伝説によれば、むかしむかし、男神が美しい磨き上げた宝鏡を、恋い慕っていた女神にプレゼントした。ところが、女神はうっかり宝鏡を落としてしまった。それは深山幽谷に砕け散り、114の青く澄んだ湖になった。こうして、この世に九寨溝という夢幻の仙境が現れたとされている。 |
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珍珠灘瀑布のそばに立つと、その大きさや勢いがわかる |
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犀牛海は全長2キロ、面積20万平方メートル。九寨溝では2番目に大きい湖沼である |
1960年代、大自然が人類にあたえた神秘の仙境・九寨溝は、森林の伐採場となっていた。しかし、幸いにもその美しさがすっかり取り壊される前に、人々は九寨溝を記録した絵画や撮影フィルムに驚嘆させられた。多方面による努力の成果で、中国国務院(中央政府)は78年12月15日、「九寨溝を国家級保護区に指定し、九寨溝における森林伐採や商業的な生産活動を禁止する」という文書を公布した。その後92年、九寨溝はユネスコの世界自然遺産リストに登録されたのである。
同年にはそれに先立ち、ユネスコの関係者たちが世界自然遺産に申請されていた九寨溝を初めて訪れた。彼らは九寨溝の入り口「溝口」にさしかかったとき、視界をさえぎるほどの激しい雨に見舞われた。ところが十キロばかり進み、「火花海」と呼ばれる湖沼に到着したとたん、突然雨があがり、美しい虹が天空に現れた。目の前には青々と光る湖が広がっている。えもいわれぬ鮮やかな景色に、彼らはぼう然と立ちすくんだ。そして湖のほとりに頭をつけて、このすばらしい自然に対し最敬礼をしたのである。その後、彼らはこう言った。「ここの景色はすばらしい、まったく驚かされるほどだ!」。彼らの最敬礼は、大自然への敬意であり、貴い宝を残してくれたと中国に感謝したものであった。
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樹正群海の河流はとめどない |
九寨溝は四川省の北部、岷山山脈南部のアワ・チベット族チャン族自治州に位置する。長江水系に属する嘉陵江の上流、白水江を源とする一大支流の渓谷である。九寨溝には、九つのチベット族の寨(集落、村)があるため、そうした名前がついたといわれる。「Y」字型をした三つの渓谷からなり、それぞれ「樹正溝」「日則溝」「則査窪溝」に分かれている。全長55・5キロ、総面積は1320平方キロ。渓谷には、大小の湖が114(土地の人々は、湖を「海」「海子」と呼んでいる)、瀑布が17、トラバーチン(石灰岩)化した浅瀬が5、泉が47、早瀬が11あり、水流の落差は1870メートルにも達するという。
九寨溝のひすい色の湖、幾重にも流れ落ちる滝、雪峰、彩林(四季折々に色彩を変える林)、チベット族の風情は、人々に「九寨五絶」、九寨溝の五つの絶景と称えられる。都会とは遠くかけ離れたこの山岳地は、ことのほか空気が澄んでいる。50キロ先まで見わたせるほどだという。雪解け水が地中でろ過され、数珠のように連なる湖沼に流れ込む。青々とした空の光をうけとって、湖水の色はけんらん多彩に変化する。
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五彩池の水は美しい油絵のようだ |
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五花海の湖底は、トラバーチンの堆積とさまざまな藻類で色彩も豊かだ |
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臥竜海は湖沼に横たわるかのようなトラバーチンの自然の堤でその名がついた |
湖のなかで、色彩の美しさでいえば「五彩池」だろう。それは精巧な青い宝石を密林のなかにはめ込んだよう、湖水は透き通るように澄んでいる。湖のほとりに立つと、湖底6・6メートル深さの小石の形やスジまでハッキリと見えた。
「五花海」が九寨溝の絶景といわれているのは、湖底のトラバーチン堆積と色彩の豊かな藻類、沈殿する植物などが分布して、湖面に鮮やかな色彩を生み出しているからだ。赤、オレンジ、黄、緑、青、藍、紫など、湖はまるで多彩な宝石がはめ込まれてできたかのようだ。
九寨溝にある17の瀑布のうち、よく知られるのが「樹正」「諾日朗」「珍珠灘」の三大瀑布である。「樹正瀑布」は、「九寨溝の縮図」と呼ばれる「樹正溝」に位置する。上流の河がゆっくりと浅瀬をすぎて、崖の端の樹木に分けられ、無数の水の束をつくる。その瞬間、弓なりになった山崖から水流がほとばしり落ちていく。
