世界遺産めぐり(18)  福建省・武夷山


自然美と文明を伝える
緑したたる茶のふるさと

               写真・鄭友裕 劉達有 劉世昭 文・劉世昭


 武夷山は、中国 福建省の西北部に位置する。ユネスコの第23回世界遺産委員会全体会議は1999年12月1日、ここを文化と自然の「複合遺産」として、世界遺産のリストに正式に登録した。
緑の帯のように武夷山をとりまく九曲渓

武夷山は仏教の「華冑(漢族)の八つの小さな名山」の1つと目されている。中でも「天心永楽禅寺」は、参詣する人が絶えない
武夷山にある桃源洞道観(道教寺院)の道士たちが、新しい老子塑像の開眼儀式を行った

 リストへの登録は、『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』(世界遺産条約)の中で、いわゆる「ひときわ優れた自然美の地域」「希少種や絶滅のおそれのある種を含む動植物の生息地」「消滅した文明の顕彰」「特殊で普遍的な価値をもつ伝統的思想の発祥地」の四つの条件を満たしていると評価したためである。

九曲渓に親しみ、武夷山を眺める河下り
武夷山に散見する歴代の磨崖石刻。その数、合わせて430以上。1500年あまりにわたる史跡だ

 武夷山の総面積は9万9975ヘクタール。中国の世界遺産の中では、最大の面積をほこる。山の東部は低山丘陵地域に分けられ、多くの奇峰怪石や峡谷、渓流、赤色砂岩の絶壁などが集まっている。また、西部は中山丘陵地域に分けられ、標高1000メートル以上の山峰が120、深さ500〜1000メートルの大峡谷が数十もある。地球の同緯度地域では、代表的で最大面積の「中央アジア熱帯林」が広がっており、その生態系は完全なまでに残されている。

 武夷山に到着したこの日は、あいにく小雨が降っていた。予定の登山を変更し、筏に乗って景色を楽しむ「九曲渓下り」にチャレンジをした。九曲渓は武夷山自然保護区に水源を発し、全長約62・8キロ。山あいからくねくねと流れ出て、福建省最大の河川・ミン江]の支流である崇陽渓へと流れ込む。筏の旅は、武夷山の絶景が集まる全長約9・5キロの区間で行われている。

そびえ立つ赤い岩山は、武夷山独特の風景だ

 「星村」と呼ばれる小さな町から筏に乗った。ここには、百艘以上もの筏が泊められていた。観光シーズンになると、多い時で400艘もの筏が河下りをするという。安全面を考慮して、一艘の筏に長さ約9メートル、幅約1メートルの筏が二つくくり付けられているのが特徴だ。筏の上のイスに座ると、靴底がちょうど水面にかするくらいで、九曲渓に親しめる。上を仰ぐと険しい山が、下を見ると美しい渓流がある。せせらぎに耳を傾けたり、清流にじかに触れたりと、自然が身近に感じられる。

 九曲渓は、曲がりくねった河の流れで、その名が付いた。「(そこには)武夷山の魂が現れている」と人は言う。くねくねとした流れは群峰を切り開き、「水が山を環り、山が水を抱く」景勝を生み出している。筏が河を下ると、周辺の山々は角度の変化によってその姿を変えていった。霧雨の中で見え隠れする山の姿は、詩情と画意に満ちあふれていた。

武夷山岩茶を生みだす重要なプロセス「茶葉の日干し」を行う農民たち
岩壁に自生する武夷山茶王の「大紅袍」

 「武夷山に登らなければ、武夷山に来たとは言えない」というのだそうだ。ここの山なら武夷山にこそ、その美しさがあるからだ。いつしか雨も止み、空がスッキリと晴れわたった。登山と雲海観賞の絶好のチャンスである。

 観賞スポットのベストワンと言えば、「武夷第一勝」(第一の景勝地)と称される「天遊峰」だ。標高408・8メートルで、一枚岩でできている。高くはないが、切り開かれた八百以上の石段はきわめて険しい。景観が最もすばらしいのが、日の出前だ。天遊峰の頂に立ち、周囲をぐるりと見渡すと、山の下に曲がりくねった九曲渓が、はるか遠くに雲間にのぞく山峰があった。

 やがて、朝日がゆっくりと昇った。黄金の光が射し込み、山々を真っ赤に染めた。気温が上がると、雲海が動き始めた。それは時に軽妙で、時に緩慢、時に波のうねりのようで、時に大きく限りがなかった……。雲の動きにしたがって、景色は千変万化した。

中国と日本、韓国の茶道家が、武夷山で茶道交流を繰り広げた

 かつて全日本空輸(全日空)社長を務め、日中友好活動に尽力した故・岡崎嘉平太さんは1984年春、天遊峰を訪れた。登頂した後、感激のあまり、「不登天遊、非好日人」(天遊に登らずして、立派な日本人にあらず)という墨書を残したという。

