人は誰もが美を愛する心を持っている。そのことは、テレビコマーシャルを見ていてもよく分かる。私たちが最もよく見かけるのは薬と化粧品のコマーシャルだが、そこで言われているのは「命も貴いが、美はそれよりも価値が高い」(注1)ということだ。もちろん、美は人の顔立ちや体の線だけを指すものではない。それ自体、極めて豊かな文化的内容を持っており、美学という学問にもなっている。
私は「人は誰もが美を愛する心を持つ」と言ったが、どんな美を愛し、何をもって美とするかは、民族や国、地域の違いによって異なり、それぞれの特色がある。最も分かりやすい例を挙げれば、花を愛する心は同じでも、中国人はボタンを、日本人はサクラを好むということだ。また、サクラが好きな人でも、鮮やかに咲き誇る満開のサクラがいいと言う人もいるし、散り際のせつなさこそがサクラの魅力だと言う人もいる。人それぞれ好みが違うというのも、考えてみれば面白いことだ。
私は以前、日本で何年か暮らしていたことがある。日本文学を研究していたこともあり、意識的にせよそうでないにせよ、日ごろからいわゆる日本の美というものに触れ、観察する機会が多かった。その中で考えてきたことを、以下に書き綴ってみたいと思う。
清潔の美
西洋でも中国でも、美は善なるもの、あるいは強大で豊かなイメージと結びつけられることが多い。例えば、西洋美の起源とされる古代ギリシャの彫刻を見てみよう。男性の彫像のほとんどは逞しい英雄(それは正、義、善を象徴している)であり、女性の彫像ではその豊満で均整のとれた肢体が強調されている。
ご存知の方も多いと思うが、漢字の「美」というのは「大」と「羊」という字からできている。同じく美しさを表現する「麗」という字には、「鹿」が組み込まれている。「羊」と「鹿」はいずれも立派な角を持つ動物である。つまり、美とは強大なものに宿ると考えられていたのだ。中国人のそうした意識を裏付けるものには事欠かない。世界一の長さを誇る万里の長城、世界で一番大きな楽山の大仏、世界で最も広い天安門広場…。巨大なものを好むのは、今も中国人が普遍的に持っている心理だ。
この点、日本人は違っている。彼らが美について考えるとき、まず重んじるのは「清潔さ」だ。国語学者の大野晋氏によると、平安時代、「うつくし」という言葉は「無垢、清潔」であることを指していたという。のちに頻繁に使われるようになった「きれい」という言葉もまた、もともとは「清潔」という意味だったという。つまり、「美しい」というとき、日本人はまず「清潔さ」を連想するのだ。清潔さのないところに美はなく、清潔さがすなわち美というわけだ。
このような美意識は、日本人の生活の様々な面に浸透している。私が日本に行って最初に驚いたのが、その清潔さだった。街を歩いてもごみが見あたらないし、人々の服は洗いたてのよう。バスの窓はきれいに磨かれ、畳の上にはちり一つない。どんなに小さなレストランに入っても、不潔な食器が置かれていることは一度もなかった。
私も日本では畳敷きの部屋で生活していた。半月に一度は掃除をするようにしていたが、日本の主婦の多くは毎日丁寧に畳を拭くのだという。これを「きれい好き」「潔癖症」という言葉だけで説明することもできるのだろうが、私はやはりそこにも清潔を美とする日本の美意識の反映があると思う。その意識は一種、宗教的な敬虔さにも似た感じすらある。逆に「不潔」というのは、日本語の中で最も相手を傷つけてしまう言葉の一つだ。こうした点から見ても、清潔感というのは日本の美を構成する最も重要な要素だと言えるだろう。
洗練の美
清潔さというのは、洗浄されることによって生まれる。洗わずに清められるものはなく、精錬されずに純正なものは生まれない。洗練された者は意味のない装飾を嫌い、無駄を省き、繁華よりも簡素を、多きよりも少なきを、過剰よりも欠乏を選ぶ。
まずは建築の分野にその例を見てみよう。日本建築は直線が多用され、曲線が少ないところに特徴がある。日本固有の風格を最も色濃く残すといわれる伊勢神宮もそうだ。弥生時代の穀倉を原形にしているというこの建築様式は、屋根の傾斜さえ直線的で、中国の建物によく見られる反りひさしもほとんどない。現代の一般的な和風住宅にしても、印象的なのはその直線の多さだ。畳もふすまも窓枠も、すべてすっきりと明瞭なラインを描いている。枯山水に代表される日本庭園では、大きな庭の中に白砂といくつかの石だけが配置される。本来、そこにあってしかるべき花や草などまでが省略されている。
