今年は中日国交正常化30周年である。3月初めごろ、私は招かれて、30周年記念のあるイベントに参加するため日本へ行った。あちこち見学し、そこで見聞したことや感じたことを述べてみたい。
1950年代の中ごろから60年代の中ごろまで、私は中国人民外交学会で働いていた。当時、外交学会は日本の政治家を接待する唯一の窓口であった。国交を正常化するための準公的な会談の一部に参加したことがあるので、国交正常化を勝ち得るのは容易なことではなかったことを私はよく知っている。
30数年前、松村謙三や高碕達之助ら日本の見識ある人たちは、70歳を超す高齢にもかかわらず、千里をものともせず、はるばる海を越え、何回も中国にやってきて、夜を日に継いで会談に臨んだ。そのおかげで1972年に、やっと成果を見ることができた。今年の国交正常化30周年に際し、往時をふりかえり、中日友好の井戸を掘った先輩たちに心からの感謝の意を表したい。
これらの見識ある先輩たちはあいついで世を去った。今日の中日関係にはたびたび波乱や曲折が現れる。中日友好の事業には後継者がいないのではないか、と皆が心配している。しかし今回の訪日で、後継者がつぎつぎと出て来ているのを知り、励まされた。後継者の中には、よく知られている友好人士もいれば、世には知られていないが、黙々と中日友好の畑を耕している人々もいて、実に敬服に値する。
島根県の小松電機産業の社長で、「人間 自然 科学研究所」の所長でもある小松昭夫氏は、後者の代表的人物である。彼はずっと中日の平和友好や文化交流を促進する事業を一つずつ、地に足をつけて実践してきたのだ。
ここ数年、小松氏は積極的に近隣諸国との文化交流を進めてきた。日本人の歴史に対する認識は、アジアの人々とかなり差があることを知っているため、小松氏は将来に対して強い不安を感じている。こうした歴史認識はすべて、軍国主義と関係があると思っている小松氏は、「国家主義と軍国主義が捲土重来してくるのを絶対許してはならない」と大声で呼びかけている。
花が一輪だけ咲いても春ではない。無数の花々が咲きそろってこそ春なのだ。全社員の教育のため、2001年5月、小松氏は全社の百人近い社員を率いて訪中し、南京大虐殺記念館や盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館に行き、歴史を学んだ。彼は「前事の忘れざるは、後事の師なり」という精神に基づいて歴史を学び、現実を直視し、中日両国の子孫や世界人類の未来のために平和を守る努力をしなければならないと言っている。企業の社員全員が歴史を学ぶため中国へ見学に来たのは、小松電機産業が初めてであるといわれる。その目的は、自社の社員を教育するだけでなく、さらに多くの人々が後からやって来るようになればいい、と小松氏は期待している。
小松氏は山東省棗荘にある台児荘大戦記念館を参観したとき、2003年が台児荘戦役の65周年なので、盛大な記念のイベントが催されることを知った。1938年、小松氏の故郷である島根県と隣の鳥取県の両県民によって編成された松江六三連隊がこの戦役に参加した。この戦役で中国に巨大な損失をもたらした罪を贖い、平和を祈念するため、小松氏は棗荘市と共同出資して、「台児荘平和記念碑」を建てることを提案した。現在、中国側は建設する場所を選定しているところだ。設計については棗荘市政府と小松氏が相談して決め、来年の四月には完成する予定だという。中日が共同に出資し、中国に平和記念碑が建てられるのも初めてのことである。
中日両国の間では、靖国神社問題がずっと中日友好関係をかき乱す大きな要因となっている。それは、なかなか直らない疾病のような問題だ。それを解決するため、日本ではいろいろな提案があったが、小松氏の提案は非常に独特である。それは島根県と鳥取県にまたがる中海のほとりに「永久平和記念碑」を建てようというものだ。
日本軍国主義の侵略する矛先は、まず朝鮮半島と中国に向けられた。朝鮮半島や中国に最も近いところに平和記念碑を建てることは、平和を望む気持ちを最もよく表す特別な意義がある。小松氏の呼びかけを島根、鳥取両県民が積極的に支持し、鳥取県当局は記念碑を建てるために米子空港近くの土地をすでに用意しているという。小松氏の案内で、私はそこを見に行った。土地は広く、日本海に面しているので、記念碑を建てるには理想的な場所だ。この計画が実現すれば、日本と隣国との関係を改善するのに大きく役立つ。その効果は計り知れない。
一介の中小企業の経営者が、自国と隣国との平和友好事業にこれほど関心を寄せ、さらに実際に行動を起こしているのは、実に貴重なことだ。
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筆者と小松昭夫氏(左から二番目) |
孔子は中国古代の偉大な思想家であり教育者でもある。孔子によって創られた儒家文化は、二千年以来、歴代の王朝に崇拝されてきた。だが、20世紀になってから、中国では儒家文化はジリ貧になった。だが日本では、儒家文化はずっと人気を持ち続け、孔孟の道を篤く信じている人はかなり多い。小松氏もその中の一人であり、「中庸」は彼の座右の銘である。
