雲南省寧ロウ県モースオ人・成年礼
    人間として認められる13歳

写真・文 狄 華 

 


「成年礼」が終わると、村人は総出で山に登り先祖を祀り、歌い踊る(前列中央が承昆さん)
 

 北京から丸四日を掛けて、雲南省と四川省の省境・寧ロウ県にある瀘沽湖湖畔のモースオ(摩梭)人居住区に到着したのは、大晦日前夜だった。

 モースオ人は、今でも母系社会の伝統を守り続けている部族で、1年2回、年越しを祝う。一つは「小正月」で、旧暦10月、秋の収穫後の吉日に、お祝いとして豚をさばき、母系のごく近い親族を招待して祖先の霊を祀り一家団欒する。もう一つは、臘月(旧暦12月、新暦1月前後)下旬から翌年正月(旧暦1月)15日までの「大正月」だ。「大正月」は入念な準備をして迎え、盛大な儀式や長期間に及ぶ多彩な祝賀活動を行う。私の寧ン県洛水村への到着が遅れたため、お祭り準備はすでに終わっていて、せわしなさを体感することはできなかったが、今回の最大の目的であった「成年礼」の儀式には間に合った。


スカートを穿いたh珠さんは、
人を惹きつける魅力がいっぱい


h珠さんは服をすべて脱ぎ
捨て、母親が「宅傑」(女
の子の成年礼)を行う

 「成年礼」は、モースオ人に千年来受け継がれてきた風習だ。満13歳になったすべての少年少女は、旧暦の正月元旦、ニワトリが朝の訪れを告げる頃、各家庭で成人の儀式を行う。ここの母系家庭では、未成年と成年に厳格な区別があり、未成年者は、家庭でも社会でも大人なら当然のように享受できる権利がない。「13歳未満の子供は、神様から魂を与えられていない」という考えがあるからだ。このように、子供は正式な家族の一員と認められていないため、各種社交活動に参加できず、結婚できず、夭折しても同族の共同墓地に葬られない。「成年礼」は、生命の正真正銘のはじまりと言え、モースオ人にとって一生で最も大事な行事と言える。

 「成年礼」では、経を詠むラマ僧と、母系家庭の直系親族である外祖母、母親、おば、兄弟姉妹以外の部外者は部屋に入れず、儀式を垣間見ることすら許されない。しかし30年間で6回、当地に足を運んでいた私のことを洛水村の人たちは家族のように思ってくれていて、再三の願いを聞き入れてくれ、上洛水村の少女・銷珠さんと、下洛水村の少年・承昆さんの儀式に参加できた。


「成年礼」を終えたば
かりのモースオの少女

「成年礼」が終わると、モースオでは女の子のために「花房」(プライベートルーム)を準備する

 上洛水村は山際、下洛水村は湖沿いにあり、わずか2キロしか離れていない。二つの村では、昔から男性は女性を娶らず、女性は男性に嫁がずという通い婚の習慣があり、二人が心から引かれた場合にのみ、結婚生活を送る。夜遅く、みんなが寝静まった頃、男性は思いを寄せる女性の家へ密かに出掛けていく。そして石を投げ、猫や犬の鳴き声をまねて注意を惹き、女性は約束していた暗号を聞きつけた時にだけ門を開けて男性を招き入れる。普通二人は夜明け前に別れるため、誰一人、二人の情事を知ることはなく、二人の気持ちが離れた時には簡単に別れられる。両村間では、「恋人交換」は日常的だが、色恋沙汰で殴り合いのけんかや殺人事件などが起こったことは一度もない。「恋人村」には平安無事な日々が続いている。


年越しの際、モースオ人はお祝
いに豚を殺し、「血腸」を作る
 大晦日の夜、瀘沽湖で降っていた雨は、夜遅く大雪に変わり、もっとうんざりしたのは、停電で真っ暗闇になってしまったことだ。私の心も重苦しくなった。

 元旦の早朝4時、私は一夜を過ごした下洛水村から早々出発し、月光が弱く風が強く肌寒い夜を押して、心もとない足取りでまっすぐ上洛水村へと向かった。この時私は、「こんな五本の指も見えないような闇夜に、モースオの男性はぬかるんだ小道を進んで恋人と密会するんだから、通い婚は本当に厄介な習慣だ」と思ったものだった。

 銷珠さんの家の入り口に着くと、門の隙間から明るいロウソクの光が漏れていた。彼女のおじが門を開けてくれ、母親が「一梅」(モースオの外祖母が住む部屋で、家族が食事、会議、儀式を行う広間)と呼ばれる母屋に連れて行ってくれた。高齢の外祖母は、かしこまって火塘(土間を掘って作った簡単な炉)のそばに座り、私を見てちょっと頭を下げ微笑をたたえて歓迎の意を示した。火塘の火が大きく燃え立ち、部屋には暖かさがみなぎっていた。銷珠さんはまだベッドから起きようとしない。――今日は家族の前で甘えられる最後の日。「成年礼」を行えば、二度と女の子のような態度は取れなくなる。