 人々に親しまれている名茶・ウーロン茶の元祖は、武夷山の「武夷岩茶」である。武夷山の「九竜クー」と呼ばれる深山幽谷に、岩壁に生育する一叢の茶樹がある。すなわち、それが「茶中の王」と称される「大紅袍」だ。この茶樹から生産されるウーロン茶は、毎年ごくわずかでしかない。数年前の競売では、20グラムが15万6800元(1元は約15円)で落札されたという。

「遇林亭」は宋代の竜窯遺跡だ
古代の?越国の王城跡

 言い伝えによると、大紅袍は故事から生まれた。遠い昔、この葉を使って点てた茶は「神茶」と呼ばれて貴ばれていた。それを聞いたある皇帝、病を煩う皇太后に神茶を捧げたところ、病がすっかりよくなった。そこで大臣を遣わして、赤い長衣の袍(古代の礼装)を茶樹の上にかけ、「大紅袍」という名前を授けた。こうして武夷山の大紅袍は、その名を天下にとどろかせたのである。

 武夷山は霧深く、気候が温暖で、湿度が比較的高いという自然環境に恵まれるため、質のよい茶が生産される。客好きな人々は、茶館や農家にかかわらず、だれしもが武夷岩茶でもてなすことができる。正式な茶道や略式コースで接客をして、茶を味わわせてくれるのだ。ここで茶をいただくと、武夷山のおもむきを最も感じ取ることができる。

?越国の王城跡そばの古粤城村
?越国の王城跡から出土した、宮殿用の「万歳」瓦当(漢代)

 九竜クーから西北の山に、「遇林亭」という場所がある。1958年、ある発掘調査隊が、中国における最大規模かつ完全なまでに保存された「宋代古窯跡」を発見した。宋代の八大窯系の一つ「建窯系」だった。当時、ここで生産されたものの多くは、闘茶(茶を飲んで産地や品名を当てる遊び)に用いられた「黒釉茶盞」(黒い釉薬をかけた茶杯)だ。また、世界の陶磁器史上でも傑作とされる「兔毫盞」(ウサギの毛のような模様の入った茶杯)も作られていた。

武夷山特有の両生類で、俗に「ツノガエル」と呼ばれるカエルの一種
国家二級保護動物のハクカン(キジの一種)
武夷山に生息するキジの一種。国家一級保護動物に数えられる

 古窯跡へ近づいてみると、すでに発掘された二つの「竜窯」が、山の斜面に沿って造られていたのがわかった。向かって左側の一号竜窯の長さは73・2メートル、右側の二号竜窯はさらに長くて113メートル。地元の人によると、二つの竜窯は一度にそれぞれ5万点、8万点の陶磁器が焼成できた。当時、ここの製品の多くは海外に売りに出された。今でも日本をはじめ朝鮮半島、東南アジア、イギリスなどに遇林亭の陶磁器が残されており、文化財となっている。

 武夷山の南麓にある崇陽渓の河畔には、古代の王城遺跡がひっそりとたたずんでいた。1950年代〜80年代の二十余年にわたって何度も発掘調査と考証が行われた結果、ここは2000年前の前漢時代(紀元前206年〜紀元8年)、地元民族が政権を持ち、今の福建省辺りを治めた「ミン越国」の王城であると確認された。

仙境にも勝る朝日の中の雲海
武夷山自然保護区の原始林では、3718種の植物と5110種の動物が生存している

 遺跡に近づくと、土を突き固めた頑丈な城壁が、おそらく古代そのままに屹立していた。古城は山に寄り添い、河畔に建てられており、中に入ると陶製の排水管や礎石、地面を舗装した漢代のレンガなどが目に飛び込んだ。さらに驚いたのは、城内にある漢代の井戸は、今でも水が湧き出ていること。専門家たちに「華夏(中国の古称)の第一井」と称されるという。

 王城遺跡のそばには、「古粤城」村と呼ばれる小さな集落があった。「粤城」は「越城」を指し、王城遺跡とはなんらかの関係があったようだ。村の入り口に、昔の面影を残した門楼が建てられていた。さらに50メートルほど進むと、木造建築の「百歳坊」と「祠堂」があった。

 村には現在、林、李、趙の三姓の家族が住んでいる。村人が保存している家系図によれば、李、趙の二姓はそれぞれ唐代、宋代の皇室の末裔だという。現在はみな農業に勤しんでいるが、村に入ると、濃厚な文化の香りが漂っていた。知的な雰囲気のある古い民家や、精緻をきわめた木彫、レンガの彫刻などである。 (2003年3月号より)