中日両国の経済、文化の交流がますます盛んになるにつれ、ますます多くの日本人が中国に来て学び、仕事をし、旅行をする。こうした日本人を通じて中国人は、日本の文化と伝統を感じ取ることができるようになった。
もし、誰か中国人に、日本の友人と付き合う中で最初に何を感じたかを尋ねてみると、多くの人の答えはおそらく「すこし疲れた」だろう。椅子に座っているときは、両足をきちんとそろえていなければならない。食事の前には必ず「いただきます」と言わなければならない。食べ終わったら「ご馳走さま」と言う。話すときは顔に笑みを浮かべ、言葉遣いは婉曲で、ゆとりを残しておく。
もっとも難しいのは、日本の友人に「さようなら」を言うときである。別れるときはいつも、絶えずお辞儀をし、「またお会いしましょう」と言い続ける。数歩行っては再び振り返り、もう一度お辞儀をして別れを告げる。中国人はどうするか。まず、決心をし、身を翻して去り、再び振り返ることはしない。まるでこうしないと、永遠に、別れの儀式が終わらないかのようだ。
日本人の礼儀は、大和民族の謙虚な性格と「和」を追求する人付き合いの原則を集中的に体現している。付き合い出してしばらくは、こうした繁文縟礼(形式を重んじて煩雑な礼法)に、中国人はわずらわしく、堅苦しいと感じる。
しかし、それは同時に、中国人を映す鏡になっていて、中国人は自らの欠点を見ることができる。これまで「礼儀の邦」と自ら誇っていたが、今は、汗顔の至りである。
現在、国学ブームで、『論語』の読解が盛んだが、それはみな、中国人が伝統的な価値や伝統的な道徳を追求する努力の反映なのだ。こうしたプロセスの中で、中国人は常々、伝統をかなりうまく保っている日本人と自らを比較し、自らの足りないところを客観的に見ているのだ。 (高原 林崇珍=文)
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