家――出ていく日本女性、帰る中国女性
作者

  この間、同窓会に出席して、何人かの新しい友人と知り合いになった。その中の一人、流行の服を着た、いかにも職業婦人という感じの女性に「お仕事は」とたずねると、彼女は「家で専業主婦をしているのよ」となんの屈託もなく言った。

  それを聞いて私はがく然とした。彼女は米国の一流大学を卒業した工学博士で、中国の高校を卒業してから外国に出て、米国での生活は十年以上にもなる。そんな彼女がどうして「専業主婦」の生活を選んだのか。数十年も苦労して勉強したのに、それが無駄になってしまうのではないか。そうたずねると彼女はあっさりとこう答えた。

  「私、研究生活に飽き飽きしてしまったの。教授になりたいとも思わないわ。家にいてご飯をつくったり、子供といっしょに過ごしたり、ひまなときには詩を書くことだってできるわ」

  なんと豪奢な生活だろう。もともと彼女の夫はかなりの収入がある仕事をしているので、彼女は職場で懸命に働く必要はない。家にいて夫を助け、子供をみる方がずっと楽しいに違いないのだ。

  多くの中国の女性が、職場であくせく働いたり、職を探したりしているときに、別の一群の女性たちは自ら進んで自分の職場を捨てて家に帰っていく。とくに北京や上海などの沿海都市では、少なからぬ若い女性が進んで家に入って専業主婦になることを選んだ。その中には高等教育を受けたインテリ女性も少なくない。こうした「家と子を守る志願軍」が、今日の中国でだんだんに大きくなり始めた。

  しかし、中国の女性がみんな家に帰る道を歩み始めたのだろうか。私にはわからない。ただ、こうした現象は、逆に日本のことを思い起こさせるのだ。

  私が日本に留学していたころ、日本の女子学生の一人がたずねてきて、彼女の書いた中国語の原稿を直してほしいと言った。その文章は、上海の女性に関するもので、大変おもしろかった。

  文章の主人公は上海の女性社長だが、女子学生の着眼点は女性社長ではなく彼女の夫だった。この夫はある会社の運転手で、毎日朝早く出勤し、夜遅く帰る忙しい仕事だった。だが、退勤後には市場に野菜を買いに行き、スーパーで買い物をし、家に帰ってからは食事の支度をする。そして、仕事が順調で得意満面の社長さんである妻が、帰ってきて食事をするのを待つのだ。

名古屋の東山荘で茶道のお点、前をみる作者(左から2人目)

  この女子学生は、奥さんのために買い物に行き、ご飯をつくり、家事をこなす上海の男性をどうしても理解することはできなかった。だが、王女さまのようにかしずかれている女性社長に対しては、まったくうらやましい限りだと思ったという。

  しかし世の中は移り変わる。いまの日本女性は、彼女らの先輩たちが選択したやり方に追随するのをやめはじめた。最近、日本の友人と雑談していて、話が女性問題に及ぶと、彼女は意外にもこんな言い方をした。

  新しい世代の日本女性は、昔とはまったく違う。結婚後も決して自分の仕事をやめようとはせず、仕事を続けられるよう、男性に台所に立って手伝ってくれと要求するというのだ。

  しかし、伝統的な習慣は、そう簡単には変えられない。そこで多くの日本女性は仕事を続けるために結婚を遅らせたり、ずっと独身を通したりするのだ。その結果、かなりの年齢になっても未婚の女性は当たり前になった。そして日本人の出生率がどんどん低下してしまい、日本政府もやむなく優遇政策をとって、女性の結婚と出産を奨励せざるを得なくなった。

  しかしこうした政府の努力も焼け石に水で、家庭の主婦に甘んずる日本の女性はますます少なくなっているのが実情である。

  日本では、男性中心の婚姻関係の法律に、女性には不利な多くの条項があり、これも日本女性が結婚や家庭から逃れたいと思う重要な原因となっているというのである。

  晩婚や結婚しない女性に対する社会の対応も、ますます寛容になってきている。結婚した女性が引き続き仕事を続けるのも珍しくはなくなった。女性が軽々しく仕事を放棄すれば、生活水準に影響することは明らかだから、多くの日本女性は家庭をとるか仕事をとるかの選択を熟慮し始めたのだ。

  中国でも日本でも人口に膾炙している中国古典の名著『三国演義』の書き出しは、気宇壮大で、今も昔も通用するこんな言葉で始まる。

  「そもそも天下の大事は、分かれること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かれるものである」

  これを当今の中国と日本の女性がどう選択したかという面にあてはめると、ぴったりと付合する。

  いつのころからか、日本女性はおとなしく、従順で、小鳥のように甘えてかわいいという「良妻賢母」の印象が全世界に確立された。

  そして今は、「良妻賢母」の女性たちは、「家」の前で逡巡している。日本女性の選択も多様化のすう勢の中にある。「おとなしさ」や「従順」は、すでに日本女性がすべて同じようにもつ特色ではなくなり、これに代わって多様で生き生きとした生き方が現れてきた。

