2003年1月から2004年1月、大学間の交流によって、私は国士舘大学の21世紀アジア学部で中国語を教えた。
4月に新学期が始まり、初めて学生たちと会ったとき、日本の若者は背が低いものと思っていた私は、教室に入ってきた学生たちがみんな大きくてたくましいことに驚いた。1杯の牛乳が民族を変えたというのは本当のようだ。
男子学生も女子学生も、髪の毛を色とりどりに染め、髪型もさまざま。当時流行っていたサッカー選手ベッカムのソフトモヒカンの学生もいた。化粧をしっかりとした女子学生も多く、彼女たちはマスカラを濃く塗っているため、まつげがバサバサとゆれていた。当時日本では、ジーンズパンツの上に短くて薄いスカートをはくといったファッションが流行っていたが、もし中国でそのような格好をして歩いていたら、とても注目を集めることだろう。日本と比べると、中国の学校内の色彩は非常に地味だ。
学生はお客様
初対面のとき、学生たちの態度はけっして親切であるとはいえなかった。中国の学生は初めて会った先生を笑顔で迎え、非常に親切に接し、先生の問いにも礼儀正しく答える。一方、日本の学生の私に投げかける視線は冷ややかで、歓迎されていないと感じた。後になって、国士舘のような私立大学の場合、学生はお客様で先生に衣食を施してくれる存在であり、先生への接し方を彼らに要求するのではなく、先生が彼らのオメガネにかなうようにすればよいということを知ったのだが。
日本の学生は勉強しないと以前から耳にしていたが、こんなに深刻だとは思わなかった。女子学生は授業中でも化粧をし、鏡を見たり、携帯メールを送ったり、おしゃべりをしている。携帯電話にでるために、トイレへ行きたいとウソをつくこともあった。ある男子学生は、いつも居眠りをしていた。聞けば夜中の2時までアルバイトをしているのだという。家も遠いので、授業に出てくるだけでもすごいと思われていた。居眠りをしていても出席は出席なのだ。もちろん、欠席や遅刻をしないまじめな学生もいた。その中には成績が良い者もいれば悪い者もいて、どうにも腑に落ちなかった。
日本の大学内には、恋人同士がベタベタしている光景はなく、手をつないでいるのさえあまり見かけない。中国の大学に比べるととても保守的だと思った。中国の大学はこのところますます開放的になり、いちゃいちゃしている恋人たちが多い。この点では日本の学校のほうが爽やかだった。
学生たちは一日中、アルバイトと遊ぶことだけを考えていて、将来のことはあまり気にしない。彼らに言わせると、バイトをしているときは授業中よりもまじめなのだそうだ。そのときはお客様が神様であり、授業中は自分たちが神様になる。もし先生に不満があれば、クラスを変えてもらうこともできるのだ。
難しい中国語の発音
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日本の学生と一緒に(筆者は前列中央) |
アジア学部の学生は、外国語が重要な課程で、私の学校の「外語系」(外国語学部)のようだった。必修科目の英語以外に、中国語、韓国語、タイ語、ベトナム語、マレー語などを選択できる。その中で日本人にとってもっとも難しいのは中国語の発音だろう。中国語は母音が多く「四声」(4つの声調)もあるが、日本語の母音はたった5つだからである。
発音の練習をした後は顔の筋肉がとても疲れ、普段使わない部分を使ったとみんな口を揃えていう。四声の中で特に難しいのは二声で、学生たちは顔を斜めに振り上げながら発音していて、その光景はとてもおかしかった。発音とピンインが中国語学習の難関であり、学生たちにとってその難しさは想像を超えていたようだ。
日本の学生の勉強の仕方は、あまり融通がきかず生真面目すぎると感じた。一といえば一、二といえば二だった。
教科書の中に「ニ好!」「是ニ! ニ好!」(「こんにちは」「あなたですか、こんにちは」)と出てくれば、「ニ好!」と言われたら必ず「是ニ」といった後、「ニ好!」と続ける。いくら説明してもそれを変えることはできない。最後には「是ニ」を文章中から削除するしかないのだ。
また、語尾についている感嘆符「!」も理解できなかった。普通のあいさつでどうしてそんなに誇張する必要があるのかという。確かに日本人の文章中には感嘆符はあまり使われていない。このように感情をあらわにするのは歓迎されず、感嘆符が多い文章は低俗だと思っているようだった。
「かわいい」日本の学生
日本の学生たちの先生に対する態度は、最初は冷たいがだんだんと温かくなる。親しくなると、彼らはとても単純で、正直に物を言い、人をほめたりほめられたりするのが大好きだということが分かった。しょっちゅう私の周りに集まって、中国のことを聞いてきた。私が30歳過ぎまで地震にあったことは数えるほどしかないと言ったときの驚いた表情は、今でも忘れることができない。
ある日、1人の学生が使った言葉が適当でなかったので、これでは露骨すぎると言いながら、黒板に「露骨」と書いた。学生たちはそれを見て「『骨』という字が逆だ、正しくは『骨』だ」と言った。私はとっさにひらめき、「これを『反骨』というのよ」と言うと、みんなは口々に頭がいいとほめてくれた。そしてほめられて得意になっている私を見て、「かわいい」とはやしたてた。時々こういった冗談を交わし、教室の中は和気藹々としていた。
日本の学生にとって大学時代とは、遊び楽しむときで、一生懸命勉強した高校時代のご褒美であり、無慈悲な社会に足を踏み入れる前ののんびりとしたひとときでもある。人生という旅の休息期なのだ。中国の大学生のように、がむしゃらに勉強して各種の資格を取り、後の求職のために有利な条件を作ろうとはしない。
日本で中国語を教えた1年の歳月はあっという間にすぎた。最後の授業で、学生たちから大きなアルバムを贈られた。学生1人ひとりの写真の下に、お別れの言葉が書いてあった。私はとっても感動したが、涙は流さなかった。きっと、もうすぐ中国に帰り家族と会えるという喜びが、彼らとの別れを緩和してくれたのだろう。しかしこのことは彼らを失望させたようだ。日本人はこういう場合、感動して涙を流して終わるのが慣例なのだ。
あれから1年半が過ぎた。今でもよく、かわいくて勉強があまり好きではなかった日本の学生たちのことを思い出す。(2005年11月号より)
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