青海省同仁県チベット族・6月会
平和をねがう煙の祝祭
私たちは昨年8月4日(旧暦6月15日)、青海省の省都・西寧市から約180キロ離れた隆務鎮(黄南チベット族自治州同仁県)を訪ねた。ここには、シャーマニズムとチベット仏教の両方の影響を受けて、千年以上も継承されてきた「6月会」というお祭りがある。 6月会の由来には二つの言い伝えがある。
ひとつは、こんな伝説だ。はるか昔、隆務鎮には人に危害を加える多くの猛獣が棲息していた。その後、インドから飛来したオオトリがそれらの猛獣を成敗し、近くの西山に君臨するようになった。チベット語ではオオトリを「夏瓊」と呼ぶが、これこそが伝説の「夏瓊神」である。その神を祭るために、毎年開かれるようになったのが6月会である。
もうひとつは、少し信憑性の高い言い伝えだ。紀元前9世紀の初頭、唐と吐蕃(青海・チベット高原にあった王国)の間には争いが絶えず、民衆は安心して生活できなかった。やがて吐蕃の勢力は弱まり、唐の皇帝やチベット仏教の活仏など双方の権力者の努力で、ようやく和解が実現した。感動した将兵たちは、平和を記念して、毎年6月会を開くようになり、それが現在まで伝えられてきた。 六月会がはじまる旧暦6月16日の早朝、まずは若者が「夏瓊神の御輿」を寺院から担ぎ出し、マツ、カシワ、ヤナギの枝と各種ハダ(薄絹。普通、賓客や神に贈る)、シルクで飾り付ける。そして、村の法師が御輿を先導して、祭日の盛装を身に付けた人たちと一緒に各戸を回って祭事を執り行う。これには災難から身を守り邪気を払い、村の安定と五穀豊穣を祈る意味がある。 翌日の朝からは、各戸でお供え物を作り、きれいな花飾りをほどこしてから、「夏瓊神」を祭る寺院まで運ぶ。この他にも村ごとに、戦死した将兵たちを弔うために、「白祭」と称して餅、酥油(バター)、酒、生花、果物を供え、「赤祭」と称して牛や羊の血を捧げる。
これらの祭事が終わると、男たちは法師に導かれて、色とりどりの旗をかかげ、ドラを叩きながら、長い隊列を作って山に登る。山頂の「ラプゼ」(神が住む神聖な場所)に着くと、儀式がはじまる。 法師はまず、山の神々に各種お供えをし、「ワイ桑」(マツやカシワの枝、餅などで作ったもので、火をつけても燃え上がらず、煙が多く出るつくりになっている)に火をつけて、煙を立ちのぼらせ、爆竹を鳴らす。そして「ワイ桑」を置く場所に白酒とヨーグルトをかけ、空に向かってハダカムギをまき散らし、最後にラプゼに木矢を突き刺す。これらは永遠の休戦を意味する。人々はまた、土地の神々の旗をかかげ、輪を作って踊り、神の名である「ウオハ」を大声で叫ぶ。そして、歩きながら「ロンダ」と呼ばれる馬、竜、獅子、トラ、オオトリなどが描かれた色紙を空に向かってばらまく。 山から寺院前の広場まで戻ると、ここでも「ワイ桑」に火をつけ、村人全員で伝統のお祭り舞踏を踊り、6月会のクライマックスを迎える。踊りは7〜8種類あるが、特によく踊られるのは、神舞「ラシゼ」、竜舞「ルシゼ」、軍舞「モヘゼ」の三種類だ。 神舞「ラシゼ」は、チベット族の伝統民間芸術として、長く伝えられてきた安定、吉祥を祈る踊りであり、民間の重要祭祀の儀式用舞踏である。面、高足(竹馬のような長い木の棒)、伝統服を身につけて、ドラと当地特有の「羊皮鼓」の伴奏に合わせて踊る。「羊皮鼓」は、チベット語では「ラナ」と呼ばれ、もともとは古代チャン族(チベット系の少数民族)の神器だった。 竜舞「ルシゼ」の起源は、水、竜と関係が深いと言われている。はるか昔、かの地では水不足が深刻だった。ある時アラグオという人が竜樹の森の中で泉を見つけ、その水を引いてきて田畑を灌漑するようになった。しかしこれをこころよく思わなかった竜王は、妖術を使って水を地面に染み込ませてしまった。それを知ったアラグオは、泉のほとりでお祭りを行うことを思いつき、全村人を引き連れて竜王に踊りを捧げ、竜王の機嫌を取った。六月会の竜舞は、これが変化してできたものだと言われている。
軍舞「モヘゼ」は、古代チベット族の軍隊舞踏だ。冒頭でも触れた通り、九世紀はじめ、唐と吐蕃は休戦し、人々はその喜びを踊りで表現した。その後、伝えられてきたのが「モヘゼ」というわけだ。昔は、踊り手は手に弓、矛、刀などの武器と軍旗を持っていたが、いまでは軍旗を持つ習慣だけが伝えられている。そして、各種武器は、絵の描かれた短い棒に変わった。踊り手たちは、祈祷の言葉を口ずさみ、右に左に激しく踊りながら陣形を変え、二つの軍隊が戦いを交える場面を再現している。軍舞では、ドラの音が「指揮者」になっている。
アップダウンの激しいドラや太鼓の音の中、人々は神の名を叫びながら法師の先導で御輿をかつぎ、「ワイ桑」を囲んで踊る。同時に法師は、違ったマークが刻まれた二つの木片で作った祈祷具を持ち、何度も地面に叩きつける。それらの木片の組み合わせを見て、吉凶を占うためだ。また二つの銀の碗で、桶の中から、あらかじめ漬けて発酵したハダカムギをすくい出し、四方にまき、神に感謝の気持ちを表す。さらに、多くの村人が家から持ってきた「ドゥオマ」(餅で作った供物)、ヨーグルト、ハダ、白酒、生花、果物などを順番に「ワイ桑」に放り込む。するとにわかにまわりは煙に包まれ、松の木の香りがただよう。右巻きの法螺貝が吹き鳴らされ、音は寺院の境内にこだました。 村人はこう信じている。神様は、「ワイ桑」のくすぶったにおいを嗅ぎつけ、抑揚のある法螺貝の音を聞きつけてくれるはずだ、と。(2002年4月号より) |