【お祭り賛歌】


福建省連城県の客家・「走古事」
英雄豪傑のせて疾走する

             文・謝桂犀 写真・潘朝陽


力を合わせて神輿をかつぐ「走古事」

 福建省西部の山中に、連城県という客家の居住地がある。面積は2959平方キロ、18の郷・鎮に33万人が住んでいる。

主役の男の子は、鉄の棒にもたれかかり、脇役の子どもは、神輿に座っている。脇役が主役を持ち上げているように見えるコンビネーションは、みごと

 客家は漢民族の支族で、1700年ほど前、戦乱を避けるために黄河流域から徐々に南下をはじめ、いまでは主に、福建、広東、江西の省ざかいが接する地域に暮らしている。

 連城県は純粋な「客家県」で、客家文化が色濃く息づいているだけでなく、中原の古い習俗をいまなお引き継いでいる。例えば、「游大竜」(竜舞い)、「走古事」(輿祭り)、「焼砲」(爆竹)、「犂春牛」(牛に犂をひかせて豊作を祈る祭り)、「游大粽」(大きなチマキをかつぐ祭り)、「游花灯」(ちょうちん祭り)などである。

 毎年、元宵節(旧暦1月15日)になると、連城県羅坊郷では、「走古事」が行われ、素朴で壮観な様子が、毎年、国内外の観光客をひき付けている。

祝いの「神銃」や爆竹が鳴り響くなか、神輿をかついで跳ね回る
「金鑼」が先導し、「彩旗」が続き、街にくりだす

 言い伝えによると、同地では、かつてたびたび旱魃がおき、時には逆に水害に悩まされた。厳しい自然条件のため、庶民は苦しい生活を強いられた。そんな時、清の挙人(科挙試験の郷試に合格した人)として、陜西省寧州の知府、湖南省武陵県の知県などを務めた羅氏の14代目である羅才徴が、離任の際に湖南省から「走古事」の習俗を持ち帰った。それ以降、自然災害がなく、国の安泰や生活の安定を祈願する活動、元宵節の民間スポーツ・娯楽活動として「走古事」が定着し、現在まで続いている。

 かつては血族ごとに一台の「古事」(輿)があり、同郷には合計で7台あった。「古事」とは、木製の彫刻がほどこされた輿のことで、側面には美しい絵が描かれ、かつぐための2本の丸太が通されている。輿には、血族から選ばれた健康で度胸のある10歳前後の男の子2人が乗る。芝居の内容に合わせた衣装をつけ、隈取りをした子どもの一人は主役、一人は脇役だ。先頭を行く輿は天官と武将で、後ろには、順番に李世民、薛仁貴、劉邦、劉備、諸葛孔明などの各王朝の君主や将軍が続く。

元宵節の早朝、血族ごとに準備をはじめる

 主役の男の子は、鉄棒にもたれかかり、腰は鉄の輪で固定されている。脇役の男の子は輿に座り、まるで主役をかつぎ上げているように見える。各輿は200キロ以上あり、22人のかつぎ手が必要だ。しかも、動きが激しく体力が必要なため、三交替制になっていて、輿ごとに66人のかつぎ手が控えている。

 毎年、旧暦1月3日、4日ごろになると、血族ごとにあわただしくなり、輿のかつぎ手に選ばれた男たちは、山で脚力を鍛える。彼らは、12日からの3日間は、肉食を断ち、妻と床を共にすることも許されない。

 13日夜には体を清め、下着を換える。14日午前10時ごろ、天官を先頭に輿をかつぎ、他の6台が続く。さらに後ろには、「三太祖師」(土地の守護神)、「菩薩」などの仏像や「万民宝傘」(傘)、「彩旗」(色とりどりの旗)を持った人、楽隊が従い、空に向かって「神銃」(祝砲をあげる鉄製の道具。)を放ちながら山に進む。数え切れないほどの村民と観光客が見学する中、掛け声を上げながら競争を繰り広げる。

 
絶好の見学ポイントの雲龍橋は、足の踏み場もないほどの人出  

 「走古事」では、「走ること」が重視されている。村人たちは、「三太祖師」「菩薩」「万民宝傘」「彩旗」などを広場の中央に集め、7台の輿をかついだ男たちは、400メートルほどある楕円形のトラックを走り回る。2周ごとに十数分休憩し、「神銃」の音が響くと、ふたたび輿をかついで争うように走り出す。これが4回繰り返され、5回目からは「8」の字を描くように練り歩き、かつぎ手が疲れきるまで、果てしなく続く。ようやく熱気が冷めてくると、「神銃」を響かせ、1日目のお祭りが終わる。

 翌日は元宵節。午前中は前日の興奮をそのままに輿をかつぐ。午後になると、行列が古くて壮観な雲龍橋の近くに繰り出し、川に入る。雲龍橋は、「屋橋」「陰橋」とも呼ばれ、橋の上に屋根がついているため、日の光や雨を避け、休憩することができる。羅坊郷を流れる青岩河に架けられた橋で、平らな川底には栗石が見え、水は澄んでいる。

年老いても、「走古事」を見ずにはいられない

 まず、楽隊が川で水を掛け合い、「神銃」の音が三回響くと、今度は輿が川に入り、競争の準備をはじめる。そして、命令一下、上流に向かって一斉に駆け上がる。川の深さや足元の悪さにもひるむことはない。ただただ前進するのみだ。

先頭の天官の輿を追い越してはならないというルールはあるが、後ろに続く輿が、他の輿を

元宵節の早朝、血族ごとに準備をはじめる

追い越すことは、吉兆だと考えられている。そのためか、かつぎ手は競って前に出ようとし、寒さも苔で滑りやすい足場も気にせず、何度倒れても起き上がる。これが「走古事」のクライマックスで、取り巻きの人たちも大いに賑わう。そして、隊列が羅坊中学近くにたどり着いたのを合図に、一年に一度のお祭りは幕を閉じる。

 60年代以降、血族を単位にした祭りから、「居住地域」を単位にした祭りに変わり、「走古事」が原因での宗族(一族)間の衝突は避けられるようになった。

 長年にわたり、同地の客家は、祭りを通して体を動かし、健康管理をしてきた。また、神霊を祭る古い習俗を通して心の底から楽しみ、自分たちだけの独特な「カーニバル」を作り上げた。しかも、さらに奥深いものとして、同地の客家の人たちが心を一つにして前進していこうとする精神が生まれている。(2003年8月号より