雲南省彌 勒県西一郷・火祭り

  炎に捧げる情熱


写真・文 劉世昭 

   

 雲南省彌勒県西一郷の紅万村には、彝(イ)族の一支族であるアシ人が住む。イ族は伝統的に火を崇める民族で、多くの宗教的行事のなかでも特に、火神に関する祭りを重視する。紅万村では、その原始的な祭りの形態が今日まで続いている。

 伝説では、古代アシ人たちが狩りに出かけた厳冬のある日、持っていた火種が雨風によって消されてしまい、寒さに苦しんだことがあった。人々の手足は凍え、老木の下に避難し、お互いに寄り添ってただ耐え抜くしかなかった。この時、ムドンと呼ばれる男が、仲間の輪から出て、朽ちた倒木の上にまたがり、棒で木をこすり始めた。三日三晩それを続けて、陰暦の2月3日、ついに火をおこすことができ、人々は再び暖をとり、温かい食事をすることができた。

 ムドンはそれからアシ人の英雄となり、後に火神として崇められるようになった。そして、いつのころからか、アシ人は毎年陰暦の1月末から2月初めにかけて、「ムドンサイル」とアシ人の言葉で呼ばれる火祭りをおこなうようになった。

 火祭りの前日には、村人はまず「ミジ」と呼ばれる儀式を行う。

 「ミジ」は、アシ人の言葉では「竜」のこと。この儀式は、厳粛なもので、女性は参加することができない決まりとなっている。

 朝早く、村中の男たちは「ビマ」の指揮のもと、ブタを村の背後にある祭竜山まで連れていき、その場で屠って「竜樹」に捧げる。ビマはイ族の言葉で、民族の歴史と卜占に深い知識を持ち、村の大小の行事を司る者のこと、「竜樹」は村人から崇拝される老木のこと。ビマはその根元に祭壇をあつらえ、ブタの頭や白酒を供える。そして、ひざまずき、経文を唱え、五穀豊穣および村人と家畜の平安を祈る。続いて、ビマと村の男たちは、祭壇の前に集まり、十回の叩頭を繰り返す。

  「ミジ」の儀式が終わると村中の男女が山に集まり、大鍋で食事を作り、皆で共に食べる。食事が終わると、村人たちは村に戻り、翌日の祭りの準備を始める。

  二日目、朝早く村に到着して、村の門を見ると、コノテガシワの枝でそこが飾られているのが見える。門の上には厄除けのための木刀が、先を交わす形で重ねられている。また門では、列に並べられた柴が燃やされ、通行が塞がれている。これは「火門」と呼ばれ、火祭りに参加するために村に入る客はみな、火を飛び越えなければならず、これで厄除けができるとされている。

  「火門」のまわりには、盛装に身をつつんだイ族の女性たちが並び、チャルメラをにぎやかに吹き続け、遠来からの客を歓迎する。

  村に入ると、村人たちが竹カゴに松葉を山盛りにし、村の道路に、300から500メートルも敷きつめている姿が見える。ここが後で宴席の食卓として使われるのだ。

  正午になると、村人はこの上にイ族伝統の酒肴である塊肉、各種の野菜、自家製のコメで作った酒などを並べ、村の長老と着飾った娘たちは、歌いながら客人に酒をすすめる。また傍らで三弦琴や三弦の胡弓を弾き、口弦と呼ばれる独特の管弦楽器や、横笛、チャルメラなどを吹く。人々の笑い声、話声が明るく響きわたる。

  盛大な宴席が終わると、人々は広場に集まり、男女ともイ族の舞踏に興じる。 情熱的な踊り、優雅な踊り、刀を使う勇壮な踊り、など様々な舞踏に、見物人から拍手と歓声があがる。

