【お祭り賛歌】


貴州省南部ミャオ族・蘆笙節
酒で出迎え、酒で遊ぶ

                    文・李信 写真・于志新


盛装をした中年女性は、自家製の米酒を持ち、歌を歌いながら客人を歓迎する


 毎年、旧暦9月27日から2、3日にわたって開かれる蘆笙節(蘆笙会)は、貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州のミャオ族のお祭りだ。蘆笙とは、ミャオ族やトン族が使う木製の管楽器で、日本の笙のようなもの。

 このお祭りを見るため、私たちは、車で同自治州の州都・都猿sから約60キロの基場郷麻拱にあるミャオ族の村を訪ねた。ここは細長い村で、木造の建物はどれも、山麓の傾斜地に建てられている。車を村の近くの林の空き地に停めたが、そこには竹ざおを組んだ骨組みに、すでに八つの銅鼓が掛けられていた。

激しい闘牛に見入る村人たち
遠方から客人が来るたびに、ミャオ族特有の方法で3つの門を作り、ラッパを吹いて出迎える

 客人が村に入る前、村人は、3回の「門前酒」をふるまう。村の入り口まで続く百メートルほどの道の脇では、土地の人々が道をはさんで出迎えてくれた。私たち客人は必ず、木の幹と枝で作った三つのアーチ門を通らなければならない。

 第一の門の前には、蘆笙とラッパの楽隊が陣取り、地面には、6個の「地砲」(銑鉄で作った礼砲)が置かれていた。礼砲が発射されると、耳をつんざくような音がとどろき、火薬の匂いが充満した。ここでは、盛装をした若い女性が、客人を引きとめてお酒を勧める。辞退すると失礼に当たるため、誰もが一口はすすらなくてはならない。

 第2の門の前では、盛装をした中年の女性が、歌を歌いながらお酒を勧める。歌詞の意味はわからないが、メロディーは心地よい。

 第3の門の前では、今度は年配の女性がお酒をふるまってくれる。このような厚意は辞退しがたく、お酒に弱い人も三口目のお酒をいただかなくてはならない。

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 三つの門を抜けると、お祭りが行われる村境の広場まで進む。

 村人たちは、誰もが盛装をして、あちこちから広場に集まり、各種イベントがはじまるのを待っていた。中でももっとも特徴的なのは、蘆笙踊りだ。

お祭りに参加するには、村に入るための「門前酒」を飲まなければならない
木をくりぬき、牛皮を張った太鼓を叩き、リズミカルな力強い音を出す

 言い伝えでは、蘆笙は、三国時代の蜀の宰相・諸葛孔明(亮)がミャオ族に教えたものとされ、「孔明管」の別名を持つ。その低音は、やさしさと悲しさを表現し、まるで秋夜の湖水がかすかに波立っているようで、高音は、勇壮で澄みきっていて、まるで夏の水量豊富な川の流れのようだ。蘆笙の合奏は力強く、また繊細で、聞く者を陶酔させ、時には悲壮な気持ちへといざなう……。

 蘆笙の音が響きわたると、人々は誰からともなく輪になって踊り出す。このときには、3、4人の男性が蘆笙を吹きながら先導するだけで、数十人の盛装をつけたミャオ族の女性たちが続き、軽快に踊る。演奏者の動きはますます過激になり、蘆笙の音もますます大きくなった。太鼓とドラの音も次第に激しくなり、踊り手が大地を踏みしめる音が響き、遠巻きに見ている人たちの笑い声や歓声が聞こえ……巨大な音が山々に響きわたり、村は興奮のるつぼと化した。

 踊り手が身につけた銀飾りは、体の動きとともに揺れ、調和のとれた心地よい音を発し、踊りの叙情的雰囲気を高めた。

3つ目の門で、年配女性がふるまう「門前酒」を飲み干して村に入る

 踊りがひと段落すると、今度は民謡を歌い始める。ミャオ族は、性別や年齢に関係なく、誰もが歌を歌うのが好きで、しかも上手だ。彼らの歌うメロディーは優雅で心を打ち、古歌、酒歌、恋愛歌、葬送歌など、種類も比較的多い。

