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イ族の装いをした「涼山教育無償援助プロジェクト」の発起人・矢崎勝彦氏(左)と現地の村長 |
涼山イ族自治州(以下「涼山」と略)は、中国四川省の南西部に位置し、少数民族のイ族が居住する地域である。涼山は山々に囲まれ、自然資源がとても豊かなところだが、教育や経済の発展はかなり立ち遅れている。
1994年、日本将来世代国際財団(NGO組織)の矢崎勝彦理事長が涼山地域を訪問され、手つかずの自然環境や素直な人々の様子に触れ、心を打たれた。その後、日本将来世代国際財団と株式会社フェリシモが、当地の民族教育の窓口である涼山民族中学校に「涼山教育無償援助プロジェクト」を開設した。以来、4000万円以上の援助資金を提供していただくなど、涼山における民間レベルの中日協力事業が、現在まで10年以上にわたって続いている。
そのプロジェクトの一環として、1999年、私たち2人は奨学金をもらい、日本に留学することができた。私たち2人はイ族だ。四川省と雲南省の境にある、山深い貧困地域に育った私たちが、遠く海を隔てた日本の地を踏むことができるとは、本当に夢にも思わなかった。日本では、とても幸せな留学生活を送ることができ、感謝している。
しかし、その一方で、日本の豊かさと教育レベルの高さを目のあたりにして、愕然とした。「異郷に身を置いてはじめて、故郷を愛する気持ちに目覚める」というイ族の諺の意味が初めて分かったように思った。自分の故郷を復興させるため、何かをしたいと強く思い、涼山に戻った。
有機農業モデル基地の設立
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稲の収穫に喜ぶ「中日協力職業クラス」の学生たち |
「収入がないから入学できない」→「入学できないから知識や技能がない」→「知識や技能がないから収入がない」。これは、涼山山奥に流れる言い訳の悪循環だ。この悪循環を断ち切るために自分は努力しようと決心した。
「ここは貧しくて、何もない」。イ族の人々の口癖だった。悪循環を断ち切るために、どこから切り込んだらいいのだろうかと悩んだ時、矢崎勝彦氏と垣本剛一氏が、「何もないからこそ、何でもできる」「ここの空気や太陽の光はお金になる」と発想転換のヒントをくださった。
垣本氏は70代のご高齢にもかかわらず、これまで17回も涼山の山奥の田んぼに指導に来てくださった。雄渾社の社長を務められ、現在は体調を崩して透析を受けているが、涼山への支援を変わらず続けてくださっている。お2人のアドバイスを受けて、私たちは「涼山信頼農園」を設立し、自然環境に恵まれた涼山の「喜徳」という場所で、米やソバの有機栽培を始めた。
「涼山信頼農園」では、世界一流の米を作り出すために、世界で最も厳しいと言われる日本農水省登録認定機関である海外貨物検査株式会社
(OMIC)の指導・監督を受けた。農場周辺に工場などの汚染源があってはいけない。土壌に農薬残留があってはいけない。空気に汚染源があってはいけない。灌漑用水は人が住まないところを経由し、綺麗な山泉水でなければならない。栽培過程に農薬や化学肥料を一切使ってはいけない。除草は手作業で行わなければならない。全ての作業記録を残し、トレースできるようにしなければならないなど、厳しい基準に基づく米づくりに努力した。
数年間の努力を重ねて、「喜徳の光」と命名した有機米と有機ソバが、アジアで初めて日本有機JAS認定を獲得することができた。「喜徳の光」は、中国沿海部の大都市へ販売され、好評を博している。また、日本へも輸出することができ、現在、フェリシモを通じて日本国内でも販売している。
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有機ソバの栽培地 |
しかし、最初は大変だった。私たちが目指す有機栽培の素晴らしさが、なかなか地元の農家に理解してもらえず、ずいぶんと悔しい思いをした。「何を考えているのか!
