福建省南部(ビン南地方) ・春節
年に一度の夢の生活
北京での生活が長くなり、昔のにぎやかだった春節(旧正月)への印象は、だんだんぼんやりとしたものになってしまっていた。昨年、私は福建省南部(別称ビン南)で、久しぶりにイベント盛りだくさんの春節を過ごした。
ビン南民間には、昔から、「冬至はあらゆることが好転し、万物が息を吹き返す」という言い伝えがある。「冬至の大掃除」という言葉もあるように、この日から、一家あげて庭を清め、寝具をばらして叩きなおし、新しい服を揃え、家畜を殺し、お餅をつき、春聯を準備するなど、新しい年を迎える準備を始める。この「冬至の大掃除」は、古代に病や不吉を取り払う目的で始まった宗教儀式で、もっとも重要な行事は、かまど、先祖、神を祭ることだ。 かまどの神を祭るのは、旧暦12月23日だ。言い伝えによると、かまどの神はこの日、天上界に人間界の様子を報告する。人は、良い報告をしてほしいと願い、家族の平穏無事と幸運をかまどの神に祈るようになった。同地の人たちはこの日を「小さな年越し」と呼んでいる。かまど祭りでは、たくさんのお供え物が準備される。欠かせないのは、果物、角砂糖、ミカンだ。
ビン南にある石獅市は、以前は村だったとても小さな地域だ。いまでは経済力がつき、社会が安定し、消費力もますます強くなった。「小さな年越し」のあと、誰もがせわしなく年貨(年越し用品)の買い出しを始める。大通りもわき道も、どこもかしこも人であふれ、なんともにぎやかだ。日頃は質素に生活する人々も、年末には、決して後悔しないようにと、思い切り楽しもうとする。あらゆる贅沢――例えば、おいしいもの、美しい衣装、おもしろいもの、奇抜な発想などが、年越しの数日に一気に現れる。ある人はこう言う。年越しは生活の理想化であり、理想の生活化である。年越しは、理想と現実の境がなくなる時であり、人の心の中でもっとも輝かしく、もっとも美しい夢のような時である。
ビン南地区の晋江、ショウ州一帯の街で、私は夢のような感覚を味わった。旧暦12月28日以降は、ゆく年のクライマックスだ。各家庭では、ニワトリ、アヒル、ガチョウの丸焼き、焼きもち、ジャムや野菜入りの蒸しパンを精緻な漆塗りの食器に盛り付けるか、または彩色上絵のある竹かごに入れて、父母や関係の近い家族・親族に送り届ける。街は、てんびん棒を担いだ人、入念に化粧をして着飾った女性であふれ、ハレの日のにぎやかさに包まれ、美しい景観だった。 旧暦の大晦日の夜、年越しイベントは最高潮を迎える。泉州の人は、この日のことを「年兜」と呼び、どの家でも朝早くから起き出して、先祖を祭る儀式の準備をする。お餅をつき、卵餃子を焼き、肉団子を揚げ、ジャム入りの蒸しパンを作る――夜になると、テーブルの上には早々たくさんのおいしそうな料理が並べられ、先祖と神々に祈りを捧げ、先祖にゆく年を報告する。料理を並べた後、子孫たちは先祖に向かってぬかずく。食事が始まると、家族全員は、あらかじめ折りたたんでおいた紙銭を紙袋の中に入れ、庭で燃やし、先祖が迷わないように導く。人々は先祖を心から敬い、子供、孫の代まで幸福で健康であるよう、家業繁盛を祈りご加護をお願いする。春節に先祖を祭る習俗は、伝統的論理観念である「百善より孝を先にせよ」という言葉の意味を反映している。
先祖へのお祈りが終わると、年夜飯(大晦日の晩餐)が始まる。実家から離れて仕事をしている家族、商売をしている家族、学校へ通っている家族も、今の住まいがふるさとからどんなに遠くても、また、どんなに忙しくても、大晦日には必ず家に戻り、家族の絆を確かめ合うのが慣わしだ。ビン南の年夜飯は盛りだくさんで、長年中国北部に生活していた客人である私は、大いに驚かされた。テーブルの上には、おいそうな料理があふれんばかりに並べられ、どこから箸をつけて良いか困るほどだった。 一つの料理を食べ終わる前に、新しい料理が運ばれてきた。これにはわけがある。たくさんの料理は、その家の豊かさを表し、食べ終わる前に次の料理を運んで来ることは、余裕のあることを示している。お碗いっぱいの肉団子は、団欒に彩りを添え、卵餃子は、マンダリンの発音では「餃」と「交」は同じ音であることから、幸運との交わりに通じると考えられている。また、魚肉団子のあんかけスープには、老人と子供の元気を願う気持ちが込められている。私は何度も遠慮なく食べるよう勧められたが、魚の姿焼きだけは箸をつけてはいけないそうだ。なぜならこれは「見る料理」で、年々生活に余裕が出るようにという願いが込められているからだ。
年夜飯は、夜遅くまで続いた。次は新年のあいさつ回り。子供たちが待ちに待った時で、まずは世代順に年長者に礼を示すために頭を下げ、新年のあいさつをする。これが終わると、年長者はふところから紅包(お年玉袋)を取り出して、子供たちに配る。子孫を j福し、愛情を示し、激励する意味がある。私も「郷に入っては郷に従え」という気持ちで、子供たちに紅包をあげた。聞くところによると、お年玉は相当な額になり、お金持ちの子息に至っては、驚くような数字になるという。 大晦日の夜、各家の窓からは明るい光がもれ、子供からお年寄りまで寝ずに年を越す。これを「守歳」といい、長寿を願う意味がある。この日は、午前零時をはさんで、一晩で2年、すなわち二歳分を過ごすことができることから、このような習慣がある。午前零時、新年になると、泉州の街中に爆竹の音が響き、そのつんざくような音が、春の訪れを告げる。
夜遅くなると、遊びつかれる人も出てくる。まだまだ遊び足りない子供たちも、最後には一人また一人と、上のまぶたと下のまぶたが仲良くなり、体が前後に揺れだした。女性たちは子供を抱きかかえて寝室に運び、あらかじめ準備しておいたミカンとレイシを枕もとに置いた。次の日、子供たちは目を覚ますと、真っ先にこれらの皮をむいて口の中に放り込む。この二つの果物のマンダリンの発音は、「吉利」に近く、幸運を意味する。 街のお祭り騒ぎは、春節元日から十五日(元宵節)まで続く。人々は祖廟に行って先祖を祭り、城隍廟で焼香をしたりする。通りでの春節のイベントも、興味深いものばかりだ。中でも特に注目を集めたのは、様々な劇中人物が乗り、飾り立てられた車や、高竹馬を履き歌い踊る人たち。また、大通りのステージでは、年配者が唐宋代の古曲と明代の散曲を演奏していて、ゆったりとした南音(広東・福建省近辺の古典音楽)が人を陶酔させてくれる。地方色豊かな「拍胸舞」では、四名の屈強な男がもろ肌脱ぎになって体を叩き、赤い腰巻を締めて踊る。それは半かがみで上下に体を揺する踊りで、ゆっくりとしたリズムに合わせ、手で胸、肩、腕、ひざなどを打ち、ぱちぱちと音を発する――。 年越し行事には、深い歴史ある文化、濃い郷土的雰囲気が息づき、忘れがたい思い出となる。(2002年2月号より) |