雲南省ジノー族・トモーク節
雲南省シーサンパンナのうっそうとした森林のなかに、神秘的な場所――ジノー山がある。
ここは、古木の生い茂った熱帯雨林の世界だ。緑と水に恵まれた人里離れた山奥には、鳥やカエルの鳴き声が響きわたり、まるで女性のようにスラッとしたヤシの木や、大きなバショウ林の間には、高床式住居が見え隠れしている。 ジノー族は、原始社会の風俗を長年とどめてきたため、1950 年代の終わりごろにも、原始共同体晩期の生活のなごりがあった。古い大集会所、残された「刻木記事」(木に刻まれた記録)、巨大な太鼓の音、濃密で独特なジノー族風情……。これらは、いまでは、人々の好奇心とあこがれの対象となっている。
毎年2月6日から8日、ジノー族は、年に一度のトモーク節を開く。「トモーク」は、ジノー族の言葉で「年越し」を意味し、別名「鍛冶節」とも呼ばれている。 このお祭りは、一つの伝説に由来する。 むかし、ある女性が妊娠した。しかし不思議なことに、9年9カ月経っても子供は産まれなかった。そこで祈祷師を呼び、子供が生まれるよう祈ってもらったが、結局、何の効果もなかった。ある日、妊婦はろっ骨のあたりに痛みを感じはじめ、おなかからは音が聞こえてきた。それから2時間ほど経つと、おなかの赤ちゃんが、母親の7本のろっ骨をかみ切って飛び出してきた。この男の子は、それぞれの手に火ばさみと金づちを持ち、生まれた瞬間から鉄を打つことができた。 このときから、ジノー族は鉄器を使い始めたと伝えられ、この歴史的な日を記念して、毎年行われるようになった記念行事がトモーク節である。このお祭りでは、古きを清め、新しきを迎えることで、新しい年の豊作を祈る。
お祭りに間に合うように、私は車を駆ってジノー山の村を訪ね、彼らとともに楽しい時を過ごした。 当日は、日が昇るとともに集落に活気がみなぎった。彼らは、老若男女を問わず、明るい色づかいの民族盛装を身につけていた。ヅォバと呼ばれるジノー族の長老たちの指揮のもと、人々はお供え物と太鼓をかつぎ、歩きながら太鼓を打ち鳴らして、集落の広場に集まった。
太鼓は、広場の中央に作られた高いやぐらの上に置かれた。長老たちは、太鼓を祭る儀式をはじめ、「太鼓は私たちの魂そのものであり、また、地位と権利の象徴であり、もっとも神聖なものである」と、口々にとなえた。 太鼓は、ジノー族の誕生神話に登場する。 創造主で女神のアモヤオベイは、洪水からジノー族を守るため、大きな太鼓を作った。そして、マヘイとマニウという一組の男女を太鼓の中に入れ、それを水の流れに任せた。太鼓は、ジエヅォ(いまのジノー山)に流れ着いた。水が引いたあと、太鼓から出てきた二人は、この地で一緒に農耕し、結婚して子供を育てたことで、ジノー族の人口は徐々に増えていった。 彼らが太鼓を重要視するのは、太鼓が彼らを救ったからだ。昔もいまも、トモーク節では、ジノー族の創造主・アモヤオベイ、祖先のマヘイ、マニウに、子々孫々、平穏無事で、子供も家畜も増えつづけ、五穀豊穣であることをお祈りする。
お祭りの重要な一節は、太鼓を祭り、太鼓の舞を舞うことだ。その前には、まず鍛冶や農耕の儀式を行う。それから長老たちは、素朴で厳かな古歌を歌い、お供えを用意し、杯を手に神聖な太鼓に捧げる。
儀式が終わると、長老たちは、今度は太鼓を叩きながら踊りはじめる。もろ肌脱ぎになった男たちは、手にバチを持ち、彫塑のように静かに太鼓のかたわらに立ち、長老たちのお祈りが終わるのを待っていたが、時が来ると、バチをふるって太鼓を叩きはじめた。どーん、どーん、どーん。耳をつんざくような音が響きわたり、山々にこだました。叩き手たちは、狂ったように、そして心ゆくまで叩き続けた。 笑顔いっぱいの女の子たちは、太鼓を囲んでリズムに合わせて楽しそうに踊りだした。ここまでくると、老若男女、誰もが、太鼓とドラの音に誘われて、手をつなぎ、肩を寄せ合って輪を作り、踊りはねる。 お祭りがクライマックスにさしかかると、人々の神経は高ぶり、熱気はさらに高まる。客好きのジノー族の人々は、あちこちから集まった客人の手を引いて一緒に踊り、お祭り気分の中で、勤勉で善良なジノー族の新年の喜びを分かち合う。(2002年5月号より) |