◆あらすじ
昭和3年に14歳で中国から来日した天才少年棋士呉清源は、日本の師である瀬越憲作や兄弟子の木谷實ら良き理解者に恵まれ才能を昇華していくが、やがて日中関係は緊張し始め、後見人の西園寺公毅に中国に帰れば糾弾されるだろうし、中国国籍のまま日本に留まっても居づらくなるだろうからと帰化を勧められる。
悩んだ呉清源は長兄のいる天津に渡り、そこで紅卍会の教主と会い、「政治に不干渉」という教義に惹かれて入信、ふたたび日本に帰った後、帰化して日本の紅卍会で知り合った中原和子と結婚する。
徴兵検査では呉清源の才能を惜しんだ医師が肺病が治りきっていないとして徴兵不合格、兵役を免れるが、日本人棋士との対戦を「日中決戦」とあたかも戦争の代理戦であるかのように新聞記事に書き立てられることに苦悩し、どんどん宗教にのめりこんでいき、信徒との流浪の旅に出るが、独善を極めていく教団指導者に絶望、一時は自殺を考えるほどまで追いつめられる。
戦後は教団とは決別、囲碁の道に邁進し、日本のトップ棋士を次々と打ち破り、昭和囲碁界最強の天才棋士として一時代を築きあげたのだった。
◆解説
伝記の映画化は難しい。特に本人や近親者が健在の場合は。上海国際映画祭で監督賞と撮影賞の栄誉を受賞しながら、退屈、難解という声が高かったのは、1つには田壮壮が90歳を超えてなお健在の呉清源氏に気を遣って、あえてドラマ性を排除し、その生涯を自伝に忠実に淡々と描こうとしたところに原因があると思う。
だが、疑問の声もあった新興宗教との関係の描写も日中戦争当時、日本に生きた中国人の苦悩を思えば、信仰に解脱を求めたその心境が描かれていると思うし、劇的なエピソードをことさら避けた姿勢が映画全体の渋み、ひいては囲碁の世界、囲碁の精神に通じる何かを感じさせるものとなったことは間違いない。
何よりも感心したのは、戦中戦後の日本の風景と日本人の暮らしぶりや心情を昨今のどの日本映画よりもはるかに日本的に描いた田壮壮の深い日本理解と洞察力だ。美術と衣装に日本人スタッフを起用したとは言え、おそらく、大量に古い資料やそれこそ日本映画を研究しまくったであろうその労力に感嘆させられた。先々月号での中国の監督が日本で撮るとダメになるという自説を完全撤回したくなるほど、そこには日本が息づいていたと思う。戦前や戦争直後の風景は私だって想像するしかないのだが、物心ついた頃の60年代初めの東京の街の様子や人々の雰囲気は幼い頃の記憶や写真と合致する。
原爆投下直後のシーンも実にリアルかつ大胆な描写である。爆心地からは離れていたのだろうが、原爆投下の爆風の衝撃にも微塵も動揺することなく碁を打ち続ける棋士の姿は、日本人の監督には、とても撮れなかったであろう。日本人観客が見た場合、少し複雑な心境になるところかもしれないが、囲碁を至上のものとする棋士の精神を描いたと受け取りたい。
それにしても、田壮壮は『春の惑い』以来、かつての盟友でありライバルである張芸謀や陳凱歌とは逆の枯淡の境地を突き進むかのようで、若い頃、やんちゃだった男ほど中年を過ぎたばかりで早くも枯れるものなのかなあ、と興味深いものがある。
◆見どころ
主演は台湾の張震。最近、日本の男優が中国語に挑戦しての中国映画出演が増えているが、今回は台詞のほとんどが日本語という逆パターンに果敢に挑戦している。ただ、日本に来て間もない青年時代は張震自身の日本語でもいいのだろうが、長年日本にいるのに日本語がちっとも上達しないのも変なので、中年以降は吹き替えでも良かったかもしれない。それはさておき、張震が醸し出す雰囲気は、侯孝賢の『百年恋歌』で清末の青年を演じた時にも感じたことだが、いま一昔前の男を演じられる中華圏唯一の若手男優ではないかとさえ思う。黙って立っているだけでも、その佇まいは何ともいえず凛とした風情のある男優である。
脇を固める日中のベテラン俳優陣も渋い。特に、田壮壮監督の親戚でもある李雪健が演じる紅卍会教主と明治の元老を演じた米倉斉加年はそれぞれワンシーンの出演ながら、作品に厚みと重みを添えるのに貢献した見事な演技。夫人を演じた伊藤歩は文金高島田の花嫁姿が古風で良かったし、教団の離別を決意し帰宅した夫を迎えた泣き笑いの表情は日本の若手新人女優から、これだけの演技を引き出した監督の手腕を感じさせる。
今やハリウッドスターでもある渡辺謙夫人の南果歩も狂信的で不気味な教団指導者を好演、呉清源を陰に日なたに見守る師匠役の柄本明も素晴らしかった。日ごろ中国は役者ぞろいだけど、日本はどうも、と公言してはばからない私ですら、日本の役者もなかなかじゃないの、と誇らしい気持ちになった。
水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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