会社―基地―農民」という無公害の農業の鎖の輪が形成されたのである。
2005年には、米国、ドイツ、オランダなどの国と協力し、寿光国際農業科学技術養成センターを立ち上げ、技術を持った多くの農民を育てた。
王さんが始めたこの事業は、多くの人々の絶賛を得た。彼は中国の普通の農民の代表として、間もなく北京で開かれる中国共産党第17回全国代表大会に参加することになっている。 文・写真 劉世昭
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