洗練の美は、華道にも息づいている。床の間の掛け軸の下に飾られた一枝の花。かつて豊臣秀吉が千利休の屋敷にアサガオの花を見に来たときの逸話がある。千利休は秀吉が来る前に、屋敷の中の花をすべて摘んでしまった。秀吉は殺伐とした庭を見て機嫌を悪くしたが、利休に案内されて茶室に入ってみると、床の間に一輪のアサガオが、見事に咲き誇っていたのだった。秀吉はこれを見て、その日初めて笑顔を見せたという。
日本伝統の詩歌もまた同じ。『万葉集』の時代には、百字以上あるいは数百字にも及ぶ歌が珍しくなかったが、のちに31字に洗練、統一されて和歌となった。そして現在は17字から成る俳句が人気を集めており、各種の団体が続々と生まれている。
こうした美的理想の追求のプロセスは、省略のプロセス、あるいは否定のプロセスと言えるかも知れない。美術史家の高階秀爾氏はこれを「切捨ての美学」「否定の美学」と呼んだが、私はあえてこれを「減法の美学」と呼んでみたいと思う。
日本の美が「減法の美学」だとすれば、中国の美は「加法の美学」と言うべきだろう。各時代の美意識を端的に表す陶磁器を見ればそれがよく分かる。宋の時代は簡素な色彩が好まれ、官窯(宮廷用の磁器を焼くための官営の窯)、汝窯、定窯、鈞窯(注2)などで焼かれた磁器はすべて単色だった。とりわけ紺色の鈞磁は貴ばれ、俗に「良田千頃は鈞磁一片にしかず」とさえ言われた。元、明の時代になると青花磁器が登場するが、清代には青花だけでは物足りないということになり、三彩、五彩、琺瑯彩などがもてはやされ、器は一寸の隙間もなく塗り尽くされるようになった。家具も明代までは簡潔なものが多かったが、清代に入って細かい彫刻や象眼細工が施されるようになった。
「加法の美学」は、現代の中国の住宅にも見ることができる。中国伝統のインテリアはとり入れにくいため、最近は欧米風の高級ホテルを模倣したような内装が目立つ。間接照明、ステンドグラス、飾り窓、大理石の床……。いにしえの人が提唱した「洗練」の境地からは、ますますかけ離れつつあるようだ。
家の内装については、欧米のスタイルよりも日本の美に学ぶべきところが多いと私は感じている。和風の要素を取り入れた私の自宅は、「俗っぽくない」と友人たちの評判も上々だ。
素朴の美
「洗練」を極めた先にあるのは素朴、質朴、そして無為の境地だ。日本の芸術はもともと、装飾に重きを置かず、本質や調和というものを追求し、色づかいにも対象が本来的に持つ美しさの表現が求められてきた。
食べ物でも食材そのもののうまみが大切にされ、調味料の使い過ぎは嫌われる。松茸、ほうれん草などは包丁を入れずに供されることが多いし、宴会でよく目にする刺し身の「舟盛り」も、一見すると、とれたての魚がそのまま運ばれてきたかのようだ。川魚を塩焼きするときも、まるで水の中を泳いでいるような姿で串に刺して焼くことで、食べる人の気持ちをほぐそうとする。
伝統的な木造建築では、中国の明、清代の建築のような装飾はほとんど見られない。材木に色を塗ったり装飾を施すことはまれで、木そのものの色や木目が貴ばれる。雨風に当たってそこらじゅうに裂け目や傷ができたとしても、そのままにしておくほどだ。
女性の容姿についての好みというのはデリケートな問題ではあるが、中国人がよく言う「顔立ちが整っている、美形である」ということは日本ではあまり重視されないようだ。むしろ八重歯のような個性的な顔立ちがいいという人も少なくないようで、中にはそばかすの女性こそ美しいという人さえいる。
茶道で用いられる茶碗にしても、ほとんどが無骨な形で、縁が欠けたものもあり、まるで出来損ないのようにすら見える。ところが日本では、このような茶碗にこそ何十万、何百万という高値がつく。
このように日本では素朴な美、自然の美、原始的な美、不均衡の美、そして欠如の美、退廃の美が崇拝される。欠如の美とは、完全な境地の中にある欠如、完璧な美の中にある欠如、意匠に裏付けられた朴とつさ、本質的な素朴さの追求であり、これは美の極致ともいえるものだ。「真に巧みなるものは拙なるに似て、朴なるものこそ真に近づく」というのは、まさにこうした境地を指しているのだろう。この点は、西洋および中国の、とりわけ民間の美意識とは明らかに異なっている。
素をもって美とする日本の風潮を、中国人はなかなか理解することができない。私の親しい友人が日本に行き、一カ月ほどいろんな所を見て帰ってきたが、彼は「見るべきものなんてなにもないよ。どこに行っても似たような神社があるだけで、外も中も真っ暗。目を凝らしてみても何にもありゃしない」と、がっかりした様子だった。普通の中国人は鮮やかな色彩に慣れ、賑やかでおめでたい雰囲気を好むので、彼がこうした感想を持つのも無理のないことなのだ。