 歌い疲れた頃になると、今度は石臼をかつぎ出してきて、餅つきを始める。つき上がったら、ゴマと砂糖をかけて、みんなで分けて食べる。私も口にしてみたが、甘くておいしかった。

 ざるの中には、ゆでてから赤く染めた卵がたくさん入っていた。それらの卵を縄の両側についた網袋の中に一つずつ入れ未婚の女性が客人の首にかけると吉祥を意味する。同時に私たち客人は、強引に両頬を赤く染められて、この時ばかりは、みんなが京劇の隈取りをしたような顔になった。これは「打花猫」と呼ばれるもので、お祝いの意味があり、相手に好意のある意思表示にもなる。厄介だったのは、どんな顔料を使っているのか、なかなか洗い落とせなかったことだ。

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客人にずっとミャオ族のことを覚えていてほしいとの願いを込めて、心を込めて刺繍した帯「心をつなぐ帯」を贈る

 歌と踊り以外のもっと過激な呼び物は、闘牛だ。闘牛について、ミャオ族の村には、こんな昔話がある。

 ずっと昔、ある部族の軍隊が村を襲い、ミャオ族の王は民を率いて応戦した。しかし相手の盾は頑丈で、弩(大弓)でも刀でも突き破ることはできなかった。のちに、王は敵を破る妙案を思いついた。決戦の日、彼はすべての水牛を集め、牛の角に鋭い刀をしばり付け、酒を牛の口に流し込んだ。そして敵軍が着くと、すぐに東西の村から牛で挟み撃ちにした。酒を飲んで狂ったようになった牛の大群は、前後もわからず突進し、ところかまわず角の刀で刺しまくった。相手の軍はたまったものではなく、ミャオ族は大勝利を収めた。

客人の首にかけるために用意した卵
お祝いにお餅をつく

 その後、功労賞を贈る段になって、東西の村は自分たちこそ第一の功労者だと言って譲らなかった。そこで、機転を利かせた王は、双方から牛を一頭選抜させ、勝敗を決めるために闘わせることにした。その後、闘牛の習俗が伝わってきたという。

 闘牛場は、収穫が終わった水田だ。都ヤネ市の闘牛は、オス同士の闘いで、普段は、「牛げんか」と呼んでいる。10歳程度の牛が参戦し、試合前には主人から酒を流し込むように飲まされ、度胸と力をつける。審判は、試合前に角の幅を測って階級を決め、階級ごとに試合を行う。

蘆笙の伴奏に合わせ、軽やかに踊るミャオ族の女の子

 闘牛は、新奇で面白かった。審判の笛が鳴ると、二頭の牛が狂ったようにぶつかり合う。ただ、例外もあって、中にはぶつかり合うのではなく、それぞれ相手の様子をうかがってうなずきあい、主人や審判がいくら急き立てても一向に闘おうとしない牛もいる。彼らは、しばらく見つめ合った後には、ものすごいスピードで逃げ出す。そうすると、周りで見ていた人たちも、牛に突かれるのを怖れて四散する。

 牛は前後して走り、主人らが追いかけるのも構わず、1キロくらい走ってやっと停まった。私はなぜ闘わないのか不思議に思い、村人に聞いてみた。すると、その答えがしゃれていた。逃げ出したのは同じ村の牛で、いつも顔を突き合わせている間柄。負けてバカにされるのを嫌がったのだそうだ。

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 貴州省南部に数日間滞在し、その魅力に取り付かれてしまった。私たちが出発する時には、ミャオ族は、送別の歌、それに、ひと針ひと針刺繍した綺麗な帯を贈ってくれた。腰に巻いてくれたこの何にも換えがたい「心をつなぐ帯」は、客人が、永遠にミャオ族を忘れずにいること、幸せであること、旅路の無事などを祈る意味がある。(2002年6月号より)