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日中交流研究所所長 段躍中 |
2005年から、二つの作文コンクールを毎年主催している。「日本人の中国語作文コンクール」と「中国人の日本語作文コンクール」である。その特徴は、中日両国の人々が互いの言語で書くという点だ。書き上げるのに時間がかかる作文を書くことによって、思考が深まり、相互理解や民間交流をより促進することができると考えてのことである。 日本と中国の国民性の違い この作文コンクールを主催する中で、日本と中国の応募者の性格の違いが見えてきた。まず、応募数である。「中国人の日本語作文コンクール」の応募数は、第一回は1890人、第二回は1616人。実に成功したコンクールだと思われるかもしれない。しかし、同時期に行った「日本人の中国語作文コンクール」は、第一回が243人、第二回が228人であった。しかも、両回とも締め切りを二カ月延長してのことである。 今、電卓を弾いてみたら、日本人の応募者は、中国人の応募者の7分の1から8分の1。広報が足りなかったのだろうと言うことなかれ。もちろん、小さな小さな研究所であるため、広報不足は否めないが、中日両国で同じだけ力を入れた。 この中日の応募者の差を念頭において、次の話を聞いてほしい。 中国の応募者からは、募集開始から続々と応募があった。締め切り2カ月前には、すでに約1300人もの応募があった。 しかし、文章を見るとまさに玉石混淆である。チャレンジ精神のもと、うまかろうが、うまくなかろうが、応募してみるといった感じであった。日本語により親しんでもらうため、手書きを応募条件にしたので、難読の作文も多くあった。 それにくらべて、日本の応募者は、受け取った作品を見ると、非常に真面目である。しかも、締め切りギリギリでないと応募しない。皆さんは、学生時代などに覚えがあるだろうか?(うちの唯一の研究員は、修士課程を修了したばかりだが、尋ねてみると頭をかきながら笑っていた) これは、日本人が自分の満足したものでないと応募しない、という傾向があるからではないだろうか。自分が思う一定の水準に達しないと、応募を考慮もしない。そのため、中国人である私は心配で、締め切りを延ばした。ところが締め切りが迫るほど、応募数は日増しに増え、ついには遅くなったと事務所に直接持ってきてくれた大学生まで現れたのだった。 封筒を開けると、几帳面にほとんど全ての人がタイトル・氏名・連絡先を明記している。なんと受付業務がやりやすかったことか。
中国の応募者の中には、タイトルどころか、氏名や連絡先の記入漏れも多く、果てはタイトルも氏名も連絡先もすっ飛ばす強者まで現れた。せめて、どれかひとつでも書いていてくれれば応募者を探しやすいのだが、このときはほとほと困った。せっかく応募してくれた気持ちを無駄にしたくなく、ある大学からまとめて送られてきた作文のひとつだということを手がかりに、大学の先生と一緒に探してやっとみつかったという思い出もある。 几帳面で真面目な日本人のエピソードをもうひとつ。先ほど、「日本人の中国語作文コンクール」の締め切りを二カ月延長したと述べたが、その二カ月の間に、一回目の締め切り時に応募してくれたほとんどの方が書き直したのである。 まずは丁重なお電話、もしくはメールを頂戴する。そして、「締め切りが延びたのであれば、提出したものを書き直したいのですが」と尋ねる。 「もう一度書き直してくださるなんて、なんとうれしい」と思っていると、続々と同じ内容の電話やメールをいただく。ついに、その総数は8割を超えた。そして、もちろん、再度応募くださったときも、ほぼ全ての人がタイトル・氏名・連絡先を明記してくれていたのである。 作文のテーマにも、違いがあった。日本人のテーマは、旅行や留学など身近な体験から日中友好を考えるものが多かった。一方、中国人のテーマは、中日交流のために政府の役人にも勝る、大きなテーマを戦略的に考えるものが目立った。よく言えば高い視点から、悪くいえば大言壮語的ともいえよう。 知ることが相互理解につながる 中日両国民の性格の差異が、作文コンクールひとつを取ってみても、浮き彫りになる。相互理解の難しさだろう。日本側から見ると、中国人の作文は、謙虚さと丁寧さを美学とする日本語で、なぜ大言壮語的に強調するのか理解しにくい。中国側から見ると、日本人はなぜ応募をためらうのか。応募してきたかと思うと締め切り間際にばかり集中する。審査するには時間がかかるのに、である。 近くて遠く、永遠の隣人であり、友人。日本と中国において、どうすればわかりあえるのか。コンクールの話題から飛び火して、どのように相互理解・民間交流を促進するか、私が行っていることを少し書いてみたい。読者諸氏に意見を頂戴したいと思う。 日中交流研究所の所長以外に、私は中日関係の出版社の編集長をしている。無料のメールマガジンやブログをはじめ、「日本人の中国における貢献」「在日中国人の活躍」「日中における実情に即した情報発信」を根底に持つ書籍を出版し続けてきた。 これは、家内工業で人件費がかからず、レイアウトや編集を一人で行うからこそ続いている。実情を知る日本人からは、奥ゆかしく遠回しに「どうやって続けているのか」と尋ねられるぐらいである。出納帳の数字が自動で衣替えをするのなら、たいていの数字が黒衣を脱いで、赤い服を着て踊るに違いない。 それでも、情報発信を続けていきたい。なぜなら、知ることは相互理解・民間交流の促進につながると信じているからである。どうすれば、民間の立場からもっともよく友好に結びつけることができるのか、結論は出ない。それでも、中日の懸け橋の小さな礎として、生きていきたい。 冒頭のコンクールは、相互交流をさらに促進したいと思い、始めた。今後も継続したい。 |
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