写真・陸開蒂 劉世昭 文・劉世昭 |
登山前夜は、宿を借りたふもとの黄山賓館で温泉に入った。この辺りでは唯一の温泉施設だという。入浴はもちろん、出湯を飲むこともできる。湯治場としての医療効果も認められている。一時間48トンと湯量も豊富だ。お湯につかるとちょうどいい湯加減で、心地良いことこの上ない。出湯を口に含んでみたが、臭みのないまろやかな味だった。こうして体も温まり、この日の疲れもいっぺんに吹き飛んだ。1979年7月、黄山を視察したケ小平氏が温泉に入り、「天下名泉」という親筆を残したという。まさに言い得て妙だと、実感した。 翌日午前は曇り空だった。同行メンバーの陸さんは、33年間に60回以上も黄山の写真を撮った「黄山通」だ。雲の動きをじっくりと観察する彼が言う。「急いで登ろう。雲海が見られるぞ」。そこですかさず荷物をまとめて、ケーブルカーに乗った。登るほどに雲は切れ切れになり、周囲も明るくなっていった。標高1200メートルほどのところで、見上げた空は真っ青。ふもとではぼんやり見えた山々も、はっきりと見えるようになった。我々はまるで仙人になったかのように、雲に乗って「天界」へとやってきたのだ。 黄山の景勝区は、前海、東海、西海、北海、天海の各区に分かれている。北海の名勝・清涼台まで徒歩わずか5分の獅林ホテルを選び、チェックインの後すぐにカメラを背負って、西海へと向かった。 ダイナミックに雲が流れる雲海は、黄山の奇観の一つだ。二キロ半ほど歩いて、雲海の観賞ポイント・排雲亭に到着した。ここから西の松林峰の絶壁に開かれた小道を行くと、新開発された「夢幻世界」という景勝区に入る。行く道も実に変化に富んでいた。天上に浮かぶかのような桟道あり、巨大な岩石のトンネルあり、人工の石段あり……。また、ツタや松、岩石を模したと思われる路肩のフェンスは、石やセメントで造られており、建設者たちの苦心のほどがうかがわれた。 西海の全貌は、排雲亭で望むことができる。しかしその先の夢幻世界への桟道は、とりわけ趣があり、旅人を飽きさせることがない。山々は見る角度によってその表情を変え、時には緞帳の後ろから表舞台に出るかのように、秀麗な姿を見せた。雲海は波立っては山頂を島に変え、薄霧はベールのように山峰を包んだ。山の景色は、まことに千変万化の味わいがある。 我々は歩きながら写真を撮った。雲海や山の一つひとつを収めたかったので、フィルムは思いのほか使い込んでしまった。絶壁の上の平台から見下ろすと、滅多には見られないという奇石「高足踊りの仙人」が、霧の中で見え隠れして舟を走らす船頭のよう。遠方の「雲外」「雲際」二峰の間を流れる雲は、水しぶきをあげる大瀑布のようだった。見事な景色を一瞬でも逃すまいと、のどの乾きも空腹も忘れて、シャッターを押し続けた。日が落ちる頃、ようやく満足した我々は、カメラと三脚を抱えて帰路についた。 12月31日。前夜に小雨が降ったので、随分と湿気が感じられた。夜明けに窓を開けると、目の前の松が白い氷層に覆われていた。樹氷だ。「よしっ!また撮るぞ」。我々は興奮を押さえきれずに飛び起きて、清涼台へと向かった。しかし、そこはすでに日の出を待つ人たちで混雑していたため、一段と高い獅子峰を目指すことにした。獅子峰の山頂は最高の撮影スポットである。そこからは北海の山々を一望することができた。この時、東の仙女峰の後ろから昇り始めた太陽の光が、奇峰「十八羅漢朝南海(南海に向く十八羅漢)の尾根に差し込んだ。樹氷に覆われた木々が、陽光に照らされ輝きを増す。黄山はあたかも銀の衣装をまとったかのような厳かさだ。気温が上昇するにつれ雲海も動き始め、低い山をスッポリと覆ったり、山々の間を流れたりしている。雲は山並みを空へと押しやっているようでもあり、波のうねりのようでもある。薄い雲はベールとなって山々を包み込み、まさに夢幻の境地であった。 黄山は古代、イ(黒に多)山と呼ばれた。言い伝えによると、中国古代の五帝の一人とされる軒轅黄帝は、ここで仙薬「九転還丹」を作り七錠を服用、温泉に浴した後に昇天した。また唐の玄宗皇帝・李隆基は道教を崇拝していたが、道教の始祖が黄帝であることから天宝六年(747年)6月17日、ここを黄山と改名したのだそうだ。獅子峰の頂上に立つと、鼻の奥まで凍りそうに厳しい寒さである。雲が体にまとわりついては、流れていく。仙境の中に身を置いた私は「天人合一」(天と人が一体となる)と悟ることで、不思議と寒さを感じなくなった。漢字の「仙」は人と山の二文字で作られているが、私はまさに黄山で仙人になったかのような思いであった。 夕刻、我々は西海の丹霞峰に登り、20世紀最後の日を送ろうとする人々の仲間入りをした。赤い太陽がゆっくりと、九竜峰後方の雲を染めながら沈む。その光が消える瞬間、人々は大声で世紀の太陽に別れを告げた。 夜半には、清涼台に設けられた巨鐘の辺りに大勢が集まった。世紀の鐘の音を聞こうというわけだ。1月1日零時零分――鐘が鳴った。新世紀の幕開けだ! 私は満天の星を仰ぎながら、神秘的な大自然と時の流れに思いを馳せた。 夜明け前は、東海の景勝地・石筍矼へと走り、初日の出を待つ人々に加わった。東の青い山々は薄霧をまとい、やわらかな曲線を描いていた。黄金から紺碧色へと変化した空が、だんだんと明るくなった。みな興奮気味だ。空の果てから一筋の光が差し込んだ。「出たぞ! 出たぞ!」。21世紀の太陽に、一斉に大歓声が沸き上がった。レンズの向こうの山並みが光輝いている。私は迷わず、シャッターを切った。(2001年5月号より ) |
|