【放談ざっくばらん】


刺し身、豆腐、ラーメン――水と日本人考

                                     新華社記者・范力民

筆者

 中国の古典の名作『三国志演義』の巻頭は、歴史を詠嘆するこんな詞で始まる。

 「一壺の濁り酒もて相逢えば、古今の多くのことはみな、談笑に付される」

 歴史の激しい移り変わりを語るにも、やはり「濁り酒」が出てくるのである。

 中国は古来より、多くの民族が融和しながら暮らす国であり、そのためか、中国の食文化は「濁」と「雑」の二字に概括することができると私は思う。これとは対照的に、日本の食文化は、同じ東洋の民族でありながら完全に別の風格と特色をもっている。

「上善若水」

 日本語を学んで20余年。しかし、私が文化的な観点から日本の食文化の特徴を本当に理解したのは、10年前の、あの一回の食事だった。

 当時、日本の有名な外食産業チェーンの経営者が、部下の食品の専門家たちを引き連れて訪中し、合弁事業について話し合った。中日間の商談が終わったあとに開かれた宴会に、幸い私も参加することができた。そこで生粋の日本料理である刺し身にめぐり合い、日本の「生食文化」の素晴らしさを体得することができた。

 日本側の食品専門家たちは、日本の伝統的な食文化を積極的に売り込もうと、とくに日本料理屋を選んで宴会を開いた。一つ一つ日本料理について解説した。そうこうしているうちに、赤や白の、透き通るほど薄く切った、つややかな刺し身が、豪華な皿の上にきちんと並べられて運ばれてきた。これを見た中国側の参加者たちは、その美しさに声をあげて賛嘆した。

 しかし、いざそれを生のまま食べるとなると、多くの人が箸をつけようとはしなかった。だが、日本側に再三勧められて、中国側の参加者たちは、刺し身に専用の醤油とワサビにつけ、口に放り込んだ。

東京のある神社の手水

 ワサビをつけすぎたせいかどうか、その辛さがつんと鼻を突き、慣れない「生食」に、鼻をつまみ、眉をひそめる人もいた。するとすかさず日本側は、日本の酒「清酒」を杯についで勧めた。「刺し身と清酒は大変よく合う」というのだった。

 私も清酒を一口飲んでみた。清酒は中国の「白酒」(蒸留酒)ほど強くはなく、やや甘い、淡白な弱い酒だった。だが刺し身を口に入れた後、この酒を一口飲むと、たちまち舌の奥から唾液が湧いてきて、もともと大した味のない刺し身と清酒という二つのものが、素晴らしい味となるのだ、と日本側は説明した。そして本当にそうなったのである。

 私と同じ感じをもった中国側はみな「いったいこの酒はどこの酒だ」と口々に問い詰めた。すると一人の日本側の参加者が、得意げにこう紹介した。

 「この酒は、皆さんよくご存知の政治家、田中角栄の故郷でもあり、かく言う私の故郷でもある新潟県の銘酒で、『上善水の若し』という銘柄です」

 後に私は、仕事で日本に行き、4年あまり滞在した。そして、日本の食文化をさらに多く味わい、体験する機会を得た。その結果、日本の地酒になぜ「上善水の若し」という名が付けられたのか、その奥に潜む意味は何か、についてより広く、多面的に理解することができた。そして日本の食文化は、つまるところ「水」という一字に尽きるということを体得したのである。

 中国古代の先哲、老子は「上善水の若し。水善く万物を利して争わず」と説いた。水こそ最高の善という思想である。新潟の地酒はここから「上善水の若し」の名をとったのだ。

 また孔子は、流れてやまぬ川の流れを見て「逝く者は斯くの如きかな」と感歎した。これは理性の角度から「水」を論じた言葉である。

 しかし、周囲を海に囲まれた島国の民である日本人にとっては、「水」はいつ、いかなる時にも、感性の中に存在するものなのだ。日本人は大昔から、海を見つめ、波の音を聞きながら暮らしてきた。雨水は人々の皮膚からしみ透り、さらさらと流れるせせらぎとなって人々の心の奥底に流れ込み、生命を育む泉となる。

