元国家体育運動委員会副主任、アジア武術協会主席
 徐才  
 
太極拳と日本との深いかかわり

 

 1972年に中日両国が国交を正常化したとき、郭沫若先生は「沁園春」と題する一首の詞を書いてこれを祝った。その詞の中で彼は、中日両国の文化交流を讃えて「文化交流有耿光(文化交流には明るい光がある)」と書いた。

 確かに、中日両国は一衣帯水であり、文字に記載された交流史だけでも、すでに2000年以上の歴史がある。唐代の鑑真和尚は日本に渡り、仏教の律宗の開祖となり、今でも人々に敬われている。当時、日本は遣唐使を次々に中国に派遣し、学ばせた。その中の阿倍仲麻呂は、唐で学び、唐に仕え、李白や王維と深い友情で結ばれ、ついには唐に骨を埋めた。今でも、西安市の公園の中に、彼の記念碑が建っている。

 悠久の歴史から見れば、日本が中国から学んだものは比較的多いが、近代史から見れば、中国が日本から学んだものがかなり多い。中国の辛亥革命にしても、日本の影響を受けたものである。

 歴史的に見ると、中日の文化交流は多くの分野にわたり、多面的である。スポーツの分野だけでも、黄帝と蚩尤(部族の首長の一人)との戦いに起源を発し、漢代、唐代に盛んになった相撲は、早くから日本に伝わり、後に日本の国技になり、世界的に有名になった。柔道は、明末清初の中国の学者、陳元贇が日本の武道者といっしょに創始したもので、1964年の東京オリンピックで正式競技種目になり、今も盛んに発展している。

 中国もスポーツの分野で日本に学んだものは多い。20世紀初頭、中国から日本に留学した者は数万人に達するが、これは世界の留学史上、稀に見ることである。日本への留学ブームは両国の交流を推進し、これによって中国は多くの新しい思想や新知識に触れることになった。

 「体操」「体育」といった用語は、日本から導入された。中日両国はまさに「私の中にあなたがあり、あなたの中に私がある」という関係であり、また、文化交流には郭沫若先生の言うとおり「耿光」がある。その中で大きなスポットライトを浴びているのは、武術や太極拳の分野での、中日両国の生き生きとして熱気に溢れた現在の友好往来である。

1986年に日本を訪問した際、富士山で、村岡久平氏(左)と写真におさまった徐才氏

 1959年の中華人民共和国成立10周年のとき、周恩来総理は訪中した日本の貿易代表団と会見した。団長の松村謙三先生が太極拳を学びたいと言うと、周総理は非常に喜んで、彼に一人の中国の老武術家を推薦し、紹介した。

 周総理は「太極拳は中国の優秀な伝統文化で、内容はきわめて豊かであり哲理に満ちており、中国の伝統医学と血縁関係があります。太極拳を学ぶことは健康に大変良く、身体を強く、健康にし、寿命を延ばし、また護身にもなり、情操を陶冶することもできます。また一種の美しさを享受するものでもあり、人々の生活に限りない趣きと幸せをもたらすものです」と述べた。

 中国では、太極拳を「哲拳」と呼ぶ。これには一定の道理がある。「太極」と言う言葉は、中国の古典哲学書の『易経』から来ている。北宋時代に周敦頤の著した『太極図説』は、太極を中心とする世界創造論を提起し、太極がもっとも原初的な実体であり、その動と静から陰陽と宇宙の万事万物が生じると考えた。

 中国民主革命の先駆者である孫中山先生はかつて西洋の概念である「Ether」を「太極」と訳した。彼は『孫文学説』の中でこう書いている。

 「元始のとき、太極が動いて電子を生じ、電子が凝集して元素になり、元素が合して物質になり、物質が集まって地球となった。これが世界の進化の第一期である」

 中国古典哲学の精髄を含んだ太極拳は、太極図の陰陽魚を符号とし、黒を陰、白を陽として、白黒が互いに頼りあい、抱きあって離れず、相互に転化する。これは対立の統一体である。そこから動と静、虚と実、柔と剛、開と合などの動作の型が形成された。中国の古典哲学は、人体もまた陰陽で構成されており、身体がよいということは、陰陽が平衡状態にあることだと考えている。

 「天人合一」は、中国の古典哲学のもう一つの特徴である。戦国時代の子思や孟子が「人と天は通じ合っている」と唱えて以来、歴代の思想家や文人、学者はみな、天と人の通じ合うところを懸命に探求し、天と人との協調や調和、一致を求めてきた。太極拳はまさに、「天人合一」の総体観念に着目し、人と自然は対立の統一体であり、人そのものも対立の統一体であると考えている。だから太極拳を修行するときはまず、人と自然の調和を求め、そして「天人合一」に到達する。

