梵浄山は中国で最初の国家級自然保護区に指定された。ユネスコの「人と生物圏保護区」にも登録されている

 鳥居龍蔵博士(1870〜1953年)は、日本の著名な人類学者であり、考古学者である。徳島県に生まれ、1902年7月には、調査のために新妻を日本に残して、中国の西南地方に赴いた。過酷な旅をものともせずに、貴州省少数民族の村にわけ入り、貴重な写真を数多く撮影。『苗族調査報告』などの著書を世に出した。博士の視察から百年――。我々は彼の足取りをたどりながら、貴州のいまを取材した。

 
   
 
平原のない省

 百年前、鳥居博士は黔(貴州省の別称)に入り、東部から西部へと視察を進めた。しかし今回、我々は旅の便宜をはかり、北京から空路貴州省の省都・貴陽へ、さらにそこから黔東(貴州省東部)地区の銅仁市へと飛行機で向かった。すこぶる快適な旅であった。その昔、鳥居博士が船や足を使って、ようやくたどり着いた労苦のほどがしのばれた。

 中国の西南部にある貴州省は、「地無三尺平」(地に三尺の平らなし)と言われる山岳地帯だ。省の面積は17万6000百平方キロだが、その92・5%が山地・丘陵だというデータもある。中国で唯一、平原のない省なのである。

 険しい山々に隔てられ、交通も立ち遅れていたので、かつての貴州の旅は困難をきわめた。「貴州最初の自動車の話」を聞いたが、そこからは当時の移動がいかに大変なことであったかが、うかがえる。――1927年、時の省長が広州において、一台の小型自動車を買った。しかし、当時はまだ道路がなかったので、車を運転して帰ることができない。仕方なく車をバラバラに分解し、人の肩に担いでもらい、貴陽まで運んで組み立て直した。貴陽市内では、安全運転をするためにこのようなスローガンが貼り出されたという。「自動車はトラのように獰猛だ。通行人は道の両側を歩くこと」……。

梵浄山の太子峰

 貴州省の交通事情を解決するために、新中国が成立(1949年)して以来、とくに改革・開放後の20年来、国家はこの地に巨資を投じて、道路や鉄道を設け、空港を建設した。雲南・貴州高原の中でも貴州高原における道路建設費は、平地でのそれの7倍になるという! 現在、貴州省の自動車道は全長3万4643キロに及び、鉄道は幹線4本が四つの隣省に通じている。また航路は北京、上海、広州、青島、瀋陽、海口、香港、タイのバンコクなど、40余りの都市と貴州省を結ぶ週420便が運航されている。

山地崩壊の後で

 梵浄山は、黔東地区の景勝地である。その裾野は延々300キロあまりも広がり、印江トウチャ族ミャオ族自治県(以下、印江県)、江口県、松桃ミャオ族自治県の三県にまたがっている。地元の受け入れ側が、先に車で印江県まで案内してくれ、梵浄山の西ルートから登山し、江口県の南ルートから下山した。

 印江県の県城(県庁所在地)に着くと、道路のわきに一つの石碑が建てられていた。碑文には、1996年9月18日に、そこで発生した山地崩壊について記されていた。その晩10時、270万立方メートルにも上る土石流が発生し、長さ420メートル、高さ42メートルの土石を積み上げた。それは印江河をふさぐ堆積物を造り上げたため、水位が急に上昇し、上流の町・朗渓鎮は一面水浸しになった。また、下流2キロの印江県城をはじめ一村一町が、堆積物決壊による洪水の恐怖にさらされた。

 それは全国を震撼させたが、突然の自然災害を受けた印江県と貴州省の政府は、じつに適切な措置をとった。ただちに救護・救援組織をつくり、被災者を安全な場所に避難させ、被害を最小限に抑えた。死者一人、行方不明者2人、重傷3人、浸水耕地1480ムー(1ムーは約6・7アール)……。

 同時に彼らは、北京市と省都から水利工事の専門家を呼び、改修方法について協議した。ダムのように大きな堆積物になり、さらうことが難しかったので、両岸にそれぞれトンネルを設け、排水することを決めたのである。

 急遽、工事が行われた結果、左岸に702メートルのトンネルが開通した。するとそれまでの浸水が流れて、朗渓鎮がまた姿を現した。その後、堆積物の側面を整え、道路も改修した。また、鉄筋コンクリートを使って山崩れを防ぎ、岩場を整備した。

 大規模な山地崩壊に遭遇した印江の人々は、確固とした防災態勢と揺るぎのない自信を示した。現在の中国の実力と社会の姿を明らかにしたのである。

民間の紙すき工房

 現在、山崩れによってできた堆積物の「ダム」が、一景をなしている。ダムの上には、地元の書道家・王峙蒼氏の書による「天下奇観」の4文字が刻まれている。

足をつかって紙の原料を柔らかくする。これは製紙の重要なプロセスだ印江に古くから伝わる伝統的な製紙法。土地の人々は「蔡倫の古造紙法」と呼んでいる

 印江県に住むトウチャ族、ミャオ族は、長きにわたる漢族との交流の中で、だんだんと漢字を使った書道にも親しむようになった。清代からは、全国的に知られる書道家が数多く輩出されている(たとえば有名な北京・頤和園の正門の横額「頤和園」の文字は、印江県の厳寅亮の書である)。そのため、印江県は「書道の郷」と称されている。近年では、この県の書のいくつかが、日本や韓国、アメリカなどの展覧会に出品されている。

 こうした活発な書道活動は、この土地で作られる書画紙と密接な関係がある。合水鎮蔡家オウ住む村人たちは、農作業の合い間にほとんどの家で紙を作る。ここで生産される「白皮紙」(白い紙)は、600年の歴史をほこる。中国を代表する画家の一人、徐悲鴻はそれを使って作品を描いた後で、こう語ったという。「それは墨をよく吸収し、強固ながらも真綿のようだ。きめが細かく、つやがあり、折ってもしわになりにくい。絵と紙がともに効果をもたらすのである」

