中国の「道」と日本の「技」

  中日両国の文化を比較すると、非常に興味深いことに気づく。中国の文化が日本に伝わると、それは遅かれ早かれ厳格な儀式を受けて、実にかしこまった雰囲気になるということだ。例えば、中国の書法が日本では「書道」に、中国の茶芸が日本では「茶道」に移り変わった。またそのほかに華道、囲碁、将棋、剣道、柔道、空手など日本には数えきれないほどの「道」があり、日本が「道」の国だということがわかる。

  中国語の「道」には、道路、方向、道理、道徳、学術、宗教・思想体系、道教などさまざまな意味がある。日本語には、ほかに独創的な「専門的な技術や学問」という意味もある。中国語の「道」に基づいて日本人がいつからその新しい意味をつくり出したのか、それは非常に研究価値の高いテーマだと思う。

  われわれ中国人は「茶道」「書道」「華道」などの言葉を耳にすると、まず粛然としてえりを正すであろう。しかしその後で「針小棒大なのではないか」という思いを抱く。お茶を飲んだり、書を学んだり、花を生けたりすることで、どうしてそんなにまじめくさるのだろう、と。

  実は、それはある種の誤解で、日本語の「道」の意味を勘違いしているのである。中国語の「道」は、中国文化が持つ特有の概念として、よく「技」と対照して使われる。「道」は形而上の世界に、「技」は形而下の世界に属する。前者は後者よりもレベルが高く、「技」から「道」へ到達することは、芸術を創造する上での唯一無二の方法だ。それで、中国人は「道」という言葉をきわめて慎重に使うのである。

  中国人の観念では、「道」は宇宙の万物の根本であり、普遍的な法則である。老子は『道徳経』の中で「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる」、また「形而下なるもの、これを器(物質)といい、形而上なるもの、これを道という」と著し、「道」は理解できるが、それは言葉では言い表せないきわめて抽象的で深い意味を持つものだ、としている。そのため、古来より人々を魅了してきた同書は巻頭言で、「道可道、非常道」(道の道う可きは、常の道に非ず。道は一般的には、はっきりと説明することができない)と明記している。

  中国人が軽々しく「道」を口にしないのは、「道」への崇拝を表しているからだ。「道」への崇拝は、「技」を超越することを表す。「技」より「道」を重んずるのは、中国美学の基本的な特徴である。中国の芸術家から見れば、「技」にばかりこだわると、形而上の域に達するための「足かせ」になる。中国の書法や茶芸、生け花は、日本のそれと比べると、自由で気軽にできるし、作風も堂々としているように見える。その上、ある種の固定的な形や複雑なプロセスを、厳格に守る必要もない。

  古来より、中国の優れた文人や画家たちは、技巧を取るに足りないものだと見なし、それを誇示することを否定した。また職人を軽蔑し、才能やセンスに欠けた作品を「職人臭」があるとしてけなした。職人の創作した作品が美術史上、あまり認められないのは、おそらくこのためである。

  日本人が粛然としてえりを正す「道」のあれこれは、中国人にはどうも物々しく感じられる。日本画家の作品を中国で展覧する時、中国の画家に最も多く指摘されるのは、やはり「職人臭」である。材料や制作のプロセスを工夫するだけで、本当のセンスや表現力に欠けていると思われるのだ。また、日本画家がどこか、おどおどしながら絵を描く姿も、中国画家の笑いのタネになっている。

  技巧にばかり気をとられると、作品が小さくまとまってしまう。林立した流派の、その中の一つに閉じこめられてしまう。日本の文芸界、武術界などには流派が多いが、はっきりした区別があるわけでもないようだ。

  中国人作家・不肖生の長編小説『留東外史』の中に、中国大陸の侠客・黄文漢が、日本の武士と武芸を比べる話があった。黄文漢は自己流の技でわけなく勝って、日本の武士を大変怒らせた。というのは、日本の武士から見れば、これはルール違反で、失格とされるべきだった。また、中国武術界で有名な郭子蘭は、日本の弓道を次のように評価した。「日本では弓を射る流派が多すぎて、その違いがよくわからない。矢を引き、弓を射る方法が少しでも違うと、別の流派になってしまう」。中国人がこの点で日本人ほど細かくないのは、「道」を重視し、「技」を軽視する伝統文化を持つからかもしれない。

  「技」から「道」への到達は、芸術の理想的境地への到達を意味する。しかし正直に言えば、その境地に達することのできる人は、一体どれくらいいるのだろうか。並みの才能の持ち主たちは、「道」を重視し「技」を軽視すると、往々にして悪い結果を招くと考えている。それは夢のようなことばかり考えて、ひたむきな努力をしなくなることだ。「技」の軽視は結局、なんでも大まかにやろうとする口実となる。こうして中国の芸術作品はテーマは大きいが、時に中味がないという印象を与えることになる。遠くから見ると賞賛に値する作品でも、近づくとあちこちにボロが見える、というようなものだ。

  書画界に、適当な作品を売って暮らせる人が少なくないのも、「道」を煙幕にしているからだ。中国絵画では、細かい技巧を求めず、精神表現に重きを置いたり、筆に十分墨や絵の具を含ませて大胆に描いたりする方法が、ある種認められている。そのため誰が天才で誰が凡才か、一般人には識別できない。もしもその画家に、写実的な犬や樹木などを描かせたら、たちまちボロが出るだろう。

  日本人は、これに比べて大変まじめで「芸術は、汚してはならない神聖な技能である」と考えているようだ。それが基準とされているので、いいかげんなものは存在する価値がなくなり、凡才の大それた考え方は効果的に抑制されることになる。本物の芸術家なら、その優れた才能とセンスは技能による束縛がなく、逆に、自由な表現が次々と生まれるはずだ。例えば江戸時代の画家・尾形光琳の作品は、傑出した芸術的才能と優れた技能が融合して生み出されたものだ。