 「水」は、日本列島の鬱蒼とした緑の大自然を育んだばかりでなく、日本文化の根源的なものをつくりあげている。「水」の清らかさ、青く透き通る美しさ、沸騰する激しさ、朦朧とした趣き……日本の文学や芸術、絵画、音楽、哲学などのどの分野にも、「水」はその影を宿している。だから日本の食文化も自然に「水性」を帯びているのだ。

 「魚食」と「水性」

 「水性」について論ずるなら、まず、もっとも典型的な日本料理である刺し身から始めなければならない。水がなければ魚は存在しない。刺し身の素材が「水」からくることは論を待たない。

 日本人が魚を主として生で食べるのは、「水の味」に対する屈折した執着心が働いているからではないか、と私は思う。なぜなら「生食」こそが、もっとも水の持つ本来の味の「新鮮さ」と「淡白さ」とを保つことができるからである。

 また「生食」は、人の嗅覚を満足させることができない。そこで、食欲を引き出す手段として、たとえば色や形に工夫を凝らすのである。このため日本料理は、見た目の美しさを極めて重視する。その結果、鮮魚を料理するとき、その切り方を重視するばかりでなく、容器や盛り付けにも十分心を配るのである。

 「生が多い」「味が淡白だ」「彩りを重んじる」とよく言われる日本料理の主な特徴は、突き詰めればその根源で、「水」と切っても切れない縁で結ばれているのだ、と私は思う。

奥多摩で水と
戯れる筆者

 もちろん食文化というものは、広く東西の文化の影響を受けているものなので、日本料理もまた、東西の食文化の要素を取り込んできたことを私も知っている。だから「魚食」をもって日本の食文化すべてを包括するのは、明らかに、局所拡大の感を免れない。

 しかし、日本人はいぜんとして、世界でもっとも魚を多く食べる民族であり、食文化が民族性に影響を与えるという面では、「魚食」の伝統が日本人の民族性にやはり大きな影響を及ぼしていると言わなければならない。

 鮮魚ばかりではなく、魚とともに日本人の健康と長寿の二大要素のひとつであるもう一つの代表的な食品、豆腐食品もまた、「水」が日本の食文化の中で果たす役割の重要性を反映した食品である。

 豆腐はもともと中国で生まれたものだが、水資源の豊富な日本に伝わるとたちまち、日本人の手によって大いに精彩を放つ存在となった。豆腐は日本人の食卓に不可欠な食品になっただけではなく、その生産技術でも本家の中国を追い越してしまった。現在、日本の豆腐の消費量は、年平均、50億丁以上といわれ、日本は名実ともに「豆腐大国」になった。

 だが、面白いことに、日本には、中国ではよく食べる「干豆腐」(干した豆腐)や「燻豆腐干」(燻製の豆腐)はない。日本人は、豆腐が伝来したとき、自分の好みによって取捨選択したのかもしれない。いずれにせよ、豆腐の白さや滑らかさ、あっさりとした味が、日本人の美意識と味覚にマッチしたのだと私は思う。

 さらに、日本のサラリーマンたちが好きなラーメンでも、その作り方が中国とは違う。中国では、スープと麺はいっしょにして作るが、日本では、スープはスープ、麺は麺と別々に作る。そして客が店に入ってくると、スープの中に麺をさっと入れるのだ。

 こうするのは、主として、なるべく手早くラーメンをつくろうという商売上の理由からかもしれない。しかし、商売というものは、顧客の好みに逆らうことはできない。となると、スープはスープ、麺は麺という作り方は、結局は、あっさりした味や「清」と「濁」とをきちんと分けることを好む日本人の好みに適応したものだ、と言えよう。