「諾日朗瀑布」は、Y字型の渓谷の中心にある。その幅320メートル。これまでに中国で発見された最大幅のトラバーチン化瀑布である。「諾日朗」とはチベット語で「男神」を指し、「壮大、雄大」の意味である。ダイナミックなその勢いから、名づけられたものである。
「日則溝」に位置する「珍珠灘瀑布」は、九寨溝でもっとも美しい滝である。向かいの崖の上から瀑布を見下ろすと、激流は長さ約500メートル、幅200メートル近く。それは曲線を描いて深さ40メートルの谷底へと流れおち、なんとも優美、秀麗である。谷底の傍らから仰ぎ見ると、また別の趣がある。落水の音がとどろき、しぶきが飛び散り、はね上がり、まるで勢い盛んな「千軍万馬」のようである。
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諾日朗瀑布の幅は、320メートルに達する |
「則査窪溝」の源は、九寨溝最大の湖――「長海」である。標高3060メートル。ここの景観は九寨溝でもっとも壮麗で、「S」字型の湖は長さが約5キロ、最大幅が600メートル、群青色の湖の両側は、雲までそびえる雪峰である。それら雪峰の標高は、いずれも4000メートルの「雪線」(真夏でも雪が消えない高さの地点を連ねた線)以上であるため、山頂の積雪が年中溶けることはない。
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水草が繁茂している天鵝海。ハクチョウがよく飛来しては、ここで繁殖する |
地質学者の考証によれば、第四紀晩期から新世紀後期、ここの氷河はきわめて壮観であった。高山で発生した氷河は、標高2800メートルの谷底までゆるやかに流れ出した。「長海」は、つまり氷河運動で形成された「堰塞湖」(せき止められた湖)である。現在、ここには古い第四紀氷河の遺跡が残されている。「氷斗」「氷谷」はじつに典型的な氷河で、「懸谷」「槽谷」は独自の風格を備えている。
九寨溝に生いしげる林と湖は、植生分布が立体的、典型的で多様だ。彩林植物、水生植物、地衣類などで、ここに共生する高等植物は2576種、下等植物は四百種あまり。そうした植物が、九寨溝の四季における多様な色彩をつくりだしている。春は、赤、黄、紫、白などさまざまな色のツツジが林のなかに彩りをそえ、ヤマナシやヤマモモの花が競うように咲きほこる。夏は、各種の植物が多彩な緑を「演出」し、その世界が旺盛な生命力を表している。秋は、九寨溝の色彩がもっとも秀麗な季節である。深いオレンジ色のハゼ、真紅のカエデと野生の果実、鮮やかな紫色のアンズの葉、さらにキササゲ、ウルシ、モミジ、エンジュ……。冬は、美しい雪景色と透明な氷のカーテンが、九寨溝を聖なる女神に飾りたてる。一面の銀世界はなんとも典雅であり、一つひとつの湖は、まるで女神が飾った高貴な青い宝石のようだ。
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長海の周りには排水口がないが、四季を通じて水があふれたり、かれたりすることはない。人々には「満杯にもならず、かれもしない宝のひょうたん」と称されている |
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早瀬の「水転経」 |
樹正溝の樹正チベット族の寨の外には、一列にならんだ九つの白い仏塔「九宝蓮華菩提塔」がある。その両側には二つの亭があり、亭のなかには銅製の「転経筒」がある。チベット族が住む集落には、どこでも必ず転経筒があり、そのなかには多くの経巻が収められている。チベット仏教の信仰者は、転経筒を一回まわすごとに、筒のなかの経文が百回念仏でき、功徳を積んだことになると考えている。樹正瀑布の急流のなかには転経筒をそなえた木造の小屋がいくつも設けられ、それが「水転経」と呼ばれている。人々は水力利用で経筒が日夜まわり続けるようにしており、チベット仏教へのあつい信仰を表しているのである。
98年5月26日、九寨溝はユネスコの「人と生物圏計画」が発表した「世界生物圏保護区」(World
Biosphere Reserve)証書を獲得。2002年7月4日には、国連環境計画から「緑の地球 」(Green
Globe21)認証が授与された。
九寨溝は、清純なまでの浄土であり、仙境である。ここを訪ねたあるスウェーデンの女性は「ここは神様のパラダイスだ」と語ったという。(2004年3月号より)
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