【放談ざっくばらん】


「失われた10年」で失ったもの

                            北京大学政府管理学院助教授 白智立

筆者
 日本では「改革」がいよいよ正念場を迎えている。しかし、日本から伝わってくるニュースは、依然として暗いものが多い。これは日本の改革が、そう簡単には行かないだけでなく、改革には多くの痛みがともなうことを裏付けている。今後日本が、「失われた十年」を乗り越えるまでには、なおしばらく「陣痛」が続くのではないか。しかし日本には、自由な空気や平等で秩序のある生活環境、人々の心の温かさなど、「持ち前の良さ」がいまなお健在だ。果たして日本は、こうした「持ち前の良さ」を発揮して「新生」することができるだろうか。

 私は、2000年の1年間、日本に滞在した。長かった日本留学を終えて帰国してから3年ぶりの日本である。この滞在で私は、この間の日本の変化を肌で感じることができた。

 3年ぶりの日本は、どこかが違っていた。失業率は5%台になった。米国や中国ではそれほど気にする数字ではないのだが、日本では大騒ぎである。

 その反面、大型連休期間中、多くの日本人がいつもの年のように、続々と海外旅行に出かけて行った。テレビも相変わらずグルメ番組が人気を呼んでいる。「庶民は、財布のひもをなかなか緩めない」とマスコミが書く一方で、パチンコ店は、家計を預かる主婦で占領されている。

アジア各国からの留学生たちとともに。前列左から2人目が筆者

 「飽食日本」と「不況の日本」が共存している。この現実をどう理解したらいいのか、なかなか答えは見つからない。

 もちろん、なにもかもが変わったわけではない。だが、やはりどこかが違う、というのが私の直感だった。そしてしばらく日本で暮らすうち、だんだんとわかってきた。

 修理に出した腕時計の見積りがなかなか来ない。私たちの受け入れ団体の関係者は、何度もミスを重ね、約束したことをなかなか実行しない。住宅密集地の狭い道路を、車が猛スピードで次々に走り抜けるので、子供の手をしっかり握って歩いていても不安だ。若者たちがホームレスの老人を襲うなど、理解しがたい凶悪事件が相次いでいる。ちょうど連休期間中で、ゆっくり休もうと思っていたところに、包丁を持った少年がバスジャックする事件が起こった。この事件の模様はテレビで実況中継され、私はショックを受けた。

 街を歩いたり、電車に乗ったりしていて、感じたことがある。それは「すみません」という言葉がすっかり聞こえなくなったことである。前の留学時代には、日本の人々は「すみません」を連発していたのに……。

 なぜなのだろう。日本人が、他人を思いやる余裕がなくなったのか、それとも個人の感情を抑えるようになったのか、あるいはこれまで「すみません」を連発しすぎたためだろうか。

 私は、これまで日本に対して抱いていた「神話」が次々に崩れていくのを感じた。 経済は、バブルの崩壊で、「日本経済は不敗」の神話が泡と消えた。次々に起こる公務員の不祥事で、「日本を支える優秀な官僚」の神話も色あせた。少年たちの犯罪は、日本社会のモラルの崩壊と教育の危機を反映している。私の心に築いてきた「最大の神話」である日本人の、まじめさや勤勉さ、責任感の強ささえ、まるで砂上の楼閣のように崩れ去っていくのを感じた。

 しかし、日本の最大の変化は、やる気や意欲を失った点にあるのではないか。現状維持、あきらめ、チャレンジ精神の欠如が、日本社会を覆う風潮になってしまったような気がしてならない。

 バブルの崩壊で、日本経済が元気を失ったのは確かだ。けれども三年前は、「英国に見習って、健全な衰退を求めよう」という言葉や、そうした書物が流行った。そこには、なお日本の健全さをうかがうことができた。しかし、いまの日本は果たして「健全な衰退」の道を歩んでいるのだろうか。これが「衰退」ではなく「日本の退廃」につながるのではないか、と恐れる。

 例えば、かつて「21世紀は日本の世紀」だとか、「日本円は世界通貨になる」とよく言われた。確かにその当時の日本は、やや「成り金」の傾向があり、「おごり」があったように思う。だが、外からの批判を受け入れる謙虚さや寛容な態度、弱いものや「敗者」に対する配慮があった。

 多くの留学生は、物心両面にわたる日本人の暖かい支援を受けた。当時、留学生だった私も、その恩恵を受けた一人である。しかも、日本の「成り金傾向」や外国人差別を批判した私の論文に、外務大臣賞を与える余裕があった。

 しかし、いまはどうだろう。日本で毎日のように報道されている外国人による犯罪に対しても、ただこれを嫌悪する感情論だけが先行し、どうしてこういう犯罪が発生するのか、その背景は何か、こうした犯罪を防止するのは何が必要なのか、といった深い考察が見られない。やはり余裕がなくなっているのではないか。

日本の友人たちに餃子の包み方を教える

 20世紀の90年代は、日本にとっては「失われた10年」といわれるのに対し、中国は経済・社会面で大きな発展を遂げた。そのため、最近の中国の若者は、日本に行っても、大きな感動や驚きがなくなった。10年前に私が留学した時代とは大違いである。かつて私は、日本の若者やアジアからの留学生たちと、「アジアの時代」や「日本のリーダーシップ」について熱っぽく語りあったものだ。

 しかし、いまや「ジャパン・ドリーム」は過去のものになり、中国経済の台頭で「チャイナ・ショック」が叫ばれるようになった。こんな事態の展開は、当時はまったく想像できなかった。

 確かに中国人の生活様式は大きく変化した。北京に住んでいて、案外、東京よりも便利だと感じることが多々ある。銀行と郵便局は午後五時以降も営業しているところがあり、土曜、日曜も利用できる。日本の援助を受けて建設された北京空港まで、市内から車で30分ほどで着いてしまう。野菜や肉は安いので、給料だけで十分暮らしていける。また、東京のように、外国から持ち込んだ携帯電話が使えないということもない。

 しかし、今回の日本滞在で、「もう一つの日本」を深く感じることができたのも事実である。それは、帰国の日が近づくにつれていっそう深く感じられるようになった。もう少し、日本の自由な空気を吸っていたい、平等で秩序ある日本の生活環境の中で、もう少し暮らしたい、との思いが強まった。

 留学時代の恩師は、私の著書の出版のため、猛暑の中を出版助成金の申請に奔走するだけでなく、「中国への義理だよ」と軽く笑いながら、出版費用の相談にも親身になって乗ってくださった。

 私の娘は東京の幼稚園に通ったが、担任の先生が、言葉のわからない娘のために中国語を学び始め、おかげで娘はすんなりと日本の生活に溶け込むことができた。担任の先生の愛情と献身的な努力に対する感謝は、言葉では言い尽くせない。

 日本には、依然としてこうした「良さ」がある。これを大切にしていってほしいと思う。特に現在、日本は、経済・社会の大きな変動期にある。「外」にいるわれわれは、この中で苦闘する日本を、温かい眼差しで見守る必要があろう。

 私は日本に大変お世話になった。この場を借りて、日本がこれからの十年を再び失うようなことのないよう、心から願わずにはいられない。(2002年5月号より)