1988年に出されたノーベル賞受賞者による『パリ宣言』では「人類が21世紀に生存していくには、2500年前を振り返り、孔子の知恵を吸収しなければならない」と述べている。
世界的な「頭脳」たちによって孔子がかくも高く評価されたことで、小松氏は大いに励まされた。1999年、北京で開催された孔子の生誕2500年記念のシンポジウムには、17カ国の学者たちが参加した。そして「孔子の理念や教えが、現在のさまざまな問題の解決に知恵を与える」と認定した。これは中国での孔子の評価がさらに高まったことを意味する。
儒教をもっと盛んにするため、小松氏は山東省棗荘に、高さ2メートル以上もある孔子と孟子の銅像を注文し、今年九月に島根県に運んで盛大な除幕式を行う予定である。
最近、小松先生が主宰する「人間 自然 科学研究所」は、中日英語対訳の『論語』の豪華本を出版し、関係方面に配った。日本政府にも百冊贈った。この本の出版記念会を、小松氏は東京と島根で盛大に開催した。私は小松氏がきっとこのチャンスを利用して、自社の製品を宣伝するのだろうと思った。だが、まったく予想に反して小松氏は、商売のことには一言も触れなかった。その誠実さには感動した。
中日の儒家文化を比べて見ると、まるで花は庭で咲いたが、香りは垣根の外へ漂っていくようなものだ、と私には感じられる。古代の優秀な文化の継承は、中国より日本のほうがうまくいっていると思う。
1990年代以後、日本の経済の衰退が十年間続いていることは、各種の統計にあらわれている。このため一部の経済学者は、日本の現状を「山川草木うたた荒涼」と言わんばかりに描いている。
だが去年の末、イギリスのあるビジネスマンが日本を視察した。彼は最初、日本ではきっと失業者が街に溢れ、商店には客が少なく、人々は憂いに満ちた表情をしているだろうと想像していた。しかし日本の各地を見て回った結果、彼は驚いてこう言ったのだ。「日本のマーケットの繁栄ぶりは、ロンドンを上回ることはあっても下回ることはない」。そして彼は「日本経済の衰退説は虚構ではないか」と疑ったのである。
私は10年前、日本で暮らしたことがあり、当時の日本のマーケットについてよく知っている。10年後再びその地を訪れてみたが、その盛況ぶりは以前とまったく変わらないように感じた。
10年間も経済が低迷しているというのに、なぜマーケットは昔と同様にあれほど繁栄しているだろう。それは、日本経済がもともと実力があるからだ。今日の日本は依然として世界第2の経済大国の地位にある。世界最大の債権国であり、最大の海外援助国でもある。およそ資金援助の必要があれば、世界の中で真っ先に、日本に目が向くのだ。
しかも日本は、収支が均衡している国の一つである。今でも、一人当りの国民総生産(GNP)は、先進国の中でもかなり高い。中国では、「痩せて死んだ駱駝でも馬より大きい」という。日本の各方面の状況を総合的に見て、私は日本の経済を悲観的には見ていない。日本は必ず、一時的な苦境から抜け出し、再び立ち離陸することができると信じている。
ここ数年、中国政府は環境保護に対し大量の人、物、金を投入し、かなりの成果を収めた。だが、日本とはまだ比べものにならない。今回、東京、島根、鳥取、千葉を訪れたが、至るところに青空と白雲があり、その明るさにかえって戸惑うほどだった。
島根県を視察したとき、青々とした山の中の所々に、黄色い木々がまるで斑点のようにあるのを偶然見つけた。そのわけを尋ねてみたら、中国大陸から飛んできた酸性雨のせいで抵抗力の弱い松が枯れ、そこが黄色になっているのだと小松氏は説明した。まったく恥ずかしい話だ。中国の環境保護事業がうまくいっていなかったため、その禍が隣国にも及び、島根県は中国に近いので、いち早く酸性雨の被害を受けたのだ。
3月20日、北京はめったにないほどの砂嵐に襲われた。この砂嵐は風に乗って東へ飛んで行き、韓国と日本はその被害を免れることができなかった。まことに忍びないことだ。
しかし翻って考えると、砂漠は連綿として数千里も続いているのだから、一国だけでそれをコントロールすることが果たしてできるだろうか。現在の世界は、各国の相互依存が日に日に強まっている時代である。日本の「一国平和主義」がなかなか実現できないと同じように、「一国による環境保護」もなかなか思い通りにはいかないのだ。
現在、日本では、中国へボランティアで植樹に行くブームがおこり、今年は中国に行く人が特に多いと聞く。こうした活動は、自分にも他人にもプラスになることなので、大変良いことだ。日本は環境保護の技術と資金を持っているので、これからも中国や世界の環境保護に対して、さらに大きく貢献すると私は信じている。(2002年7月号より)
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