ブランドの誇り「橋渡し」する

細野桃子さん 1975年、東京都生まれ。成蹊大学法学部政治学科卒業。富士通系列の子に入社したが、中国への思いがつのり2002年に退職。北京大学の留学をへて、03年1月より現職。阪神タイガースと香港の映画俳優レオン・ライの大ファン。

  電気機器やIT(情報技術)関連の大手メーカー、富士通株式会社(本社・東京都港区)。その中国における窓口となる現地法人・富士通(中国)有限公司(北京市、武田春仁総経理)の総経理秘書を務めている。

  富士通は海外各地に生産拠点を広げているが、中国におけるグループ会社は、上海の半導体開発・販売や、無錫のマルチメディア製品生産、西安のソフトウェア開発など、独資や合弁による計42社。日本人スタッフは合わせて約200人、中国人従業員は約1万5000人にのぼる一大グループとなっている。

  そうしたなかで富士通(中国)有限公司は、同社が直接投資している子会社(中国のグループ会社のうち16社)の経営指南や増資、日本のグループ会社の対中投資指南など、幅広い業務をになう。「世界の工場」「世界の市場」といわれる中国への関心はますます高まっており、社長である総経理も多忙をきわめる。秘書としての仕事は、そうした総経理のスケジュール管理をしたり、来訪する企業トップの接待をしたりと、いささかも気が抜けないが「出張に業務にと忙しい総経理が、少しでも動きやすいようにサポートするのが私の役目。会社に貢献するためにも、自分を磨いていきたいですね」と前向きに語る。

  1991年、高校2年の夏休み。東京都主催の「青少年洋上セミナー」で、初めて中国を訪れた。天津や北京の街には高層ビルが林立し、英語をまじえて交流した中国の高校生たちは、未来への希望に燃えて勉強していた。

  「それはもうカルチャーショックでしたね。政治や社会の体制が異なるために近寄りがたい国でしたが、高校生の考え方には共鳴できたし、励まされた。中国ってどんな国だろう? もっと深く知りたいと、それまでの欧米志向が一変してしまったのです」

  大学時代は政治学科で国際関係や中国政治を学び、夏休みには毎年のように北京へ短期留学をした。大学卒業後、富士通系列の子会社へ入社してからも、社内の対中ボランティア活動に積極的に参加した。その「中国好き」が高じてか、2002年にはキッパリと退職して北京大学へ留学、03年にはそれまでの経験が高く買われて、いまの会社に採用された。学生のころから「国際化とは何か、国際人とは何か」を考えてきたが、それをいよいよ実践するチャンスをつかんだのである。

  現在、同社に勤務するのは20人。5人の日本人以外は、すべて中国人のスタッフだ。「昼食時間はとてもにぎやかですよ。お弁当が届くと、両国のスタッフ全員で机を囲んで食事しますが、話題はなにも仕事のことばかりではありません。日本人と中国人の結婚観の違いなど、毎日いろいろなテーマの議論を楽しんでいます(笑)」。日ごろのコミュニケーションが、仕事を円滑に進めている。そんな開かれた社風を誇らしく思っているという。

  「同じ社の一員として、中国のスタッフにも多くのことを学んでほしい。スタッフが自社ブランドに愛着を持てば、その思いは必ず広まっていく。だから私は、中国人スタッフが富士通をよりよく理解するための『橋渡し役』になれたらと願っています」。まずは自社をよく知ること。それがやがては両国の経済貢献にもつながっていく――。そう言って、頼もしい「国際人」の顔をのぞかせた。 (文=小林さゆり 写真=林崇珍)
 
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