これじゃ昔に戻ってしまったじゃないか」という文句を何度もぶつけられた。1、2年目は、有機栽培に賛同してもらうため、一軒一軒農家を説得して歩き続けた。周辺農家全体で有機栽培を計画したのに、「俺はやらない!」と言って反対する人も出た。喧嘩をしたことも珍しくない。その時は非常に辛かった。
現在では1ムー(6.67アール)当たり平均240元の増収につながったため、みな自発的に、しかも丹精に取り組んでくれるようになった。収入が増えたことで、有機栽培基地の農家の子どもたち全員が、小学校に入学することができた。
「俺たちの米は日本にも輸出することができたよ」 と誇らしげに話す農家の人人の表情に出会ったり、にこにこ顔で「ありがとう」と言われた時には、人間として生きる意味や幸せを心の底から感じた。
レベルアップを目指す
「豊かになりたい」という単純な願望から始まった有機栽培は、その後、ファミリー、シャンバラ、盛和塾の塾生グループなど、多くの日系企業や友好団体から参画・支援・指導を頂いた。現在は、「涼山信頼農園」の理念や目標を以下のようにレベルアップし、実現を目指して努力しているところだ。
中日が協力して有機食品を作り、経済効果をあげる。それにより、貧しい子どもたちに就学の機会を提供し、貧困生活にあえぐ家族を豊かにする。同時に、環境保護や持続可能な発展に寄与し、消費者に健康と幸福を贈り届ける。一連の活動を通じて、人と自然、人と人が共存し、助け合い、創造し合い、繁栄するモデルを築き上げる。
中日協力職業クラス
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浴衣に身を包む「中日協力職業クラス」の学生たちと中国を訪問した日本の方々 |
親が精一杯努力して、苦労の末に子どもを中学校や高校まで通わせても、経済的理由や受験の点数不足で、進学も就職もできない。そして、やむを得ず山奥に戻り、自己を向上させるチャンスもなく、親と同じ貧しく旧態依然とした生活を繰り返すイ族の青年は多い。非常に悲しいことだ。
そのような農村の若者を一人でも多く支援し、自立の道を開いてあげたい。そうした思いから、「喜徳の光」のブランド米で得た利益を一部利用し、日本のJICA派遣のボランティアや中国進出日系企業からの応援も頂いて、涼山民族中学校内に「中日協力職業クラス」を創設した。
このクラスの学生は、みな貧しい村から集まった若者たちだ。このクラスは「彼らに希望と未来を作るためのクラス」なので、学費や雑費は無料で運営されている。授業科目には、日本語、コンピューター、会計、中国の共通語である普通話の4科目がある。
村から集まった学生たちはとても恥ずかしがりやで、最初の頃は、人の顔をまっすぐに見る勇気すらない学生もいた。そんな学生たちに、「あなたにもできる!」「苦労に耐える意志と真面目な心が、あなたたちの宝物だよ」「あなたたちの可能性は大学出の人たちに劣らないよ」など励ましながら、自分たちの可能性に気づいてもらうような教育の場を設けてきた。今はみんな生き生きと成長し、自信に満ちた表情を見せるようになってきた。
朝6時半から夜10時半まで勉強を続ける苦学の日々だが、学生たちは「日本語の勉強は難しいけれど、とても面白い」と言って頑張っている。途中で脱落することなく、熱心に勉強を続けている。
学生たちに日本語を教えているJICA派遣ボランティアの友貞新先生は「まだ日本語の勉強を始めて1年余りだが、みんなの日本語能力は大学2年生に負けていない」と嬉しそうだ。今年の冬に、国際日本語能力試験の一級合格を目指して頑張っている学生もいる。
学生たちの成長ぶりを目のあたりにして、人間というのは、こんなにも変わることができるのか、こんなにも可能性を秘めているのかということに気づき、びっくりした。そして、彼らから多くのことを教えられた。
学生たちは今年10月に卒業予定だが、その先の進路は未定だ。今後、わたしたちには彼らが人生の道を切り開いていく上でアドバイスを送る仕事が残っている。
学生たちの中から、もし1人でも、日本企業や日本と関わる道を歩むことができれば……。イ族の先輩として、民間の中日友好交流を経験した1人として、彼らの教師として、密かにそんな願いを抱いている。
夢が叶った日には、涼山の山奥に咲く「中日協力の花」は更に輝きを増すだろう。山奥で学ぶ学生たちに希望の光が差すだろう。(2005年9月号より)
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