|
雲雀自動車公司の生産ライン(写真・蘇継安) |
安順は貴州省の中部、貴州高原の平地に位置する。早くから開かれた土地で、二千年前の戦国時代に、西南少数民族が地方政権をとった 国と夜郎国の発祥地である。
古代の成語に「夜郎自大」というが、それは昔、夜郎国の王が漢国の強大さを知らずに、尊大にふるまった故事によるものである。当時、西南地方の百を数える国のなかでは、オ瘢早i雲南の地にあった古国)と夜郎国の地盤が最大で、力もあった。そのため漢の武帝から「王の印」を賜ったのだ。
近代になると、ここの発展は貴州省の政治、経済の中心地として、「商業の盛り、全省で甲(一番)」と称された。現在の貴州省は、その山門を押し開き、対外開放して活気に満ちあふれている。省都の貴陽から安順までの道は、起伏のある山々が連なり、平坦な田畑が広がり、町村の往来はにぎやかだった。
安順にはすぐにも到着したが、高層ビルや工場などが林立していた。友人の説によれば、ここは貴州の工業の「重鎮」で、食品、染織、酒、タバコ、陶磁器など伝統的な工業のほか、この数十年来は、飛行機や自動車、機械、医薬品、化学工業などの新興工業も発展しつつあるという。
安順の経済技術開発区にある貴州航空公司は1960年代に創立、おもに軍用機を生産していた。かつては安順最大の軍需企業であった。改革・開放後になると、生産ラインを軍用品から民間用品へと変えて、つぎつぎと新製品を生み出した。
その傘下にある「雲雀自動車公司(会社)」は、90年代初めに日本の富士重工とシンガポールの商社との協力で、「雲雀」自動車を生産した。ボディーラインが美しく、軽便で燃費のいい、高性能の車である。生産台数は多くはないが、貴州省をはじめ北京、深ロレ、青島の各市と、新疆ウイグル自治区などの地でも販売されており、なかなかの評判である。しかし、内外自動車産業の熾烈な競争を前に、同社は新型車の生産を準備している。さらに市場を開拓し、効果や利益を高めようというわけだ。
|
貴州省安順で蘆笙(ろしょう)を吹くミャオ族の青年(東京大学総合研究博物館・提供) |
同社では、日本の自動車技術を導引し、日本の管理モデルにしたがっている。生産ラインから検査・測定まで各ポイントすべての管理に日本人が参加している。
創立以来これまで、150人以上の日本人管理者と技術者がここで仕事をしてきた。同社の中国人女性通訳が話してくれた。「豊かな暮らしの日本から厳しい条件の貴州へとやってきて、仕事をするのは容易ではありません。ことばの壁や文化背景、生活習慣の違いもあります。隔たりは免れないし、じつに不便なものです。でも、彼らはそうした苦労を乗り越え、勤勉に働いている。中国の人々を深く感心させたのです」
また、彼女は最近、日本に帰国した堀田さんのことを話しはじめた。彼はあるモーター会社の社長で、中国語ができなかったが、中国文化に強くひかれていた。週末や休日を利用して、家庭教師について中国語を習っていた。当地の風土や人情をよく理解し、中国社会に溶け込もうと努力していた。中国人社員に関心を寄せ、彼らが技術を身につけるよう、一生懸命応援していた。
ある日曜日、彼と日本人の同僚がダムへ釣りに出かけたときのことだ。どこかの子どもが、誤ってダムに落ちた。叫び声を聞いた彼は、すぐさまダムへと飛び込んで、その子どもを助け出した。
彼はそれを言いふらしはしなかったが、目撃していた同僚の話から、ようやくそのお手柄が知れわたった。彼の武勇伝が新聞報道されてから、安順の人々は「彼は日本の生きた雷鋒だ」(雷鋒は62年に公務のために殉職した中国人民解放軍の模範兵士)と、称賛したのである。
99年、中国建国50周年の祝賀式典で、堀田さんは百人の優秀外国人専門家の一人に選ばれた。北京の人民大会堂で、江沢民氏、朱鎔基氏ら国家指導者から賞状が授与された。
安順発電所は、安順市の中心から西へ30キロに位置する石炭火力発電所である。現在、30万キロワットを出力する発電ユニットが二基あり、電力は広東省へ送られている。
安順は中国の「西電東送」(西部の電気を東部へ送る)の基地の一つで、ここから東の広東、福建、浙江、上海、江蘇などの省へ送電されている。送電先は中国経済の発達した地域であり、電力不足が深刻な問題となっているため、他の地域に電力支援を仰いでいるのだ。
|
庭園風の安順発電所 |