  踊りに参加する村の男たちは、その前に化粧を施す。化粧をする男たちは、人目を避けて村の外の密林に行き、紅、黄、黒、白、茶の大地を代表する五色を体の各部に塗り、様々な図案を描き出す。 伝統的かつ個性的な図案や、彼らのいでたちには、アシ人たちの歴史、文化が体現されている。それには、動物をテーマにしたトーテミズムを感じさせるものもあれば、祖先やその霊に対する崇拝を表現したものもある。また陰部の前に彼らが神聖なものとしてあがめるひょうたんをつるし、性への崇拝を表している男もいる。ある青年は、体に「人」「火神」「中国」「香港」、それに「日本」などという国家や地域名を書き、時代に対する敏感さを表現している。

  午後三時、広場ではまだ舞踏が続く間、男たちは化粧に取りかかる。ビマは村の長老たち何人かを連れて、村の老木の下に移動する。そしてここに村人がこしらえたばかりの火神像を据える。火神像は左手に刀を持ち、右手に火種を持つ。火祭りの第一の儀式である「取火」がここで行われる。

  ビマは火神像のわきに祭壇をこしらえ、経文を唱え始める。四人の長老が約1メートルほどの棒を持ち、穴のあいた枯れ木に差し入れて、力をあわせて木の棒をこすり始める。彼らは絶えず位置をかえ、また頻繁に棒を取出し、穴に指を入れて、中の温度の変化を見る。

 五分もして、穴の温度がじゅうぶんになると、その四方に草を置き、次々に穴に入れていく。しばらくすると、穴から淡い、青い煙が立ち上る。

「火がおきた! 火がおきた!」と長老たちは声をあげる。彼らは草を吹いて炎をおこし、さらに柴を加える。火がますます燃え上がると、老人たちはいけにえにするオンドリを抱いて、まるで子供のように歌ったり踊ったりする。

  しばらくして、角笛が高らかに響き、ドラが鳴り、火祭りの行列はビマの指揮に従って、出発する。そのうちの二人は、十数本の木刀を荒縄で横一列になるように束ね、両端を竹竿に結び付けた「刀樹」と呼ばれるものを担ぐ。これは厄除けに使われるものだという。行列の先頭は、新たにおこした火種を盆のなかに入れて担いだ二人、さらに別の男に担がれた火神像が続き、その後ろに人々が続く。

  行列は村を練り歩き、家々の門に至ると、村人はそこから火種を取る。そして盆の中にブタの脂身を供える。行列はこうして、立ち止まりながら進んでいくが、後ろの化粧をした男たちの数は、次第にふくれあがっていく。彼らは、シュロの毛で妖怪や、獣の形の飾りを作って頭に被り、腰には樹皮を下げ、木の葉で体を被う。

  それぞれが木製の刀、銃、棍棒などを下げ、さらに竹ヒゴとシュロの毛で馬をつくり、それにまたがる。彼らは叫び、踊り、おもしろおかしい身振りをして、見守る村人をおおいに楽しませる。古代からそのまま続いているような、彼らの舞踏には、アシ人の精神に連綿と続く自然崇拝が伺える。

  行列が至るところ、その場は、はじけるようになる。例えば村のため池に着くと、ある者は水に向かって踊り、ある者はそこに飛び込んで踊りだし、ある者は、中の泥をすくい、互いの体に塗る。そして彼らの「馬」に水を飲ませる動作をする。

  アシ人は万物に神が宿り、火には火の、水には水の神が存在すると信じる。つまり、ため池での彼らの振る舞いは、水神に対する信仰の表れでもある。

  行列は村を一周し、やがて村の中央の広場に至る。人々はかがり火をたき、その周囲で踊り、手にした木刀や棍棒などを火に放りこむ。

  踊りが最高潮に達すると、やがて炎の上を飛び越す者が次々に現れる。

  その時、火神像を担いだ四人の村人が広場からふと姿を消す。彼らは、村の外の林の中に火神像を捨て、その後、林の中を全力で駆け抜けて自分の家に戻る。

  アシ人は火神像が村の災厄をすべて持ち去ったことで、村の平安が守られると信じる。(2001年6月号より)