1990年に開催された北京アジア大会の開幕式で、千人の太極拳の演技を行った中日両国の太極拳愛好者たち(写真・劉世昭)

 太極拳はまた、自然は大宇宙、人体は小宇宙と認識している。人体は、一つには形、即ち筋、骨、皮、肉からなり、二つには心、即ち精神と意識からなる。太極拳の修行は、肉体を鍛えなければならないうえに、精神をも鍛えなければならない。内と外がともに修まり、形と心が一つになれば、人体のバランスのとれた発育や調和のとれた成長に到達する。

 太極拳の修行は、根気よく続け、たゆまず努力すれば、さまざまな効果を収めることができる。ケ小平先生は「太極拳好」との題辞を書いたが、これについて私はある文章の中で「太極拳好の『好』は、それがさまざまな効果のある一種の人体運動であるところにある」と述べた。

 その第一は、身体を強くすることができることだ。太極拳は動と静が結合し、内と外が結合した全身運動である。大脳は全身を支配しており、太極拳の修行が「心静」(平静さ)を求め、「用意」(集中する)を重視するのは、これが大脳皮質の活動に良い促進作用があるからだ。だから太極拳を「大脳皮質の体操」と言う人もいる。

 太極拳は循環器系にも良い影響を及ぼし、血液の循環を促進し、心臓や脳の血管や毛細血管に対しても良い作用がある。太極拳をすると、呼吸器系にも大変良い。それは、腹式呼吸と胸式呼吸を結びつけた呼吸法を採用しており、血液の循環を改善し、心筋への栄養補給を良くすることができる。

 太極拳は、骨格や筋肉、関節の活動にも良い影響がある。骨格の新陳代謝を促し、筋肉や関節を強め、活動機能を増進することができる。太極拳は消化器系にも良いのは、腹式呼吸を通じて横隔膜が上下に動くので、胃や腸、肝臓、膵臓を按摩し、消化を良くするのである。

 第二は、身体の機能のバランスを保つことができることだ。太極拳は、有効であることがわかっている医療体育の一種であり、中国の少なからぬ療養機関が太極拳を医療の一種の手段としている。患者は、太極拳の修行を通じて中枢神経を鍛錬し、大脳の機能を健全にし、筋肉や骨、関節を強化し、心臓や血管を鍛錬し、呼吸の機能を増強し、消化吸収を促進する。

 第三は、知力に良いことである。太極拳の修行は、心でリードすることを重んじている。これはまず、頭脳を使い、連想と再現の方法で、脳の中にワンセットの技術的な動作を作り上げる必要がある。この一連の大脳の思惟活動は、知力の開発に益する。

1989年、国際武術連合会準備委員会のメンバーとの記念撮影。左端は村岡久平氏、中央は徐才氏

 第四は、「修性」(生まれつきの性質を修める)ができることである。中国は古来より、摂生を重んじ、精神と生命を重視している。「修性」は心理状態の鍛錬を指し、「修命」は生理状態の鍛錬を指す。太極拳は内外を兼ね修める運動とよく言われるが、「内修」は身を修め、生まれつきの性質を養い育て、人として世に処する道を学ぶことを指す。「外修」は、身心を鍛錬することによって、身体が頑丈で力強く、バランスのとれた発展を遂げることである。

 第五は、いっしょに楽しむことができることである。太極拳は、美しく、観賞する価値がある運動であり、練習すればスマートで洒脱、ゆったりとして鷹揚で、魅力に富んでいる。1983年、上海で挙行された中国全国運動会で、5000人の太極拳愛好者が集団で24式太極拳を演じ、中国の若い世代の意気と進取の精神を示した。

 1990年に北京で催されたアジア大会では、中日両国の1400人の太極拳の選手がいっしょに演技し、これによって太極拳が、アジアや世界に向かって波涛のように打ち寄せていることを人々に示した。

 最近、届いた日本の武術太極拳連盟の会報で、私は、日本ではすでに2000人以上の太極拳の指導員が養成されていることを知った。これは本当にうれしいことだ。200万人近い人を擁する日本の太極拳運動は、ともに太極拳を楽しむ新たなブームを巻き起こすに違いない。

 最後に、私は郭沫若先生の詞の一句で、中日両国の太極拳の情誼を称えたいと思う。それは「両千年友誼不等尋常(2000年友情は、尋常一様のものではない)」という一句である。(2006年9月号より)

 

 
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