貴州、雲南、四川の各省と広西チワン族自治区などの西部の河川は、豊かな水力資源に恵まれている。このため、中国は長江やその他の河川に、水力発電所を建設した。水力発電は「クリーン・エネルギー」と称されているが、莫大な投資や長い建設工期を要するなどの問題がある。とりわけ渇水期には発電不足となるため、火力発電の電力補充が求められるのである。
南方各省では石炭が不足しているが、貴州省には一千億トン近くの石炭が埋蔵されており、「江南の石炭の海」とも称される。そのため中国は近年、貴州石炭地区の火力発電所の建設を急いでおり、安順発電所では30万キロワットを出力する発電ユニットをさらに二基、建設中である。
安順発電所を見学すると、一号炉と二号炉の共用煙突からは煙が上がっていなかった。聞けば、ここでは静電気を使ったばいじん除去技術を採用しており、その技術によれば全体の99%以上のばいじんが回収され、処理される。煙突からは黒煙が上がらない。また、発電所の汚水処理室から排出される汚水は、国の環境保護基準をクリアしているという。
しかし、一号炉と二号炉から排出される二酸化硫黄は脱硫処理が行われていないため、汚染源ともなっている。そのため、建設中の三号炉と四号炉は、巨資を投じて、日本の川崎重工による石膏法排煙脱硫技術を導入しようとしている。脱硫率は95%にも達する。また三号炉、四号炉の発電を待ち、この技術を使って一号炉と二号炉を改造、国の脱硫基準をクリアしようという計画だ。
|
手づくりによるろうけつ染めの芸術品 |
ろうけつ染めは、ろうを使った絵画と染色の総称である。ろう画職人は、三角形で二重になった銅製のヘラを使い、白い布地に溶かしたろうで美しい模様を描く。ろうを塗ると乾かして、染料の入ったかめの中によく浸す。こうすると、ろうを塗った部分が染まらない。その後、染めた布を熱湯に入れてろうを取り去り、洗いさらし、陰干しにすると、青地に白の見事なデザインが浮かび上がる。とくに、乾いたろうにはヒビが入り、天然の「氷紋」を作る。それが地の色に映えて、なんともいえない美しさである。
ろうけつ染めは、二千年以上前の前漢時代にはじまり、唐・宋代に盛んになった。今ではおもに貴州省や湖南省、広西チワン族自治区のミャオ族、プイ族、シュイ族などの少数民族地域に伝わる。
|
福遠蝋染芸術館の手づくりのろうけつ染めは、観光客の人気のまとだ |
|
工房でろうけつ染めのデザインをする洪福遠さん |
民間のろうけつ染めは、構図に富んだ対称的な図柄が多い。デザインの多くは、さまざまな幾何学文様や、生活・習慣から取られた草花や魚、鳥、チョウ、コウモリ、竜などである。想像力に富んでおり、自由にデフォルメされている。たとえば魚を描くときは、魚の身を花で飾り、魚の頭に桃を描いたり、魚の尾にざくろを描いたりして、じつに情緒豊かである。
安順は、ろうけつ染めの粋を集めた土地である。ここには多くのろうけつ染め工場や会社、工房があり、ろうけつ染めの創作や制作、研究にたずさわる人が集まっている。
洪福遠さん(62歳)は、ろうけつ染めの第一人者だ。ろうけつ染めを専門に学び、修業をして、民間芸術のなかから「養分」を吸い取るのにたけている。この十数年間は、さまざまな鑑賞者の要求に応えようと、中国の伝統芸術から精華を吸収するのに専心し、ろうけつ染めの表現力と文化的な価値を高めた。
|
福遠蝋染芸術館には、地方色豊かで少数民族の特色あふれる手づくりの芸術品が集まっている |
彼が創設した「福遠タッ染芸術館」の展示ホールには、少数民族の村の風景や、古代の岩画、原始的な彩陶文様、神秘的な青銅芸術、勢いあふれる漢代の画像石、すばらしい敦煌芸術などを模した彼のろうけつ染め作品がある。また、古代の神話物語や非凡な仏教哲学理論などの作品も……。
ろうけつ染め芸術にたずさわって30年あまり。洪福遠さんがデザインし、創作した作品は一千点を下らない。それは内外の民間芸術展覧会に何度も出品され、百を超える作品が著名な中国美術館や多数の博物館に収蔵されている。2001年、洪福遠さんには「中国十大民間芸術家」の称号が与えられた。フランスや日本で開催されたろうけつ染め展覧会に招待されて、この奥深い山里の民間芸術を世界に披露したのであった。(2003年6月号より)
【ミニ資料】
貴州省の概況 略称は「黔」または「貴」。亜熱帯温暖湿潤モンスーン気候地帯にあり、冬温かく、夏涼しい。年平均気温は摂氏15度。年平均降水量は、1200ミリ。人口は3525万人。漢族以外に、ミャオ族、プイ族、トン族、トウチャ族、シュイ族、コーラオ族、イ族などの少数民族が1333万9000人(省人口の37.8%)居住している。
|