二人の遠距離恋愛は、梶原さんの2カ月の短期留学からはじまった。
高校2年の頃から中国に興味を持ち始めた梶原さんは、日本での大学時代、3回もの中国短期留学を経験した。最後の留学先、河北大学で出会ったのが、1997年に結婚した武勇さんである。
片言の中国語しか話せなかった梶原さんと、専門はコンピューターで日本に縁がなかった武勇さん。二人は強く惹かれあったが、障害の大きさを感じて、いずれ来るかもしれない別れのつらさを味わいたくなかったために、わざと会うのを避けた時期もあったという。そんな二人をつなげたのは、「僕が頑張ってみせるから、必ず戻って来て」という武さんの力強い言葉だった。
「まだインターネットは普及していませんでしたから、一週間に一通ペースで文通を続けました。私は時間が取れればとにかく北京まで行き、彼も私のために勤めていた会社を辞め、あきれる親をほおって一人で北京に出てきました」
一年半後、梶原さんもいよいよ北京での生活を開始。異国での生活に両親の心配が大きかったことは想像に難くない。それでも最終的には娘の気持ちを尊重し、結婚に賛成してくれたという。そして、結婚生活も順調にスタートした。
「言葉が通じないと、不思議とケンカにはならないんですよ。『結婚』を『離婚』、『残業する』(加班)を『引越しする』(搬家)、『満腹です』(肚子飽了)を「お腹が走った」(肚子ナワ了)などと言い間違えて、夫を驚かせてばかりいましたけど」
当初の生活は、決して楽ではなかった。最初に住んだのは粗末なアパート。モップの洗い場がキッチンにあり、トイレの狭い空間にシャワーがあるだけの風呂。カルチャーショックもあったようだ。
「でも、二人とも一緒にいられることがうれしくて、ちっとも苦に感じませんでしたね。そのうち生活も良くなるだろうって、とても楽観的でした。夫は、私が気に入ったカーテンを買ってくれたり、自転車であちこちに連れて行ってくれたりして、幸せな時間が過ぎていきました」
生活がガラリと一変したのが武さんがコンピューター会社を立ち上げた1999年以降。梶原さんも同時に日本人向け生活・旅行サービス会社を開始。仕事に対する考え方から意見衝突が増えたという。
「お客さんは日本人。しかし、協力をお願いするパートナーは中国人。日本人のお客さんに満足していただけるサービスを提供する際に、細かなサービスの必要性をどう理解してもらうか。それを夫に相談しても分かってくれないんですよね。どうして会社の利益にならない余計なことまでするのか、と」
いまでは、カスタマーサービスの重要性を理解してもらえるだけでなく、楽しそうに働く梶原さんのことをやさしく見守ってくれているという。ただ最近は、お互い仕事が忙しく、夕食を共にする時間もないのがさびしいとか。週末のゴルフ練習場と、二カ月に一度の武さんの実家(河南省保定市)への「里帰り」が、二人が一緒に過ごす貴重な時間になっている。
「今年は一大計画もあるんですよ。そろそろ子どもを作りたい」
元気な声がさらに弾んだ。 (文=カク慧琴 写真提供=梶原美歌) |