アイデアマンの宿谷栄一氏
1958年2月1日、宿谷栄一団長は、広州で行われた日本商品展覧会の開幕式であいさつした(平井博二氏提供)

互展初開動両京  一衣帯水共嚶鳴
追思宿老多新創  還教熊猫薦友情
互展の初開 両京を動かし  一衣帯水 共に嚶鳴す
宿老を追思すれば 新創多く 還、熊猫を教て 友情を薦めん

*互展初開=初の商品展覧会の相互開催
*嚶鳴=鳥が仲よく鳴く。転じて友人が励ましあうさま
*宿老=ご年配の宿谷先生(尊称)
*熊猫=パンダ

 1955年、初の「中国商品展覧会」が東京と大阪で開かれ、日本列島に一大センセーションを巻き起こした。入場者は合わせて190万人にのぼり、日本での外国にかかわる単独の展覧会では過去最高の入りを記録した。多くの小中学生が社会科の授業で足を運び、耳や目の不自由な養護学校の子どもたちも学校ぐるみで参観して、人々を感動させたものだ。

 つづく56年には初の「日本商品展覧会」が北京、上海で開かれ、両都市でやはり大きな注目を集めた。入場者は290万人。毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩来、宋慶齢、陳雲、オヒ小平など、国の指導者たちがこぞって展覧会を参観した。展覧会が開かれた北京のソ連展覧館(現・北京展覧館)には、日本の国旗がはためき、入り口には参観を待つ人々が、2キロにわたる長蛇の列をつくった。

 この「商品展覧会の相互開催」の発案者で指揮者の一人が、宿谷栄一氏(1894〜1979)である。

 宿谷氏は日本の農機具業界の重鎮で、戦後は参院議員、労働省政務次官を歴任。政財界の名士であった村田省蔵氏がとりくんだ日中民間貿易の促進に、積極的に協力した。日本国際貿易促進協会の理事長、副会長、顧問などの要職につき、日中両国の国交正常化をめざして経済交流や友好往来を進めるなど、実に多くの仕事にあたった。熱心、誠実な仕事ぶりで、ざん新なアイデアをよく生み出した。その手始めとなったのが、商品展覧会の相互開催である。

 展覧会にあたっては、彼は新しいアイデアを次々と発案した。日本各地から参加者を募って、東京と大阪の中国展参観ツアーを組んだだけでなく、北京と上海の日本展参観ツアーも組織した。50年代というと、中国では西洋や日本からの観光客がまだ珍しかった時代だ。それで宿谷氏は、観光業の幕開けを予測して、中国専門旅行社のさきがけとなる「日中平和観光株式会社」を設立したのである。

 「紅色貴族」(革新派貴族)、「民間大使」と称された西園寺公一氏が58年、家族とともに北京に移り住んでから、招かれた客は何回となく自宅で和食をごちそうになった。その常連客の一人が、日本育ちの廖承志氏(中日友好協会初代会長、後に全人代副委員長)だ。廖、西園寺両氏はすぐに意気投合し、王府井の旧東安市場内に日本料理屋「和風」を開くことにした。そこで手を打ったのが宿谷氏である。彼は中国側に協力して、日本人の板前さんを選んだり、みそからさしみ、のり、たたみ、食器までを輸入したり、仲居さんとなる服務員を養成したりした。当時の北京のお嬢さんたちは、和服の着付け、お辞儀ばかりか正座もできなかったので、客の頭越しに料理を運び、時には客にみそ汁をかけてしまうという大失敗もあった。そこからのスタートだった。

 宿谷氏は晩年、また新しいアイデアを生み出した。「パンダ愛護会」という団体を組織して、両国の親善往来を推進したのである。無錫の泥人形工芸工場で偶然、彼に会ったことを覚えている。それが最後の出会いとなったが、彼は高齢にもかかわらずかくしゃくとしており、「パンダ愛護会」の小旗を掲げ、団員を率いて熱心に参観していた。

 日本人は記念品の贈呈が好きなようだ。彼も例外ではなかったが、そこには必ず新しいアイデアが光った。ある日、中国国際貿易促進委員会にホットなニュースが飛び交った。「宿谷先生がまた記念品を贈られた」と。一人に一つずつのそれは、ナイロンの靴下でも、ボールペンでも、高級トイレットペーパーでもなく、なんと小さな豆炭だった。「なんだろう…」と皆が色めき立ったことは言うまでもない。その後、案のじょうミニ豆炭が届けられた。実は日本でミニカイロが新発売され、そこに入れる特製のミニ豆炭は、加熱後24時間の保温が可能なのだという。北京の寒い冬をおもんぱかった、温かなプレゼントだった。

 彼独特の日本的なユーモアも忘れられない。ある時、突然こう聞かれた。「私は自分が、中国の歴史上の誰かに似ていると思うが、さて誰であるか?」。急な問いかけに私たちがたじろいでいると、彼はゆっくりとその深い皴の刻まれた三角顔を指さして、「孫悟空に似ていないかね?」。私たちはこの日本商品展覧会の団長の機知に富んだ冗談に、思わず大笑いしたものだ。

 展覧会や旅行、和食、そしてパンダブームは、もはや珍しいことではなくなった。しかし、グローバル化が進み、世界的な交流が行われる今もなお、私はこの敬愛する孫悟空先生、そしてミニ豆炭の温かさを思い出さずにはいられない。  (筆者は林連徳、元中国対外貿易部地区政策局副局長、元駐日中国大使館商務参事官。)

 
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