雲南省紅河ハニ族イ族自治州金平県
はるか昔の年の暮れ、村が外敵に脅かされ、男たちは一丸となって立ち上がった。敵を倒し勝利を得て村に戻ると、時はすでに春節も終わるころとなっていた。村を守っていた女性たちは、夫や兄弟の勝利を祝い、ブタやニワトリを屠って酒を準備し、彼らのためにもう一度春節を盛大におこなうことにし、それは8日間にもなった。この祝いが今日まで続き、男人節となったという。李さんはまた、毎年旧暦1月29日から2月6日にかけて、村を流れる川の流域のダイ族とチワン族の村でも、みなこの祭りを開催すると教えてくれた。 到着して二日目は、ちょうど旧暦1月29日だった。朝早く、盛装を身にまとった村人たちが村の入り口に並び、客の到来を迎える。李老人も彼らの中に立ち、ダイ族独特の弦楽器で、ゆったりとした旋律の曲を奏でている。彼の話では、弦楽器は自分で作ったもので、「葫蘆琴」と呼ばれる名前の通り、原材料は自然に実るヒョウタンだという。大きなものは1メートル以上もある。これはダイ族の男性の楽器であり、踊る時、または恋を語る時、奏でるのだという。隊列のなかの娘たちは、目にも鮮やかな民族衣装をまとい、手には酒杯をかかげて来賓にすすめ、それから五彩のスカーフを訪れた人の頭に結ぶ。一列になった男たちは手に自家製の猟銃を持ち、空に向かって撃つ。銃声は渓谷に響き渡り、その耳をつんざくような音はまさに男性の祭りの始まりを思わせる。
午後1時、祭りの序幕が切って落とされた。この時、黒い服に身を包んだ屈強な男たちは、村の外に集まっている。銃声が響くと、当時の凱旋戦士を象徴する男たちは、刀と銃を背負い、手には旗を掲げて田の間の小道を村にむかって進む。村の長老は女性たちを率いて、手に酒を捧げ、彼らを歓迎する。戦士たちは村の入り口で跪き、隊を率いるリーダーは、長老が捧げる二杯の酒を厳粛な様子でおしいただき、それを地に注ぐ。これは村を守るために犠牲となった尊い兄弟たちに捧げるものだという。彼が三杯めを飲み干すと、女性たちは次に酒を自分の夫に捧げる。酒を飲み終わると、男たちは村の入り口の広場で手に刀を持って舞を始める。これは戦場での勇敢な戦いと同時に、彼等の勝利の歓びを表す。男性たちの舞が終わると、鮮やかに染めた絹を持った女性たちの伝統の舞が始まる。周囲の村からもたくさんの見物人が訪れ、彼らは、吊り橋、山の中腹、木陰などに陣取り、催しを見物する。土地の人たちに教わって私も女性たちの服装から、チワン族、ハニ族、ミャオ族、ヤオ族が見分けられるようになった。つまり、今では男人節は周囲の村の人々の大集会になっているのだ。
男人節では、多くの男性むけの娯楽が行われる。特に三階建ての高さくらいはあると思われる竹竿にのぼる競技は最も人目をひく。二本の竹の先には赤い糸で葫蘆琴が結ばれ、選手は両手だけを使って竹をよじ登る。竹のてっぺんにたどり着いた者は勝利の印に琴を鳴らす。 このような催しは、参加者の腕とともに強さを示すことができるため、男たちは競って競技に参加したがる。勝利者はまた下りてから2元から10元くらいのお金が包まれた「紅包」を受け取り、形ばかりの励ましを受ける。包みを開く男たちの周りでは笑い声や歓声がこだまする。
川岸はさらにたいへんな盛り上がりになっている。村人たちは橋の下に、竹や木、石で臨時の堤防を築き、水をせきとめて小さな池をつくる。この池では二競技が行われる。一つは男性が水に潜り、腕輪を探す。主催者は、女性用の腕輪を象徴する金属の輪を水に投げ入れ、男性たちがそれを潜って探す。金属の輪は直径約七センチ、紅絹で包まれている。潜るのは一度だけ、という決まりのため、男たちはまず深く息を吸い、水に入っていく。10秒、20秒、1分、2分……ついにまず一人、耐え切れなくなった者が苦笑しつつ顔をだす。そのあと「ホラ!」という声が聞こえ、手に高く腕輪を掲げた勝者が顔を出す。見物人のうち一番喜んでいるのは、もちろん彼の妻だ。そしてまた金属の輪が投げ入れられ、男たちが潜り始める。 池の端では、二つのいかだが浮かべられ、競争が始まる。もともと山の民である彼らは棹の使い方には慣れていない。棹はいうことを聞かない玩具のようであり、いかだはその場で回転するばかりだ。時にはかんしゃくをおこして力いっぱい棹をこぎ、かえって水中に投げ出され、見物人の爆笑を誘う者もいる。黄昏が近くなると、村の通りには多くの食卓が並べられ、延々と500メートルにも及ぶ。食卓の上にはダイ族独特の料理が並ぶ。盛装をまとった娘たちが席を回って酒をすすめ、宴はおおいに盛り上がる。私は撮影を理由に、なんとか白酒を逃れていたが、最後には十数杯もの白酒を飲まされることになり、アルコール度50度以上もあるその強烈な液体に、頭がくらくらしてしまった。
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