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日本海の前で |
中間試験の最後の科目であった英語のテストが終わると、息子は急いで帰宅してきた。そして本棚から漫画本を取り出し、すぐに笑い声をたて始めた。眉間にある小さなほくろが笑いとともに上下している。なんて無邪気で楽しそうな顔なんだろう!
何の憂いや心配もない息子の笑顔は、中間と期末試験が終わった後の数日しか見ることができない。半学期、一生懸命に勉強して、ようやく短いリラックスの時間を持てるのだ。息子がのんびりと幸せそうにしている様子を見るたびに、私の心は痛む。朝早く登校し、夜遅くまで宿題をする日が多すぎるからだ。
「お母さん、子供の仕事は遊びじゃない? なぜ中国の子供の仕事は勉強なの?」日本から帰国したばかりの息子は、つたない中国語で私によくこう聞いた。
息子は6歳半の時、私たち両親に連れられて日本へ行き、京都市上賀茂小学校で5年間近く勉強した。5年生が終わる直前、父親と帰国して清華大学付属小学校の5年生に編入した。
帰国したばかりの頃は中国語がわからずに苦労した。教科書を読むときは、一字一字辞書で調べたり父親に聞いたりしなくてはならなかった。作文は誤字や文法の間違いだらけ、算数の応用問題では問題の意味を取り違える・・・・・・。しかし、各教科で成績が上がり、友達もできると、嘆きとあせりがでてきた。「授業がどんどん増え、永遠に勉強しなくちゃならない!」
ある日、宿題がとても多く、夜遅くまでかかっていたので、「もういいわよ。寝なさい」と私が声をかけると、「これは戦争なんだ。今晩の努力は、明日の授業で生き残れるかにかかっているんだ」と真剣に答えた。
日本にいたとき大好きだった漫画を描いたりピアノを弾いたりすることを一切やめ、疲れたときに漫画本を30分程度読むだけになった。漫画本を手にするとたちまち笑い出す。しかし時計を見ずにはいられず、せっかくの楽しみの時間も不安にかられてしまう。
ある時、彼の日記を読んだ。
今日もいつもと同じように、6時半に起きる。いつもと同じように、顔を洗い、歯を磨き、朝ごはんを済ませる。いつもと同じように、かばんを背負って、登校する。いつもと同じように、算数、国語、英語の授業。いつもと同じように、食堂で昼食をとる。いつもと同じように、午後の授業と自習に出る。いつもと同じように、下校し、晩ごはんを食べる。いつもと同じように、晩ごはんの後は宿題。いつもと同じように、顔を洗い、歯を磨き、寝る。
ベッドに横になったとき、天井を見てため息をついた。「生活とはこんなものか? 生活とはこうあるべきか? もっと違った生活があるんじゃないのか?」
日記を読み始めたときは、単調な文の羅列で息子の中国語の表現能力はまだまだ足りないと感じたが、読み進むにつれ息子の気持ちと意図がわかった。この単調な文は単調な生活を表現しているのだ。人間とは本来、彩り豊かなものではないか?生活とは本来、どうあるべきか? 私は息子や子どもたちの心の内を知り、言葉にできない痛みを感じた。
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夫、息子と一緒に北京の自宅で |
日本の小学校教育は緊張とリラックスの両面を取り入れている。毎週、図工・習字・音楽などの授業が数回あり、教え方も生き生きとしている。
秋には、子どもたちを公園や田畑に連れて行き、自ら秋を捜させたり、観察させたりする。子どもたちは落葉を拾い、「秋は黄色い」と思い、実った柿を見て、「秋には果物が実る」と知り、ブランコに乗って、「秋の空は高い」と感じる。教室に戻ると、自分が見つけた秋を漫画で表現しお互いに披露しあう。
社会科の授業では、生活環境を教えるために、子どもたちを外に連れ出す。学校の近くの小川や下水道、コンビニエンス・ストア、病院、交番などを確認させる。子どもたちはとても興味を抱き、放課後になると何人かで連れ立ってさらに「調査」を進める。そして自分たちが住んでいる街の地図を描く。そこには駅、図書館、幼稚園、消防署、小川、公園などがしっかりと示されている。
日本にいた頃の息子は、毎日帰宅してくると、たくさんのことを私に話してくれた。食事の支度で座って聞いてあげることができなくても、彼は私の後ろでその日の「新発見」を教えてくれた。
全ての教科に対して積極的に取り組み、体育の授業で跳び箱が怖く、その気持ちを漫画で表したこともある。また、花を植えたり、モルモットを飼ったりしてその成長を観察していた。子供は遊びの中から勉強し、勉強の中から楽しみを見つけているのだ。
日本の教育環境から中国の教育環境へ移ることは、非常に大きな変化だろう。日本の小学校を経験した息子は、両国の教育の違いを敏感に感じている。
帰国してからの3年間、息子は多くの知識を得た。英語や中国語の読み書きはほとんどゼロから始めたが、英語はテキスト以外の読み物も読むことが出来る。中国語も飛躍的に進歩した。昨年、彼は十万字もある日本語の小説(※)を中国語に翻訳した。訳された中国語の表現力は、文章を書く仕事をしてきた私を驚かせ満足させるものだった。この3年間に得た知識の量は、日本の教育環境にいた時と比較すると、さらに顕著だ。
昨年の夏、日本へ遊びに行き、小学校のクラスメートが入学した中学校で一週間の体験入学をした。ほとんどの教科でクラスメートたちより知識が多く、授業中の数学の問題はとても簡単で、英語にも自信がある、と彼は感じた。
息子の現在の変化と成長をどのように見なしたらいいのだろうか。私の心はひどく矛盾している。日本での健康的な成長がいいのか、それとも現在の成長がいいのか、どちらとも言えないのだ。
私たちが望むのは、健康的で楽しく、自然に才能を伸ばすような教育なのか、それとも学齢時に最大限の知識を詰め込む教育なのか。これは、義務教育が知識伝授を主とするのか、それとも子どもの能力を引き出し、楽しみの中で教育をするのかということである。前者は知識をより尊重し、後者は人間性と個性をより尊重する。この教育方針の違いは、子供の今後の人生に直接関わってくる、大切なことだ。
息子は「一日千里(進行が非常に速いこと)」の授業と山ほどの宿題をこなすため、好きなことをあきらめ、楽しみや喜びの中から生まれる創造する意欲を失っている。そして、その代価として多くの知識を得た。しかし、その犠牲は大き過ぎるのではないか。人生の成功や楽しみは何をもって決めるのか。私たち教育関係者は、この問題についてどのように考えているのだろう。
子どもは自分が身を置いた環境の中で認められ、尊重されたいと願うものだ。どんなに他の生活があるはずだと思っても、どんなに自由を望んでも、それを抑制し、その環境の中で存在感を確立しようと努力してしまう。彼らはまだはっきりとした個人の意思を持っておらず、人生を追求する年齢には達していないからだ。しかしその年齢に達した時には、現在失ってしまった、自由で楽しい少年時代はもう戻ってはこない。
中国の教育関係者・保護者・社会は、子どもたちに勉強をさせるだけではなく、生き生きとした人生を送らせることも大切にし、成績以外の事情――彼らが何で遊ぶか、何に悩むか、そして生活にあるべき「楽しみ」にも関心を持つべきではないだろうか。 (中国社会科学院外国文学研究所 秦嵐)
※ この翻訳は、『了不起的劣等生』(劉子亮訳)として2004年初めに湖南文芸出版社から出版された。原作名は『明日へ! 僕たちの冒険』(坂井のぶこ著)。 |