光明日報社高級記者
 陳志江=文・写真
 
中国の葬礼と日本のお葬式

 

 この間、『光明日報』社の一人の先輩が亡くなり、その「葬礼」(葬儀)が終わったあと、中国と日本の数人の友人といっしょに、葬儀場近くのレストランで食事をした。席上、日本からわざわざ葬儀に駆けつけた一人の日本の友人が、突然、こんな疑問を投げかけた。

 「中国では、告別式が終わった後、どうして塩を撒かないの。日本では塩を撒くのが習慣だけれど」

 中国の人たちが怪訝な顔をしているのを見て、彼はこんなふうに解説した。

 「日本は宗教が盛んな国で、仏教だろうとキリスト教だろうと、他の宗教だろうと、人が死んだ後はみな、荘重な葬式を挙行する。これが死者の魂を救う最良の方法だと考えている。そして葬式が終わった後、喪主は参列者全員に、小さな塩の入った紙包みを用意する。参列者は自宅に入る前に、この塩をパッ、パッと身体に振りかける。これは邪気を払い、浄めるためだ」

 こう言い終わると、この親切な日本の友人は、わざわざレストランの店員に、小皿に塩を少し持ってこさせて、友人たちの頭や肩に振りかけたのである。

 私はこれまでに三回、日本に駐在記者として常駐したので、数多く、日本の友人の葬儀に出席したことがあり、塩を撒く習慣はだいたい知っていた。これはおそらく、海洋国家である日本の独特の習俗である。塩は日本では浄めの効果があるとみなされている。日本伝統の国技である相撲でも、力士たちが土俵に上がって大量の塩を撒くが、その目的は浄めのためだ、と私は思う。

服装や感情表現に違い

 中日両国の多くの人々は、仏教や儒教を信じている。人が死ねば、活きている者がさまざまな儀式を催し、死者に別れを告げる。この点は、中日両国共通である。しかし、仔細に見ると、中日両国の葬式のやり方や理念には、多くの違いが存在している。

 まず、葬式を挙げる場所が違う。中国では、昔は寺院や廟で死者の済度する法事がよく挙行されたが、いまは火葬場の脇にある「殯儀館」という斎場の中で行われる。日本では、宗教の信仰の違いによって、それぞれ寺院や神社、キリスト教の教会、火葬場の斎場などが選択される。

 次に、葬式の形式や中身が違う。日本では、葬式に参列する人の服装には、厳しい決まりがある。男女を問わず、黒の礼服か黒の上下のスーツを着なければならない。女性の帯や男性のネクタイも、必ず黒か色の濃いものでなければならない。

 しかし、中国では、葬式の参列者の服装に対し、特別な決まりはない。だから、初めて日本で葬式に出席する中国人が、そのときになって黒い服が見つからず、困ってしまうということは、よくある。

 棺が安置されている霊堂の中は、中国では通常、造花の花輪やさまざまな生花が並べられるが、日本では、白か黄色の菊の花を飾る。

 こうした目に見える違いのほかに、中日両国には、感情を表す方法にも大きな差がある。全体的に言えば、日本人は中国人に比べてはるかに抑制的で、感情を外に現さない。葬式のさなかに、死者の家族が激しく慟哭するシーンは見られず、出席者の多くは、冷静で、厳粛だ。

 

 たとえ身内が飛行機事故で遭難するなどの不慮に災難に遭ったとしても、テレビカメラの前では、日本人の多くは泣きたいのをこらえて涙を流さず、口元をぎゅっと結んで、厳しい表情をしている。

 カトリック教会で挙行される葬儀では、司祭の説教にしても聖歌隊のコーラスにしても、死者を哀悼しつつ、死者を賛美するという印象を与える。

 これに比べて中国人は、明らかに素直で、思った通りに行う。突然やってきた不慮の死の報せを聞くと、中国の遭難者の家族たちはよく、声を上げて泣き、意識が朦朧となり、時によっては地面に卒倒することさえある。死者に対する遺族の悲しみと孝行の心をはっきりと示すために、中国の南方の一部地方では、金を払って泣き女や泣き男を雇う習慣さえある。

 葬儀が終わると、中国も日本も、亡くなった人の遺骨を入れた骨壺を直接、埋葬するか、あるいは骨壺を一定の公共の場所に一時期、保管して、日を選んで埋葬する。

精神面より物質面を重視

 死者を追悼する面では、中日間の違いはかなり大きい。日本人は通常、死者の命日や毎年の盂蘭盆、春秋の彼岸のときに、墓参りをする。墓参りは、墓前に花やお供えを少し置くが、大切なことはきれいな水で墓を浄めることだ。

 日本が精神的な面を重視しているのに比べ中国の人々は、物質的な面を重視している。私は今年、清明節に初めて、天津に帰り、亡き父の墓参りをしたが、そこで見た情景を忘れることができない。

 中国の伝統的な祭祀のやり方は、霊前に立てた三本の太い線香に火をつけ、いくらかの供物を並べ、そのうえで、あの世で通用する紙幣である「紙銭」を何枚か焼いて、祭祀は終わる。しかし、人々の生活水準の向上とともに、近年、中国各地の清明節(毎年四月四日から六日ごろ)の墓参は、供物の量を競い合うようにエスカレートし、とりわけ物質面に金をつぎ込む傾向が非常に目立ってきた。

 私は、広い天津市の北倉陵園(霊園)の外が車の洪水になり、人また人で、幹線道路も路地もびっしり詰まっているのを見た。陵園の中では、至るところに臨時の霊台が設けられ、人声や爆竹の音が喧しい。「紙銭」を焼く煙があちこちから立ち昇り、その賑やかさは、田舎の縁日や都会の春節の人出に劣らない。

 近寄って見てみると、人々は霊台の前にさまざまな供物を並べたうえで、大量の「紙銭」に火をつけて焼いている。亡くなった家族があの世でパラダイスのような生活ができるよう、供物と「紙銭」はすっかり「近代化」している。

 供物の中には、伝統的な菓子や中国の酒、タバコのほか、外国産のウイスキーや洋モクが増えている。「紙銭」は多種多様。あの世で通用する「人民元」の代用券のほか、「香港ドル」や「米ドル」「ユーロ」などの代用券もある。父親があの世で金に困らないようにと、紙で作った銀行を贈った「孝行息子」さえいる。

 霊前で焼くために作られた高級乗用車や別荘、各種の家電製品の模型もある。これらは、死者に極楽で快適に生活してほしいと思っているからだろう。要するに、中日両国間には、葬儀のやり方の面で、確かに大きな差異があるということである。(2007年3月号より)

 
 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。