 日本人は、食文化の中で「水」が果たす役割に深く通じていると思う。夏の真っ盛りに「流しそうめん」を食べるが、これはその典型的な証拠の一つである。

 「流し素麺」は、山あいの渓流のほとりに、半分に切った青竹を樋のように作って、冷たい渓流の水をここに引き込む。そしてゆであげた、糸のように細いそうめんを、竹筒のなかに入れる。白いそうめんは水の流れとともに下の方へスーッと流れて行き、そこに立って待っている人が、箸でそうめんをつまんで、汁につけて食べるのだ。そうめんはつるつると、喉から腹の中に入って行き、人は一服の清涼感を覚えるのである。こうした遊び心のある食べ方は、豊富な水資源がなければできないし、水を好み、水と戯れる気持ちがなければ成り立たない。

 日本人が心の故郷という古都・京都に旅した際に、貴船町の「川床料理」を体験したが、これも「水」が日本の食文化に占める存在の大きさを感じさせるに十分だった。山と水の町、貴船町を流れる貴船川のほとりに、二十数軒の料理屋が軒を連ね、河床の上に舞台のような桟敷を作って、そこに小さな食卓を並べて客を待っている。客は、魚料理を味わいながら、青々とした山々や、さらさらと足元を流れる水に囲まれて、涼しげな「水」の境地を堪能することができるのだ。

水滴が石を穿つ

 こうした「水性」文化の影響なのだろうか、日本人の国民性のいたるところに「水性」がしみ込んでいるのを感じる。例えば、もめごとを終わらせ、無かったことにするのを、日本語では「水に流す」という。人間が突然、失踪することは「蒸発」といい、バーやキャバレーなどの商売を「水商売」という。

 日本人はいっしょに食事をするとき、酒をあまり相手に勧めず、手酌で飲むことが多い。また、いっしょに食事をしたあとは、ほとんど割り勘で、これが習慣化している。いくら酔っ払っても、割り勘を忘れることはない。まさに「君子の交わりは、淡きこと水の如し」である。

 水が流動性を持つことは、水本来の性質で、水は流れていなければ腐ってしまう。中国人はよく「流れる水は腐らない」という。これは真理である。

 大陸的な文化の中で育まれた中国人は、総体的に見て国民性は「静」の傾向が強い。これに対し、海洋に囲まれて育まれた日本人の国民性は、水のように「動」の傾向が強い。歴史的に見ると、日本人は絶えず「動」を求めて、よく変化してきた。大化の改新と明治維新によって、日本人はすばやく中国や西洋の文化を吸収し、絶えず世界の列強に追いつき、追い越そうとしてきた。

 これに反し中国人は、ずっと安定を求め、変化を恐れてきた。このため、歴史を振り返れば、戊戌の変法(1898年、康有為らが変法自強を唱えて起こした改革)があったものの、結局は失敗に終わり、立ち遅れた国になってしまった。

 日本人の変化は、水のようである。千変万化しても、水の持つ単一の純粋性はどこまでも変わらない。天皇の万世一系という言い方にしても、それは神話なのかもしれないが、その神話が相変わらず維持されている。

 これに対し、大陸の中国人は、変化を求めていないにもかかわらず、歴史的には何回も、天地が覆る王朝の交代を経てきた。中国人の「不変」と日本人の「変」は、表裏の関係にあって、両者の特徴はちょうど正反対である。

 「滴水石穿」(滴り、石を穿つ)という言葉がある。これは、水は決して硬くはないが、絶えず滴り落ちる水は石をも穿つことができるという、水の性質を言い表す中国の言い方である、絶えず努力すれば必ず成功する、と人を励ますとき、中国人はこの言葉をよく使う。日本人の仕事のやり方も、確かにこうした水のような特徴をもっていると感じる。

 日本で勤務していたときに、こうした特徴を証明する数々の現象に出会った。どんな業種であろうと、彼らはこつこつと、一生懸命仕事に専念するのだ。彼らはまるで一滴一滴のしずくのようで、それが集まって日本という国家を形成しているのである。

 日本の文化はよく「職人の文化」と形容されるが、日本の各業種の「職人」の技は、ほとんどが世々代々、伝えられてきたものだ。数代にもわたって、心血を注いで一つの事を成し遂げる。これがうまくいかないはずはない。水滴が石を穿つ、というのは、決して神話ではないのである。(2002年3月号より)