1969年10月、まさに「地下博物館」と呼ぶにふさわしい甘粛省武威市の雷祖廟雷台漢墓から、多くの文物とともに、銅製の「奔馬」が発掘された。郭沫若氏が「馬踏飛燕」(馬、飛燕を踏む)と名づけたこの奔馬は、古代の馬を題材にした最高の傑作である。
同奔馬は、空飛ぶツバメをとらえ、残りの三本足は空を駆り、首をもたげていなないている。その全身から、人を圧倒する勢い、しなやかさ、力強さ、スピード感などが伝わり、造型は愛くるしく精緻で、構造は巧妙で、工芸品の域を超越したすばらしい境地に到達している。
生き生きとして気品ある奔馬は、アメリカ、日本、イギリス、フランスなどで展示された時、「芸術作品の最高峰」と絶賛された。
1983年、国家旅遊局は、同奔馬を中国観光のシンボルマークに決めた。報道によると、国家旅遊局は近く、同奔馬を国際関連組織に推薦し、フランスのエッフェル塔、アメリカの自由の女神とともに、世界観光のシンボルマークという栄冠を競うことになる。
専門家の考証によると、力強さみなぎるこの奔馬は、西域から中国に入ってきた「汗血馬」をモデルに創作されたものだ。「汗血馬」は古代、世界にその名をとどろかせていた名馬である。同馬が駆けると、首の辺りからまるで血のような赤い「汗」が出たため、この名がついた。肉付きがよく優美で、頭が細く首は長く、体の線が美しい馬である。
中国のある史書によると、前漢の張騫が使節として西域に派遣された際、「汗血馬」を見つけた。その後、この名馬を手に入れるために、漢の武帝が西域の大宛国(現在の中央アジア)に何度も攻め入ったほどだった。当時歌われた詩には、「天馬」という美称が使われ、以来、中国での奔馬の名声は不動のものとなった。(2003年4月号より)
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