繊細の美
審美的な指向において、日本人は小さなものを貴ぶ傾向がある。小さきもの、繊細なものの中に美しさを認め、おくゆかしく柔和な美、あるいは上品な美というものを重んじている。これもまた日本文化の持つ、明確で普遍的な特色と言えるだろう。日本人は大きなもの、満ち足りたものよりも、局部や細部に目を向け、微視の世界、微小な命というものに気持ちを注ぐ。森を見るよりも一本の木に着目するのだ。
先に私は「うつくし」という言葉について触れた。同じく大野晋氏によると、平安時代に「清潔」という意味で用いられる前、「うつくし」には父母や妻子に対する愛という意味が込められていたという。(例えば、『万葉集』にある「妻児見ればめぐしうつくし」というのはその一例。ちなみに、『枕草子』の「なにもなにも小さきものはみなうつくし」というのは、小さな命にたいする愛惜の意を表している)
絵画の世界にもこうした傾向は見て取れる。川端康成に「日本美学の基調を構築した」と称えられた日本画壇の巨匠東山魁夷氏は、日本画の構図について「広々とした視野で風景を捕らえたものはまれで、自然の一角を切り取ったものがほとんどだ」という意味のことを言っている。氏の作品を見た人は、誰もがその静けさ、穏やかさ、厳かさに心打たれるはずだ。
東山魁夷という画家は、西洋文化と中国文化への憧れを持ちつつ、その人生をかけて日本の美を探求した人だ。その意味で、彼の作品は日本美についての見事な注釈と言うことができるだろう。西洋の美に見られる昂揚感、激しさ、精巧さと比べ、彼の作品にはおくゆかしさ、朴とつさ、誠実さが目立つ。中国の美が重んじる雄大さ、精神性、本質性と比べ、彼の作品には謙虚さや調和というものが際立っている。
日本の美の優美さ、繊細さ、柔和さ、曖昧さ、奥深さという特徴は、文学の世界にさらに鮮明に現れている。日本の小説では細部が重んじられ、全体の構想はそれほど重視されない傾向がある。裏返せば、細部を読み取れなければ、日本文学を理解することはできないということだ。
たった十七音から成る俳句は、日本人によって一種の極致にまで高められた文学だ。そこでは心の襞や自然の妙が表現しつくされている。「俳聖」松尾芭蕉の代表的な一句「古池や蛙飛び込む水の音」などもその一例と言える。与謝蕪村の「釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな」にも同様の妙味があるが、こうした作品を中国の詩句の中に求めるのは難しいだろう。俳句の境地に近いものといえば、宋詞の婉約派を代表する柳永の呼んだ「楊柳岸暁風残月(楊柳岸にあり
暁風に残月)」ぐらいだろうか。最も俳句に近いとされる元曲でも、せいぜい「枯藤老樹昏鴉(枯藤の老樹に昏の鴉あり)」といったところだ。これも無理のない話で、司空図が著した『二十四詩品』(詩歌の形式や風格、異境を論じた書)の冒頭には、「雄渾」たるべしと書かれている。漢の高祖、劉邦の「大風起兮雲飛揚(大風起ち
雲飛揚す)」、曹孟徳の「東臨碣石以観滄海(東に碣石を臨み以って滄海を観ず)」、蘇東坡の「大江東去(大江東に去り)」などはその例。さらに雄大さを誇張したものとしては李白の「燕山雪花大如席(燕山の雪花大なること席のごとし)」などがあるが、ここまで来ると日本の人々は面食らってしまうだろう。日本人で李白が好きだという人が少ないのは、このへんに理由の一つがあるのかもしれない。つまり、日本人の美的な好みに合致しないのだ。
中国人が雄大さを重んじるのは、絵画も同じこと。中国画では大胆に筆を揮うことが重視され、形状の描写よりも精神性を写し出すことに力点が置かれる。これは日本人にはなかなか真似のできない部分だろう。それだけに中国人は日本の美を見て「せせこましい」あるいは「女っぽい」などと感じてしまうわけだ。日本の芸術は盆景の芸術、女性の芸術ということができるだろう。これを「クローズアップの美学」とも呼ぶ日本人研究者もいる。
ここでは取り上げきれないが、日本の美には悲しみの美、比喩と象徴の美、時間的倒錯の美など、まだまだ多くの面がある。機会があれば、また掘り下げてみたいと思っている。
注:
1.……ハンガリーの詩人ペテーフィ・シャンドルはかつて「命も貴いが、愛はそれよりも価値が高い」とうたった。
2.…… それぞれ汝州(現在の河南省臨汝)、定州(現在の河北省曲陽)、鈞州(現在の河南省禹州)にあった窯で、優れた陶磁器を生産することで知られた。(2001年5月号より)
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