  日本女性の教育水準は、先進国の中でも指折りだが、伝統的な日本の会社の中では、高等教育を受けた女性職員はほとんど重用されない。長期間、彼女らは男性の同僚を補助する仕事に従事し、昇進したり責任の重い仕事を任されたりすることは、女性にはほとんど無縁である。懸命に努力奮闘して一定の地位に就いても、会社の中で陽の当たる役職からは女性は締め出される。

  さらに日本の伝統的な観念では、結婚後は辞職して家庭に入り、夫を助け子供をみるよう求められる。だから多くの女性たちにとって、仕事を続けることは容易ではない。家庭と仕事を本当に両立させている女性はめったにいない。こうした状況下で、寂しい生活に甘んじない多くの女性たちは、別の新しい道を開拓し、自分の価値を実現する進路を探すのだ。

情報化時代に入り、ますます多くの中国の女性が新しい知識を学んでいる。女性のためのコンピューターの訓練講座で学ぶ女性たち

  ハーバード大学で知り合った「洋子さん」は、もとは日本の労働省の高級官僚だったが、自分の才能を頼みに公費での米国留学を申請したのだった。私は「どうしていい仕事があるのに、外国に出て苦労するの」とたずねると、自信にみち、気取らない性格の彼女はこう答えた。

  「日本では、米国で教育を受けた人材が好まれるの。とくに女性の場合は、もし米国で修士をとれば、将来、帰国したあと、わりと簡単に重用されたり、昇進したりできるのです。もしそれもダメなら、国際機関や欧米企業に転進するのも簡単。なぜなら欧米系の組織は、女性に対して比較的平等に対応してくれるから」

  「洋子さん」は帰国後、労働省に復帰したが、はたせるかな大変早く昇進し、今は日本の有名な国会議員の高級顧問となり、将来彼女が政治の世界で活躍するしっかりとした基礎を固めたのだった。

  ただ、惜しいことには、才色兼備で賢い「洋子さん」でも、30を過ぎてまだ独身でいることだ。個人的な問題についても開放的な性格の「洋子さん」は、冗談めかして「これはみんなママのせいなの」と笑って言った。

  彼女のママは、すぐれた医者だった。あの年代の女性が医者として有名になるのは容易なことではなかった。それを手に入れるのに彼女のママは「結婚をしない」という代償を支払った。

  彼女は、「自分がご飯をつくれないのは母親からの遺伝だ」と信じている。洋子さんの母子は、それぞれの時代の花形だが、二人ともその代償として「結婚生活」を支払ったのである。

  実は、結婚と仕事は必ずしも完全に対立するものではない。目下、多くの日本企業は、コストを下げ、養成費用を削減し、短期間に収益を上げるために、フリーターの採用を増やし始めた。仕事の内容によってフレックスに従事できる仕事が出現し、これによって時間に縛られず、一芸に秀でた既婚の女性に、多くの就業のチャンスが提供されたのである。この種の柔軟性をもった仕事は、雇用者だけでなく被雇用者にも有益である。女性たちは自由に仕事と家庭生活をアレンジすることができるからである。

  新しい科学技術の発展によって、女性が家庭で仕事をすることができるようになった。家にいながら家事をし、自分の仕事もできることによって、自分が社会とともに歩んで行くことができ、また家庭内の融和や安らぎを維持することもできるのだ。家庭生活をきちんとでき、出勤退勤の苦労はなくなり、同僚とのトラブルに悩む必要もなく、全力で子供たちを教育することができ、同時に個人的な趣味を楽しむこともできる。

  ここで提起しておきたいのは、日本女性の社会進出がますます日本男性の支持を得ているということだ。とくに若い世代は、一世代前の人たちより男女平等の意義を理解していて、「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別による分業にさほどとらわれなくなった。かなり多くの男性が、自分より収入の多い、年上の女性と結婚したいとおもっている。

  最近のアンケートの結果によると、自分より年上の女性と結婚してもかまわないと思っている男性は81%にも達し、自分より収入の多い女性との結婚を希望する男性は82・5%もいることがわかった。

  「もし来世があれば、あなたは何に生まれ変わりたいですか」との問いに、圧倒的多数の日本男性は「小鳥になりたい」と答えたが、これに次いで多かったのは「女性」という答えだったのも不思議ではない。

  「三つ年上の女房をもらうのは金塊を抱くようなものだ」という中国人の観念は、日本でも通用するようになるとは思いもよらなかった。日本では「強い女性」が人気者になり始め、中国の女性の間では「日本女性の典型的な生活方式」が流行し始めた。

  城が包囲されれば、城内にいる人は外に出たいと思い、城外にいる人は中に入りたいと思う。人間の観念というものはこんなものではないか。米国にもこんな諺がある。「他人の芝生はいつも青い」。  (北京第二外国語学院講師 黄海存)

 
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