秘境アバの自然と民族 B


達扎寺を担う若き活仏
劉世昭=文・写真
 
タツァ寺のラマ僧たち

 達扎(タツァ)寺は、ズオゲ(若爾蓋)県の東北部にあり、清の康煕2年(1663年)に建てられた、チベット仏教のゲルー派寺院である。1966年から76年の「文化大革命」の時期に寺は破壊されたが、1980年代初めに建て直された。

 1990年、活仏転生制度が政府の許可で回復された際、最初に認められた活仏たちの1人が、現在のタツァ寺の第7世活仏・タツァ・ガラントブダンラシジャンツォで、当時24歳だった。

多芸多才の智者

タツァ寺の全景。右側の黄色の建物は建設中の図書館

  「ヨーロッパやアジア、アメリカなど、十数カ国へ行ったことがありますが、このヨーグルトは、今まで食べた中で一番おいしい」と、感激した私に、「それならもう一杯どうぞ」と、タツァ活仏は微笑みながら言った。

  タツァ寺での取材は、こんな気軽な雰囲気の中で始まった。応接間から活仏の住居に移り、書斎に座って、寺院の仕組みなどの話を聞いた。

院の山門の完成予想図は、活仏が描いたものだ

  この寺院の財務、修繕、消防などの仕事は、寺院の管理委員会が取り扱っている。またこの寺には、「聞思院」「時輪院」「密宗院」という3つのザツァンと呼ばれる学院があり、ラマ僧たちはそれぞれの学院で、仏法を勉強し修行する。

念入りに塑像を造る職人

  3つの学院はそれぞれ、住職にあたる「総発台」、経典を教え読経を導く「総引経師」、監督を行う「監寺」の3人ずつによって管理されるが、事あるときだけ、活仏は彼らの報告を聞く。

 活仏の生活は、とても規律正しい。朝6時に起床し、まず座禅を組んで読経する。ほかの仕事に取り掛かるのはそのあとだ。

図書館の最上階には、歴代の高僧の塑像を祭る予定。活仏自ら、これらの塑像の製作を監督している

  机の上には、ノートパソコンが置かれていた。彼はズオゲ県で、最初にインターネットを利用した人だと、地元の人から聞いていた。パソコンの中には、活仏が書いた仏教についての論文のほかに、彼が作った詩歌もあった。

  さらに私を驚かせたのは、建築予定のタツァ寺山門の完成予想図だった。もしこの図が、美術大学の学生によって描かれたものだと言われれば信じられるが、これは、目の前に座っている活仏の手によるものである。若くて優しい活仏は、本当に多芸多才の智者だと実感した。

開放された図書館を目指して

牧畜民に「摩頂」をしている活仏

  建設中のタツァ寺図書館に触れると、活仏の話は止めどもなく続いた。

  「普通の寺院にあるような、経典を収める蔵経楼ではなく、人びとに仏学の経典を提供し、高僧や学者に食事や宿泊、研究、学術講義の場所も提供する、開放された図書館を目指しています。そしてデジタル化の設備を導入し、インターネットを利用して、この場所で、研究や学習ができるようにしたいのです」と、活仏は語った。

ラマ僧たちが毎日読経や法事をするタツァ寺の大経堂

  活仏の住居を出て、図書館の工事現場へ行った。タツァ活仏は、作業員たちにあいさつをし、その責任者に、工事の細かいところや進捗状況を聞いていた。

  図書館の頂上に上がり、私は寺院の景色をカメラに収めた。

  「最近、小さなデジタルカメラを買ったのですが、これで取った写真は、パソコンに保存できますから、とても便利です。しかし、この機能をもっと知らなくてはいけませんが」と、活仏は袈裟の中から、新型のデジタルカメラを取り出した。

牧畜民の願いをかなえる

近くの牧畜民たちは病気になると、タツァ寺のチベット医病院に来る

  工事現場に行く途中のことだった。1人の牧畜民が、絹織物のハーダを活仏に捧げた。チベット族にとって、ハーダを捧げる習慣は、相手に敬意を表わすものである。活仏の、何の用があるのかという問いに、その人は、石に刻むための仏像を描いてもらいたいと白い紙を出し、活仏は承諾した。

  また工事現場でも、活仏に会いに来た牧畜民の頭に触れ、健康や幸せを授ける「摩頂」をしていた。

弁経は仏教を勉強する方法の一つで、ラマ僧たちの日課でもある

  頼みに来る人は多いのか、またそれには必ず答えているのか尋ねると、活仏は、こう答えた。

  「牧畜民の家で何かあるとき、経文を唱えてもらいたいとか、生まれた子どもの名前をつけてもらいたいとかなど、毎日多くの人が頼みに来ます。ズオゲのこの草原にいる半分以上の子供の名前は、私たちタツァ寺の活仏やラマ僧がつけたもので、時間があればできるだけ、ここの人たちの願いを聞き入れます」。

タツァ寺の周囲を取りまいている「転経」回廊。毎日多くの信徒たちが、「転経」するためにやってくる

  タツァ寺の各殿堂と寺院のチベット医病院を見学していたとき、突然、「法号」の低い音が聞こえてきた。「法号」とは、1人では担ぐことができないほど大きく長いラッパで、チベット仏教の寺院では、欠くことのできないものである。活仏は、ラマ僧たちの日課である「弁経」が始まるのだと言う。

  翌日の早朝、タツァ寺の後ろにある山に登り、日の出を撮影した。朝日のもと、タツァ寺は線香の煙がたちこめ、図書館がとても雄大に見えた。(2006年3月号より)




 

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