Q 浙江省普陀山に「不肯去観音院」がある。これは日本ともかかわりがあるそうだが、どんな伝説があるか。
A 普陀山は「海上蓬莱」と呼ばれ、仏教と関係が深い。普陀山という山は中国仏教の四大聖山のひとつである。伝説によれば916年、日本の慧蕚という留学僧が、観音像を五台山から携えて日本に持ち帰る途中のこと、普陀山の海にさしかかると、急に暴風雨に見舞われた。そこで島の人々は観音様が日本に行きたくないのではないかと、この「不肯去観音院」(「不肯去」は行きたがらない、という意味)を建てて観音像を安置したという。あくまでも伝説で実話とは限らないが、よけいに知的な興味をそそられる。
Q 日本にゆかりのある話は、ほかに?
A たくさんある。北京の「国子監」は昔は教育の場(今の「大学」のような存在)であった。そこでは琉球(沖縄)の留学生も勉強に来たという。
海南島(省)の観光調査では、地元の人から文昌市にある「蓬莱中心小学校」に案内された。ここは百年も前には「群益学堂」(学校)だった。理科研究所まで作られ、川口五郎先生など日本人の教師を招いたという。川口先生は熱心に教えたという話が有名だ。96年前に現地で亡くなり、キャンパス内の三台嶺という小さな山に埋葬されている。百年近く前の日中友好の話である。現在、現地で作られた観光地図にも「川口五郎先生の記念室・記念碑」が載っている。
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川口五郎先生の遺族らと墓参りをした(海南省文昌市) |
私は日本に戻ってからさまざまな方法を使って、遺族を探し、やっと川口先生の孫にあたる青木玲二さん(小田原市在住)と連絡がついた。青木さんは海南省観光局の世話で現地を訪れた。実は彼が出発する前に、海南省文昌市人民政府、海南省観光局は歓迎準備に慌ただしくしていた。なんと、川口五郎先生のお墓の碑が「文化大革命」中、行方不明となったので、市をあげてその碑を探しまわっていた。実は青木さんが海南島に到着した日に、その碑が見つかった!二つに割れていたが、96年前の碑に間違いない。このことは海南島の各新聞で連日、大きく報道され、最大手の『海南日報』は紙面を二ページも割いて詳細に紹介した。記者らは川口五郎先生の教え子や関係者の子孫までも見つけ出し、インタビューに成功した。
私は2年前、川口五郎先生の親族たち、また川口先生の出身地でもある松本市の日中友好協会副会長・小岩井孝さん(熱心に川口先生を研究している)と一緒に再び海南島を訪問した。修復した「川口五郎先生の碑」は現地の孔子廟(博物館)に陳列され、「川口五郎先生記念室」まで作られている。今では観光名所にもなっている。そのオープニング式典には私も参列し、とても盛大に行われた。
海南省文昌市を訪れる機会があれば、ぜひ見学ください。
なお、私の著書のガイドブック『海南島をゆく』10冊をプレゼントいたします。ご希望の方は、ハガキに住所、氏名、年齢、職業、電話番号、それに「『海南島をゆく』希望」と明記の上、〒100044 中国北京市車公荘大街3号『人民中国』雑誌社「ポンフェイ先生の旅アドバイス」係あて、お送りください。当選者の発表は書籍の発送をもってかえさせていただきます。(2003年9月号より)
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