 蔡家オウ河辺にある紙すき工房では、男性がちょうど紙の原料を踏みつけているところだった。白皮紙の原料はカジノキの樹皮である。それを石灰水に長く漬け、すすいだ後で、粗くて黒い表皮を踏みつけながら取り除く。その後、紙の材料と石灰を一層ずつ重ねて蒸し釜に入れ、重石を乗せて4、5日間煮込んでから、ふみ臼でつくとパルプができる。それを紙すきぶねに入れ、凝固剤となるマツヤニを適量加えれば、簀の子でパルプをすくことができる。

 

 72段階からなる製紙工程の中で、紙すきは最も重要なポイントだ。60歳を過ぎた陸さんは、簀の子を平らにして紙すきぶねに入れると、一層の薄いパルプをすくいとり、前後左右にそっと揺すった。そしてパルプが均等にゆきわたるのを見計らい、簀の子の端から水を切ったら、簀の子を逆さまにしてテーブルの上に置いた。水分を切った紙は、壁に貼るなどして自然乾燥させると、出荷用に梱包できる。

 この地方では、こうした製紙法を「蔡倫の古造紙法」と呼んでいる。製紙技術は古代中国の四大発明の一つで、史料によれば「105年に蔡倫が発明した」とされている。しかし考古学によると、その発明をさかのぼる前漢の時代に、すでに紙があったことが証明されている。

 蔡倫は、宮廷の器物製造を管理する大臣として、紙作りの経験をまとめた人物である。樹皮や麻、ぼろ切れ、破損した魚網などを原料として、安価で書きやすい紙を作り出した。それが皇帝から認められ、褒賞を受けて、世に「蔡侯の紙」と伝えられたのだ。

 民間では、蔡倫は「製紙の祖師」として崇められている。蔡家オウ村人の姓は「蔡」で、彼らは「蔡倫の末裔」と自称している。家々には蔡倫の位牌が置かれ、毎年の春節(旧正月)と3月19日の蔡倫生誕日には、どの家でも鶏肉や豚肉を準備して、祖師を祭る。香をたいてろうそくを灯し、先祖の功績を称えるのである。

ユネスコの「人と生物圏保護区」

 風光明媚な梵浄山(総面積576平方キロ)には、各地からの観光客が絶えない。梵浄山へは西と南、北の各ルートから歩いたり、竹カゴに乗ったりしながら登山する。連峰は高くそびえ、その多くが刀の形や、ノコギリ歯の形をしている。「薄刀嶺」と呼ばれる嶺は、切り立った尾根が刀のようだ。「剪刀嶺」は、岩山がハサミに似ており、その山道は人ひとりが通れるだけだ。

梵浄山の頂上「金頂」までのルートには、7890の石段がある。登山の場合は自分で歩くか、竹カゴに乗るしか方法はない

 主峰「金頂」は、標高2493・4メートル。遠望すると、その形は天を支える柱のようだ。近くで見ると、竜が天にいななく姿に似ているため、別名「嘯天竜」とも呼ばれる。また、「キノコ岩」「夫婦峰」「万巻書崖」なども、その形が似ているために名づけられた。

 早朝、日の出の時刻ともなると、壮大なスケールの雲海や霧、山々から流れおちる滝が朝日に照らされ、詩心を満たしてくれる。

 梵浄山は世界の同緯度地区の中でも、動植物の生態が最もよく保護されている場所である。1986年には、国の「自然保護区」とユネスコの「人と生物圏保護区」にそれぞれ指定された。

貴州にはいくつもの道路が建設された。それにより貴州は、中国の西南部と海洋、および華中地方をつなぐ陸路交通の要衝となっている(貴州省新聞弁公室提供)

 二日の登山で目にしたものは、うっそうとした原始林。苔むした古木は天を覆い隠すばかりであった。調査によると、梵浄山の森林被覆率は90%に上り、2000種以上の植物がある。とりわけハンカチノキ、ツガなどは国の重点保護樹木に指定されている。ハンカチノキの花は白く、その形はハトに似ている。満開時には、林間をハトの群が飛び交うように見えるので、別名「ハトの花」とも呼ばれる。

 動物は104種が確認されており、その中には、黔キンシコウ、シロクビオナガキジ、オオジャコウネコなどの重点保護動物がいる。愛らしく、よく動き回る黔キンシコウは世界的な希少動物である。

1902年、日本の人類学者・鳥居龍蔵博士が、中国の西南地方を視察した(東京大学総合研究博物館提供)

 梵浄山では長年、森林火災が発生していない。それは保護区管理局の職員や警察、森林保護係員らの熱心な対応によるものだ。科学研究員たちも、黔キンシコウの野外生態研究をはじめとする人工繁殖・飼育や、ハンカチノキの人工繁殖技術などに著しい成果を上げている。

 保護区にある村の多くでは「保護生態環境の村民規約」を制定し、村人の果たすべき行いについて決めている。それまで使用していた動物捕獲用の道具を森林保護ステーションに引き渡す、積極的な寄付をつのり、稚魚を買って河に放流するなどだ。(2003年1月号より)

【ミニ資料】
 貴州省の概況 略称は「黔」または「貴」。亜熱帯温暖湿潤モンスーン気候地帯にあり、冬温かく、夏涼しい。年平均気温は摂氏15度。年平均降水量は、1200ミリ。人口は3525万人。漢族以外に、ミャオ族、プイ族、トン族、トウチャ族、シュイ族、コーラオ族、イ族などの少数民族が1333万9000人(省人口の37.8%)居住している。