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平泉の発掘現場で発掘作業中の筆者 |
先日、中国の女性ファッション誌をめくっていると、ある記事で私の手が止まった。タイトルは「上海系との社交術」「北京系との社交術」。最近、中国でも増えてきたパーティーでのマナーを、上海と北京という二大都市を例に紹介したものだ。
ここで紹介されていた上海で気をつけなければならない三点は@パーティー=仕事のコネクション作りなので、名刺は忘れないことA身なりは十分気を使うことB常に微笑を絶やさないこと。
一方、北京での留意点は@芸術や思想など、中身のある会話を準備することA身なりに気を使いすぎないことB虚栄心を捨て去ること、の三点。
こんな記事が組まれるのは、中国国内で人の移動が活発になって、その土地以外からの流入が増えている表れなのだが、われわれ中国で働く日本人女性も、これらの流儀に少なからぬ影響を受け、それぞれの「土地の仕様」に変貌しているのではないかと感じる瞬間がままある。と同時に、本来、その都市の個性に順応しやすい性質の人間が、無意識に行き先を選択し、吸い寄せられているのでは? という気がしなくもないのである。
女性引き止める上海の魅力
世界でも突出した速度で変化を見せる上海には、「経済発展」というキーワードを軸に、ビジネスでの成功を目標に人が押し寄せる。そこで生き抜くために必要なのは、変化の速さについていくだけの柔軟性とタフさ、利益を生み出すビジネスセンスであり、当然、それを志向する日本人女性が上海へと脚を向ける。そして上海自身も、寛容に彼女らを受け入れる。
上海歴6年、現地日系企業に勤務する日本人女性Hさんは、自身の経験をこう話す。
「日本だと、女性が責任ある仕事を任せられるチャンスは少ないけれど、ここなら、やる気さえあれば、日系企業でも十分責任ある仕事を任せてくれる。私自身、日本にいたら、この年齢で、現在のポジションはあり得ないでしょう」
日本の労働環境に物足らなさを感じてやってくる日本人女性にとって、上海は自分を試したい欲求を満たす街であり、実際、キャリアアップの夢に手が届く街である。そんな魅力に惹かれ、上海にやってくる女性は今も跡を絶たない。「上昇志向が強くてハングリーな性格が多い」「キャリアや報酬に対する目的意識が明確」(Hさん)な女性たちが、現地採用として、上海の日系企業などを舞台に駆け回っている。
また上海の、都会的で異国情緒あふれる雰囲気に、心くすぐられる女性も少なくない。「一度旅行に来て、上海に一目ぼれしてしまって」という声は比較的よく聞く話。日本より抑えた価格で、洗練され新しいものがそろい、不便なく、それなりに都会的な生活を満喫できるとなれば、向上心の塊のような女性たちにとって、これほど心地よい場所はそうない。「とにかく上海が好き」と断言する女性が多い所以もこのあたりにある。
ところがここでおもしろいのは、彼女らは「上海好き」であっても、中国のその他の土地に余り関心がないということだ。仮に北京への異動を命じられたとしたら「それに素直に応じるかは疑問」と上海在住の女性Oさんは話す。Hさんも「申し訳ないけれど、私は北京はちょっと……」と、上海を離れる意思のないことを窺わせる。彼女らのゴールは、あくまでも上海の中にあるのである。
さて、上海が経済の街である以上、勝者と敗者が生まれるのは必然だ。流入の数だけ、姿を消す光景も比例する。無論、日本人女性の中にも、十分に実績を上げられなかったり、夢に手が届かなかったりした人が、皮膚の新陳代謝のように、日々生まれ落ち、帰国の途に着く。きらびやかな街の風景との強烈なコントラストが上海の醍醐味であり、だからこそ長く上海に留まって仕事を続ける日本人女性の魅力が、一層ひきたつのである。
学者や芸術家には住みよい北京
実は、上海と北京の日本人女性の違いを意識するようになったのは、上海から進出の人材紹介会社に勤める女性が、北京の日本人女性をこう分析したのを聞いてからだった。
「北京に来る日本人女性は、ひとまず留学して語学を習得して、将来の道を探そうとしている人が多い。明確な仕事の目標を持たないから、運良く北京で仕事が見つかれば幸運、という程度の執着の人がほとんど」
確かに毎学期、少なくない日本人女性が北京に留学するが、現地に残る確率はそれほど高くない。一時的な通過点とみなし、一部は上海や大連などへ、一部は日本へ帰国と、拠点を換えていく。
彼女らが北京に定着しない原因はいくつかある。一番は、北京の日本人求人枠の少なさ。ほとんどの日系企業は、中国での経済拠点を上海に置くため、仮に北京に本社機能があっても、その規模はさほど大きくない。さらに北京が「官僚の都市」で、安定志向の人が多く、金銭への執着を潔しとしない気質から、給与が上がりづらい風土も影響している。
また都市の機能や女性に対するアピール度という点においても、海外の他の大都市との間に差を感じずにはいられない。現時点で北京が有する、「一般的な」日本人女性が働く舞台としての許容量は、さほど大きくないと言っていいだろう。
反面、「特殊な職能」を頼みに活動する女性たち、例えば、ジャーナリスト、研究職、コーディネーター、翻訳家、芸術家、俳優、ミュージシャンなどにとって、北京の水は意外なほどに泳ぎやすい。長らく中国の文化・芸術を育んできた土地柄だけに、個人の研究や知識、芸術的な技量、さらに情熱と労力など、金銭では測れない能力に対しての賛辞を、北京という街が惜しまないからだ。
同時にフリーランスなど一匹狼的な女性が多い上、中国人のメンタリティーと深く関わる仕事のため、ローカライズ度が高く、どこでも生きていけそうなタイプが多いことである。さらに面白いのが、上海と対照的に、業界内でも直接的な競争を回避しようとする傾向だ。
「北京にフリーライターがこれだけいても、仕事の取り合いでもめたという話は、なぜか聞いたことがない」(フリーライターのKさん)
「日本や上海だと同業他社の人とは接触を避けるものなのに、北京だと不思議な連帯感を感じて、互いに協力したことがある」(人材紹介業のOさん)
ドライでタフな競争より、緩やかな連携の間を行きかうのが、今の北京の日本人女性なのだろう。
日本人女性が中国で選ぶ場所は、卵が先かニワトリが先かの理論と同じで、そこにいるから性格が変わるのか、性格がその都市を選ぶのか、どっちが先なのかはわからない。ただし、人間は環境に適応しようという本能を持ち合わせると同時に、自分の居所を見つけたいと願う。そこに住む日本人女性も、都市を映し出すひとつの顔なのだ。(2007年5月号より)