  日本の著名な画家・故池田満寿夫氏は、「日本人には芸術的な天才が乏しく、腕利きの職人が多い」と感慨深げに語ったことがある。確かにそうかもしれないが、芸術的な天才が乏しいことは、必ずしも悪いことではないと思う。もし、至る所に芸術的な天才がいるなら、社会は正常ではなくなる。天才は永遠にごく少数に限られ、だからこそ天才の価値が認められるのだ。健全に発展している社会は――日本の社会もその一つだが――少数の天才と多数の腕利き職人が結びついた社会である。

  日本人は優れた技能を持つ「職人」として名高く、その職人気質の意識は、深く人々の心や血液の中にしみ込んでいる。職人の最大の特徴は「優れた技能を会得するため絶えず努力し、名誉を命のように大切にする。専門職以外に惑わされずに、腕一本で生計を立てる」ことだ。江戸時代に「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という職人言葉があった。自分には才能も信用もあるので、夜が明けるとすぐに仕事が見つかるという意味だ。江戸時代の職人の誇りと自信を示している。

  職人気質でさらに注目すべきなのは、仕事に全身全霊を傾ける中で、自我を超越することだ。日本の有名な作家・幸田露伴は小説「一口剣」で、平凡な刀匠が三年間もの苦心と努力を経て、ようやく稀に見る宝刀を造りあげたという話を描いた。また、現代中国の散文家・豊子ガイも、作品集『縁縁堂随筆』の中で、それに似た実話を記録した。――音楽的な才能のなかったある医学部学生が、バイオリンを勉強して新境地を開こうと突然、音楽の故郷・ドイツへの留学を思い立つ。人の何倍もの努力を払い、ついに優れた技術を習得して留学の夢を果たす。そこで作者は感嘆する。「私は当初、この学生はなんと身の程知らずな哀れな人かと思った。そして永遠に音楽の世界に入れないだろう、と断言した。はからずも彼は持ち前の根気と努力で、自ら音楽の門を開いた」――。

  目標に向かい、全力で追求する精神があるからこそ、日本人は他の民族に真似できないことを実現した。日本が欧米に「追いつき、追い越せ」とばかりに自国の製品を世界各地に輸出し、「技術立国」となったのも、この職人気質と深い関係がある。

  広範な意味を持つ「道」の境地に達するまでに、「技」という高いハードルを乗り越えなければならない。これは、中国の哲学に対して創造的な改造と補充を加え、日本独特の歴史と文化、風土に基づいて、規律を守りまじめに働く日本人の精神を表している。

  「技」への崇拝は、そのプロセスを重んじ、絶えず繰り返すことに表される。そうした中で「技」は、むだのない定型を作り上げている。例えば、日本人の日常生活はまるで儀式で、いっさいがプログラム化されているかのようだ。食事をする前には「いただきます」、食べ終わると「ごちそうさま」、出かける前には「行ってきます」、帰ってくると「ただいま」と言うように。プレゼントを贈る時も同じだ。たとえささやかであってもきれいな包装紙で何重にも包み、気持ちを込めたものだと相手に納得させる。

  また、日本の国技の相撲は「裸のスポーツ」だ。だから一番自然な形のスポーツに見えるが、さまざまな規則によって「包装」されている。力強い二人の力士が取り組む時から、土俵入りして、塩をまき、四股を踏んで、仕切りに入る、など複雑なルールは数限りない。最も簡単そうに見えるこのスポーツには、なんと百以上もの技があるという。素人にとってはなんとも煩わしく思える。

  さらに流儀が細かく、厳しいのは茶道である。竹製の小さな茶さじを取ったり置いたり、向きを変えたりして、世にも珍しい宝物を客に鑑賞してもらっているかのようだ(実際、貴重な物はそうである)。しかしおかしなことには、そうした厳かな雰囲気の中に身を置き「儀式」に慣れてくると、なんとも神秘的で「道」という境地に達したような気になる。

  「道」を追求する中で、中国人は結果だけを重視しプロセスは二の次に考えるが、日本人は逆で、先にプロセスを重視する。複雑なプロセスと儀式を経て「道」の境地にたどり着くのである。日本は、奥深い中国文化を改造し、抽象的な「道」を一連の技能や儀式にまとめて日常生活に普及させ、それに基づいて自らの独自の文化を形成している。

  同様に、平和で安定した社会環境により、技術が引き継がれている。日本列島は比較的、諸外国の侵略を受けなかったので、日本の多くの人々が「大和民族」であるということも可能だろう。安定した生活環境に恵まれたため、各種の独特な技が、日本の人々によって保存・継承されたのである。

  京都へ行けばさらに明白で、百年から数百年もの歴史を持つ老舗が軒を連ねている。それは歳月を経て今なお残る、技術と銘柄の証と言えるかもしれない。よく考えれば、日本人は技術を重視せざるを得ない原因があった。国土が狭く、資源に乏しいため、技術に活路を見出さなければならなかった。それに対して中国大陸では、昔から戦火が絶えなかったので数多の「技」が残らなかった。広大な大地や悠久の歴史を持っているからこそ、中国人は「道」を重視し、「技」を軽視し、高遠な理想のみを抱いて着実でなくなった。こうして中国人が「道」を重んじ、日本人が「技」を重んじるのは、それぞれに明確な理由があるのである。互いに長所を取り入れ短所を補い合えば、素晴らしい関係が築けるのではないだろうか。  (中国社会科学院 李兆忠 )

 
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