山西省大同市鎮辺堡・春節

古村を 彩る民間芸能の華


写真 文・李有祥

 

 

 大晦日の朝早く、私は大同に向かうバスに乗り込んだ。バスのなかは春節(旧正月)の帰省客でいっぱいで、乗り合わせた人々の話し声は、寒さをふきとばしてしまうほどのにぎやかさだった。

 目的地、鎮辺堡の5キロ手前で、私はバスを下りた。一人荒野の中を歩き、厳冬の情緒を味わいたかったのだ。歩いていると、二台のトラクターがやってくるのが見えた。後ろにつけた荷台には人がぎゅうぎゅうに乗って、みな銅鑼や太鼓をさかんに打ち鳴らしている。春節の華やいだ気分がそのリズムから伝わって来るようだ。

 鎮辺堡は、もとは長城を守るためにその外側に建てられた砦(堡子)が次第に町として発展したものだ。「堡子」は、明代(1368〜1644)に建てられたもので、高さ7メートルの土壁が一周約2キロ巡らされている。かつては兵士が中に駐屯して防衛にあたると同時に、食糧を蓄えておく場所であり、のちには庶民がそこに暮らすようになった。数百年の風雪を経て、大部分が崩れているが、なんともいえない風情がある場所だ。

 到着後、私はまず西門から中に入ってみた。ここから東門まで一本の大通りが走っており、中央で南北に走る大通りと十文字に交差している。村の家々は斜面に横穴を掘って部屋をつくり、正面の壁は泥煉瓦を積んだもの。どの家も窓には剪紙を、入り口にはおめでたい文句を書いた対聯を左右に貼り、さらに赤い灯籠を吊している。

 かつて村の中央には、古い舞台があった。舞台は、今ではレンガで建て直され、さらに大きなものとなっている。ここでは拍子木にあわせて歌い、演じる「バンズ」と呼ばれる地方劇が行われる。

 夜、村長が私を年越しの食事に招いてくれた。客の数は多く、オンドルの上に座りきれない人は立ったまま、互いに話し始めると瞬く間に夜が更けていく。かつて堡子のなかの村は、貧しく閉鎖的だった。それでも何人も優秀な人間が出ていて、現在の郷長も県長もこの村の出身、それに省都の太原で幹部となっている人もいる。ほかにも都市部に出稼ぎに行き、レストランなどを経営している成功例もあるそうだ。今では外国人や記者などがひんぱんに訪れ、長城の遺跡としてすぐれた価値があり、しかも風光明媚、交通の便も悪くないこの地の条件を生かし、観光地として開発するよう熱心に勧めてくれるという。

   

 中国の春節は、大晦日から始まり、旧暦1月15日まで、約半月にわたって祝いの行事が続く。私はその間、村の東門近くの王才さんの家にお世話になった。

 北方人の伝統的な習慣を守り、王家でも春節の食卓には餃子が欠かせない。王家の餃子は独特のもので、まずジャガイモをゆで、皮をむいてすりつぶしペースト状にする。そして山西省特産のオートムギの一種である「ンッ面」の粉をまぜる。それをこねてのばして餃子の皮にし、肉と野菜の餡を包む。そして強火で素早く蒸す。蒸し上がった餃子は皮が透き通り、実においしい。大同の街では、高級レストランだけで賞味でき、「水晶餃子」という雅やかな名前がつけられているそうだ。

 餃子作りは一家総出の仕事だ。王才さんの奥さんを中心に、17歳の娘と、二人の嫁、それに王才さんの76歳になる母親までオンドルの上に座りこみ、みなと一緒に餃子を包む。大部分の餃子が包み終わったところで、81歳になる父親が村の散歩から戻り、仕入れてきた最新のニュースをみなに語って聞かせる。そうしている間に、餃子が蒸し上がり、食卓に運ばれてきた。

 春節の期間、村で行われる催しには様々なものがある。「旱船」は竹などを骨組みにし、そこに布をはって船を作り、化粧を施した人が中に入って練り歩くもの。「高チャオ」は足に棒をつけて歩く竹馬のようなもの。そのほか、「秧歌」と呼ばれる北方の伝統的な踊りの動作をしながら練り歩く隊列など、それぞれが家々を回って新年を祝いつつ、人々を演芸の場に誘いだす。

 そのような多くの民間演芸のなかで、「撓擱」は特に山西省に独特なものとして知られている。これは2メートルほどもある鉄の棒を男性たちの背中にくくりつけ、その上に5、6歳の子供を座らせ、バランスをとりながら銅鑼のリズムにあわせて踊るという至難のわざで、300年の歴史がある。「底座」と呼ばれるかつぎ役の男性たちは3、40歳の壮年が中心だが、なかには70歳過ぎで参加する人もいる。子供たちは、道教でいうところの「金童玉女」、つまり仙人に仕える童子の象徴で、みな母親の手によってきれいに化粧を施され、華やかな衣装をまとっている。それぞれの化粧や衣装は、伝説の中の登場人物にあわせているのだという。

 「撓擱」は、みなが一列に整列するところから始まる。銅鑼が鳴ると、隊列はさまざまな形に変化を始める。かつぎ手は足元をしっかり据え、腰をピンと伸ばし、見事にバランスをとりながら、右に左に回りながら踊る。それにつれて子供たちの衣装がひらひらと風に揺れ、なんとも幻想的な風景となる。

 見守る村人の中で、何といっても一番興奮しているのは子供たちの両親や祖父母だ。晴れ姿の我が子の名前をさかんに呼び、何とか自分のほうを振り向かせようとする。子供たちもかつぎ手の大人も、誰かがシャッターチャンスを狙っているとわかると、さらに踊りに力が入る……。

 最後の元宵節の夜、満月のもと村では大きなかがり火が焚かれる。村中の人々が集まり、婦人たちによる秧歌や花火を楽しむ。

 婦人たちは踊りの前に、手鏡に向かい華やかな化粧を施す。踊り手はみな赤い綿入りの上着を着ている。この赤い上着は村の婦人たちが嫁入りの時に用意するもので、普段は大事にしまっておき、一年に一度、春節だけに着るものだという。

 深夜零時、村人の興奮はいっそう高まる。灯籠の赤、剪紙の赤、婦人たちの上着の赤。それにかがり火の赤い炎にとり囲む老若男女の華やいだ笑顔が映る。

 翌日の旧暦1月16日、私は村の幹部や王さん一家に別れを告げ、村を去った。村中が赤で包まれた昨日までと一転して、今日は白い雪が舞っている。静かな安らぎに満ちた雪景色はまた、新しい年の村人の安寧を象徴する、幸運の印のように私には思われた。 (2001年3月号より)