蕭石琴、謝利輝夫妻:暮らしに慣れたが、子どもの教育に悩む
【蕭さんは湖南省株洲市出身、41歳。1990年に来日】
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蕭石琴さん一家 |
多くの「新華人」にとって、日本に着いたその日から、いかにして日本の社会に溶け込み、日本人とうまく付き合ってゆくかが大きな問題である。中国と日本のカルチャーギャップや生活習慣の違いから、職場や家庭で悩みを抱える「新華人」も少なくない。
蕭石琴さんは、富士通のシリコンテクノロジー研究所に勤め、主に半導体の技術開発を担当している。中国で材料学を学んだ彼は、日本に留学し、そのまま日本に留まった。
日本の会社で仕事する中で彼がもっとも強く感じたのは、中日の文化的なギャップだった。「例えば、中国の公司は個人の創造力を重視し、職工に考えがあればすぐに提起します。しかし日本の会社では、もっと集団の協力を重視し、意見はグループの意見として提出する場合がほとんどです」と彼は言う。
日本の会社に入ったばかりのころ、蕭さんはこの面でトラブルに遭った。自分の意見を提起したのに、上司は不機嫌である。同僚たちと話してみて、やっとその理由が分かった。それ以後、仕事の中で蕭さんは、次第に会社の環境に適応するように絶えず自分の姿勢を改めた。
「日本人と中国人は、問題を取り扱うときに多くの違いがあります。中国人として、精神のもっとも核心にある部分はやはり『中国』です。だからどれだけ日本にいても、私は絶えず環境に適応する必要があるのです」と彼は言う。
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湖南省出身の蕭石琴さんの家では、毎日、辛い中華料理を食べる習慣を捨てていない |
一方、蕭さんの妻の謝利輝さんは忙しい毎日を送っている。2年前、1家は東京都あきる野市の新居に引っ越したが、謝さんはこの市の児童福祉施設に就職した。
性格が明るく、仕事に熱心な彼女は、同僚たちに受け入れられた。あるとき、施設で、謝さんが全員に餃子の包み方を教えることになった。80人以上の人がいっしょに餃子の包み方を学んだが、本当に賑やかで、謝さんは、忙しかったけれど楽しかった。
またこのほど、あきる野市は中国語学習クラスを開設しようとし、日本に来る前は小学校の国語の教師だった謝さんが、市内に住んでいるのを発見し、彼女に先生になってほしいと積極的に頼んできた。こうした活動を通じ、謝さんは、多くの日本の友人と知り合った。
日本での生活は10年を超えたが、蕭さんと謝さんの1家の生活様式は、依然として中国の習慣を保っている。毎年、春節(旧正月)になると、彼らは日本の友人たちや近所の人たちを家に招く。そして一家を挙げて楽しむのだ。
日本での彼らの生活は豊かだが、蕭さんには心配もある。その中でもっとも頭の痛い問題は、子どもの教育である。
彼らには2人の子があり、息子は高校1年、娘は小学校に上がったばかりだ。あきる野市の近くには中華学校はないので、正規の中国語教育を受けることができない。
「中国人の家庭ですから、子どもたちに中国語と中国の知識を身につけさせたい。けれども今は、私たち自身で子どもたちを教えることしかできません。しかも仕事が忙しくなれば、かまってはいられないのです。中国の同年齢の子どもたちに比べると、我が子の中国語の基礎知識や運用能力はかなり劣っています」と蕭さんは言う。
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謝利輝さんは、娘中国語を厳しく教えている |
子どもたちに中国語を学ばせるため、蕭さん1家は、家庭内では必ず中国語を話すことにしている。休暇の時には、子どもたちを連れて帰国し、彼らに祖国の環境を体験させてもいる。
蕭さん1家のように、子どもの教育問題は大多数の「新華人」にとって最大の悩みになっている。子どもたちに中国の伝統を保持させるのか、それとも個人の好みに任せるのかは、難しい選択である。日本には、中華学校は少なく、入学定員にも限りがある。「新華人」が子どもに中国語による教育を受けさせたいと思っても、かなり難しいのが現実なのだ。
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