 儀式が始まって初めて、なぜ「成年礼」に身内以外を参加させないかがわかった。儀式の前、銷珠さんは一糸まとわぬ姿になり、下着から上着まですべてを新しい服に着替えたのだ。「女の子」はこの時からロングスカートを穿くようになる。これを「宅傑」(女の子の成年礼)と呼んでいる。銷珠さんは柱の前で豚の脂身(豚を丸々一頭塩漬けにして琵琶状に縫い付けたもの。数年間保存でき、富の象徴とされる)の上に立ち、母親は娘にゆっくりと大きくて真っ白なロングスカート、錦の上着を着せ、腰帯をしっかりと締め、最後にお下げを結ってマゲを作った。立派なマゲには、たくさんのお飾りがついていて、美しく揺れ動く。女性のしとやかな美しさを身に付けた美少女は、こうして親族の前に姿を現した。火塘端にひざまずいた兄弟姉妹は、儀式を見ながら声を合わせて祝福した。母親は、念入りに娘の着付と化粧をしながら、「おまえはツツジのようにきれいで、緑の農作物のように優しい……私は……娘が見つけたアシャオ(阿夏)(モースオ人の言葉で恋人のこと)が聡明で仕事ができ、産んだ息子は駒馬にも勝ることを願う」と、ささやくような小声でお祝いの言葉を述べた。

 その後私は、下洛水村の承昆さんの「成年礼」に遅れないよう、儀式が終わるのも待たずにあたふたと下洛水村へ向かった。


モースオ人は、女性も
騎馬技術に長けている

モースオ人は重要行事があると、必ずラマ僧を呼んで念仏を上げる

 承昆さんのところには、すでに部屋いっぱいの親族が押しかけていた。モースオの少年の「成年礼」は、通常おじが進行役を務めるが、彼にはおじがなく、母系の同系で干支が同組の従姉(モースオ人は、12支を四組に分ける。承昆さんと同組の干支は、とり、うし、み)が司会を担当した。従姉は美しく威厳があり、慣れた手つきで従弟の着替えを手伝い、脇差を添え、チベット式の礼帽をかぶせた。情け深げに「習傑」(男の子の成年礼)を進めながら、「小さな苗木が大きくなった。小承昆が大人になった。弟よ、今日はあなたのお祝いの日、これから日ごとに強くなることを願っています。植えた農作物は、一粒が百粒に増え、放し飼いにした家畜は一頭が百頭に増えますように」と心を込めて願を掛けた。まだ子供っぽさが抜けない承昆さんは、成人の服を着ても、子供天性のわんぱくさで何度も変な顔をして、みんなの笑いを取った。

 お祝いが続く中、承昆さんは親族に向かって恭しくぬかずいて、蘇里瑪酒(モースオ人がトウモロコシから作る醸造酒。甘酸っぱい)を献上して回った。最後にはにこにこしながら私の前に来て、丁寧にぬかずき、杯を高く挙げて酒を勧めた。私は一気に飲み干してから、持ってきたお祝い品とお祝い金を渡した。すべてが終わってから、「お祝い品の中で何が一番好き?」と聞いてみたら、いたずらっぽく目をぱちぱちさせて、「もちろん果物パンだよ。おじさん、まだある?」と耳元でこっそりと聞いてきた。


瀘沽湖湖畔の洛水村
の朝(写真 劉世昭)

神秘の高原湖――瀘沽
湖(写真 劉世昭)

 各家ごとの「成年礼」が終わると、村人はみんなで山に登り先祖を祀る。モースオ人は、色とりどりの経幡を路上の木の枝に結びつけるが、風に吹かれてなびく様は、まるで経を上げて祝福しているかのようだ。山頂の平らな場所に着くと、一家そろって腰をおろし、テーブルクロスの上にトウモロコシ飴、揚げ米餅、ゴマ、落花生、点心を広げ、心ゆくまで酒を飲む。承昆さん、銷珠さんをはじめ、この日「成年礼」を終えたばかりの少年少女は、それぞれ青年の男女が作った合唱隊に入って、お兄さん、お姉さんらを真似て、歌遊びや冗談でからかい合う遊びなどをして時を過ごす。歌詞はまったく理解できないが、感情の高まりを感じさせる歌声と興奮して幸せそうな表情からは、青春真っ只中の男女のまるで炎のような情熱を感じ取ることができた。

 その後の数日間は、湖で遊んだり、レスリングに興じたり、集団舞踏を踊ったり……それに、近所の家を渡り歩いて飲み食いをして、心の底から年越しのお祭り気分を味わう。(2001年11月号より)