インドからチベットに伝わった密教は、中国や日本に伝わった中期密教ではなく、主に後期密教である。従って依拠する教典も中期密教の『大日経』や『金剛頂経』ではなく、無上瑜伽タントラと呼ばれる密教経典である。後期密教は、インドでは8世紀以降、『金剛頂経』系の密教が発展して成立したが、無上瑜伽タントラはインドの密教史上最末期に形成され、その密教経典も従来のようにスートラとは言わずにタントラと呼ばれる。インドで仏教が滅んだのは1203年のことで、後期密教は更にチベットに安住の地を見出し、ますます密教色を強めてチベットにおいて完成されたといえる。
そのチベット密教を彫像やタンカにおいて典型的に示すのが、グヒヤサマージャに始まりヘーブァジュラ、チャクラサンブァラ、カーラチャクラに至るそれぞれのタントラの主尊像である。これらの主尊像の特色は、多面多臂で、父母仏(ヤブユム)というように明妃を抱く点にある。最も遅く成立したカーラチャクラ像は、顔は四面であるが腕は24本もあり、ブィッシュブァマーターという明妃を抱いている。これらは守護尊(イダム)として僧侶や寺院の守り本尊とされ、また修行者がその前でヨーガ(瑜伽)の観想を行う際の導きとされた。またほかの護法尊や女尊の像を含めて共通するのは、忿怒の形相をして様々の恐ろしい武器を手にしていることである。こうした図像形成にはヒンドゥー教の破壊神であるシヴァのイメージの影響が色濃く感じられるが、仏教を攻撃し、悟りを防げる仏敵、外敵に対しては徹底して守護しようとした現れである。
また、密教をそれ以前の仏教から際立たせるものに、法具、荘厳具がある。密教は常に礼儀と結びつけて語られ、教理や思想を「教相」と称するのに対して、礼儀や祭式を「事相」と呼び、両者を車の両輪のように呼びならわしてきた。それが後期密教では守護、護法の側面がますます強調され、精巧かつ豪華になったのである。
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