6月27日、中国国際放送局は第二回「中日ネット対話」を催し、中日のスポーツ交流と関連のある4人のパネラーたちは、「スポーツで知ろう、中国を、日本を」をテーマとして、それぞれのエピソードを紹介し、中日両国はスポーツ交流を通じて、相互理解を深める念願を表明した。
チャイナネットの編集者の私は、スポーツファンでもある。中学校時代は陸上、高校時代から今までバスケットボール、水泳、テニス、バドミントン、ビリヤードなど、余暇や放課後のほとんどはスポーツに参加してきた。
日本のスポーツというと、最初、「キャプテン翼」、「スラムダンク」などの日本のアニメを通して知ることになったが、スポーツよりも、アニメのプロットに深い感銘を受けたのを今でも覚えている。
大学に入って日本語を専攻することとなった私は、中日関係にひときわ注目するようになった。両国関係においては、政治、経済、文化が最も重視されており、政治や経済関係は一般の人々にとって身近なものではなく、互いの文化を理解するため、ある程度の文化的教養がなければ、相手の国の歴史や古典を学ぶ必要がある。
「音楽に国境はない」とよく言われるが、音楽にはクラシック、R&B、ポップ、ロックン・ロールなど、さまざまな種類のものがある。例えば、クラッシクのファンたちは、ロックまで好きになるとは想像できない。なぜなら、音楽の鑑賞には年齢層と非常に関連があるからだ。
政見、国別、人種、これらの違いを乗り越えて、世界各地の人々をつないでいるのは、この世にはスポーツしかないのではないかと思う。
四年一回のサッカーのワールドカップの期間、世界各地のファンたちにとって、サッカーが何よりも重要なことであろう。イタリアとブラジルのプレースタイルはまったく違うが、それぞれ大勢のファンを擁している。国籍、職業、貧富、年齢を問わず、サッカーを愛し、試合からパッション、悲しみと喜びを体験することによって、そのチームのサポーターになるわけである。もちろん、サッカーファンは自国のチームもサポートしてはいるが、「好きなサッカーチームはどれですか」と聞かれると、他国のナショナルチームや他国のクラブ名を挙げるのが普通だろう。
前回のWカップ大会で、私はブラジル勢の敗北を惜しむと同時、日本のどこかでもファンたちの涙が止まらなかったのではないかと思う。スポーツそのものは、言葉は不必要で、人間にとっての共通の言語なのである。
だからと言って、スポーツそのものには国境はないのである。
新中国の歴史を振り返れば、スポーツによって外交関係を改善する例もかなりあった。20世紀70、80年代に、中日関係、中米関係の改善には卓球が不可欠の役割を果たした。経済摩擦、歴史の紛争、政治的立場によって一抹の不安を覚える中日両国の私たちは、一回の試合を経て何も忘れ去るわけにはいかないが、相手の選手への熱い気持、あるいは試合を通じて、互いの国民、カルチャー、民族性、習慣などをより深く知ることができる。同じ人間同士として、スポーツの同じルールの下で、人間の体と精神の極限を超える精神力、フェアプレーに喝采することは、円卓での言葉による激しい論争より、何層倍の効果のある交流の手段となるであろう。
スポーツは日増しにビジネス化している今日においても、私はやはり周恩来総理のある名言に同感である。それは「友情が第一、試合は第二」ということである。
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