改革・開放以来、中国の農民は都市に出稼ぎに行き、さらに商売をしたり、会社を経営したりするようになった。こうした中で、多くの農民は視野を広げ、考え方を変えた。経営管理の本質を学んだ人もいる。
そうした「できる人」が、「新農村」の建設の中で、故郷の村に帰り、村委員会の幹部になってほしいと頼まれるケースも多くなっている。彼らが村に回帰することによって、村には変化と進歩がもたらされる。ここに一つの典型的なケースがある。
県城と村を往復する
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前倉村の子どもは、村の幼稚園に通うことができる |
53歳の馬兆才さんは、臨邑県前倉村の出身。言葉数は少ないが、純朴、善良で、いつも一生懸命に仕事をする。軍を退役して故郷に帰った後、彼は商売や建築関係の仕事をし、石油化学会社の社長になった。県城に住み、豊かな生活を送っていた。
豊かになったものの馬さんは、同郷の人々を忘れなかった。この数年、村に学校を建てたり、道路をつくったりする必要があると聞くと、彼はすぐに気前よく寄付をしてきた。新年や節句のたびに、彼は故郷の村に帰るが、いつもプレゼントや祝儀を持って、老人や生活の苦しい家庭を見舞う。しかし故郷に帰るたびに、彼は、村が汚く、乱雑で、人々が暮らしに困っている実情を目撃した。
どうやったら村を豊かにすることができるのか。同郷の人たちとの雑談の中で彼はいつも、豊になる方法を同郷人に教えた。「一村一品」とは何か、「工業がなければ豊かにならない」のはなぜか、「だから郷鎮企業を起こさなければならない」……村人たちは聞けば聞くほど、納得がいった。「思い切って村へ帰り、村の指導者となって、我々を率いて仕事をしてほしい」と村の幹部は誘った。
村人たちの心のこもった言葉と期待の眼差しに、馬さんは感動した。「私は農民の息子であり、共産党員でもあります。どうして自分だけが豊かになり、同郷人たちが貧しいのを我慢して見ていることができるでしょうか」。彼は村に帰り、同郷の人たちのためにしっかりと仕事をしたいと思った。
しかし、妻にそのことを言うと、彼女は断固として反対した。「県城での快適な生活をしないでまた村へ帰り、巻き添えを食いたいのですか。それに村へ帰ったら、石油化学会社はだれに任せるのです?」
その通り。彼が心血を注いで創業した会社は、だれか管理するのか。再三考えた結果、彼は会社も続けるし、村に帰って官職にも就くことにした。幸い、前倉村は県城に近いし、自分は体が強い。それに車も持っているので、行ったり来たりするのは問題がない。そこで彼は、何度も妻を説得し、妻もついに同意したのだった。
水道の水が飲める
去年4月14日、前倉村の共産党員は会議を開き、全員一致で馬兆才さんを支部書記に選出した。同時に、村人代表も彼を村委員会主任(村長)に推挙した。翌日には上級機関がこの人事を承認した。
彼は就任式で、村人のために10の具体的な施策を行いたいと提案した。それは環境の整備、水道の敷設、村落の緑化、道路の舗装、文化ホールの建設、建築会社の創設……であった。
以前、この村の環境衛生状況は悪かった。村人はむやみにゴミを捨てたり、汚水をまいたりしていた。そのうえ、舗装のない道路は「晴れた日には全身、土ぼこりが立ち、雨の日には全身、泥まみれになる」という状態だった。
馬さんは、やると言ったら必ず実行する男である。翌日には、村の幹部や党員、村人たちといっしょに街へ出て、ゴミや積み上げた下肥を取り除いたり、柴や草をきちんと整理した。わずか2日で、村はたちまち変貌した。村人はたいへん気持ちがよくなっただけではなく、他の村の人々も前倉村の新しい姿を見て驚いた。
前倉村では先祖代々、井戸の水を飲んでいた。その水は苦くて塩辛い、家畜でさえ好きではない。村人は近くの後倉村や張聖村へ行き、バケツで水を汲んで運ばなければならない。
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昔、黄河が流れていた川筋は、今、農民たちがアヒルを飼う絶好の場所になっている |
就任したばかりの馬さんは、10万元を調達して、県城の給水会社に、村に水道を引いてもらった。費用を節約するため、水道管を敷設するとき、馬さんは村の幹部や党員といっしょに先頭に立って無償で働いた。
村人たちはそれを見て、次々と作業に加わった。一週間後、村人たちはついに水道水が飲めるようになった。彼らは銅鑼と太鼓をたたき、爆竹を鳴らして、まるで正月を迎えるように喜んだ。
さまざまな事業を興す
村の書記を兼任してから馬さんは、村人といっしょに、豊かになるためのさまざまな道を探し求めた。
開発は、その土地に適したやり方で、生態系のバランスを保たなければならないということを、馬さんはよく知っている。彼は村の前にある窪地を利用して、小さなダムをつくった。雨の日には雨水を貯め、旱魃がくればこの水を土地にやる。同時にダムには、魚やアヒルを飼うこともできる。今年はアヒルの卵の相場が良いので、馬さんはアヒルを飼う小屋を二棟建てたいと思っている。近くにある多くのアヒル小屋は、少なくとも一つの小屋から10万元の純益が得られるからだ。
馬さんは、人は才能を発揮してそれぞれの特技を生かし、それぞれが大きな志を伸ばすようにしたい考えている。手先が器用で、電気溶接とガス溶接の技術を持っている李徳強さんは、馬さんから連絡をしてもらって油田へ行き、機械溶接の仕事をたくさん請け負った。その後、李さんは馬さんから薦められ、コンバインを買った。小麦の収穫シーズン一回だけで、かなりのお金が儲かった。
鍾小東さんは2人の子どもが学校に通っているため、家を離れることができない。そこで、馬さんは豚の飼育で富豪になるよう彼を励ました。彼は今、穀物を植えたり、豚を飼ったりしている。豚の糞便をメタンガス池に入れると、お金が稼げるうえに、衛生にも影響がでない。
鍾小東さんの従兄の鍾振富さんの家族は3人で、妻が野良仕事をしている。前倉村には、三つの建築隊があるが、鐘さんはその一つの隊長として、いつも村人を率いて、県城や油田に行き、住宅や工場を建てたり、道路を直したり、橋を架けたりしている。去年、彼の収入は十数万元にのぼった。
しかし、村の建築隊のレベルが高くないし、能力もあまりないため、改革しなければならない、と馬さんは考えている。三つの建築隊を一つの会社に統合し、高級な技術をもつ人を招聘し、管理レベルを高めよう、などと提案した。このような改革を通じて、前倉村の建築会社は建築市場の激しい競争に対応でき、利益がもっとあがる建築プロジェクトを請け負うことができる。建築会社が前倉村の「金のなる木」になるよう、彼は望んでいる。
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