綿山は山西省中部、介休市の南東20㌔のところにあり、介休市、霊石県、沁源県にまたがる。大西(大同‐西安)高速鉄道、同蒲(大同‐蒲州鎮の南にある風陵渡)鉄道、大運(大同‐運城)高速道、国道108号が綿山の北麓を通り、交通の便が良い。 綿山はまたの名を介山といい、その名は、2460年前、春秋時代の晋国の賢臣である介子推(かいしすい)が、母とここに隠棲したことに由来し、国家無形文化財である清明寒食節の発祥地でもある。
寒食節
寒食節は、通常、冬至から数えて105日目、清明節の1~2日前にあたる。当日は火を起こすこと(炊事)が禁じられ、冷たい食べ物だけを食べる習慣があり、それは次のような伝説に基づくものである。介子推と晋の公子である重耳(後の文公)が亡命し、列国を放浪していた時、介子推は自らの太ももの肉を割き、文公に差し出して、彼の飢えを満たした。文公がようやく国に戻った後、介子推は官職に就くのを拒み、母と共に綿山に隠棲した。文公は介子推に出仕してもらうために、火を放って山を焼いたが、それでも介子推は決して出て来ず、母親と共に山で焼け死んでしまった。文公は非常に後悔し、彼のために廟を建て彼を祭ったのみならず、彼が焼け死んだ日に火を起こして料理することを禁じ、冷たい食事だけをとり、彼をしのぶようにとの命を下した。
慈愛と孝行の文化
父母の慈愛、子女の親孝行は中国の伝統である。介子推はとても母親孝行で、彼の母も息子をよく理解していたと伝えられている。介子推が晋公の帰国を助けた後、裏切り者たちと肩を並べることを拒み、母親を連れて綿山に隠棲し、孝を尽くして、山の中で焼け死ぬまで、2人は離れ離れになることはなかった。綿山の所在地である介休市は、「介休綿山慈孝文化ウィーク」などの一連の活動により、「慈愛・孝行のまち」をアピールし、「慈愛・孝行」を伝承し、高揚させようとしている。
観光資源開発
世界に綿山の自然景観と奥深い文化を紹介するために、1995年、三佳集団は綿山の修復・開発に乗り出し、累計30億元近くを投資して、綿山の主要な古寺や仏像を修復し、山道を造り、観光地としてのインフラを整備した。2012年までの段階で、綿山を訪れる観光客は年間延べ200万人を突破し、2013年には国家の5Aクラスの観光地に指定され、山西省の著名な自然および文化観光地となった。
綿山の風景
綿山は美しい自然景観と豊富な森林資源を持ち、山並みが綿々と数百㌔にわたって連なり、とても壮観である。綿山の総面積は約295平方㌔㍍で、最高海抜は約2567㍍、年間平均気温は10度で、森林カバー率が98%にも達する。ここは住みやすい気候で、冬は暖かく夏は涼しく、国家1、2類保護動物が山中に棲み、各種の貴重な植物が点在する。