1981年、遼寧省建平県牛河梁で、新石器時代(約6000年前)の遺跡が発見された。北方紅山文化の頃のもので、大量に出土した玉器の中で、特に注目を集めたのが、「玉猪竜」だった。
「玉猪竜」は、当時もっともよく使われていた玉器材料の青色蛇紋石を研磨して作られている。蛇紋石は、1億5000〜1億8000年前に生成した鉱物で、滑らかさ、きらきらした透明さ、多様な色彩をあわせ持っていて、鮮やかな色のものほど上等品とされる。
同遺跡から発掘された玉器は、ミニサイズが多く、穴もあるため、装飾品だったと考えられる。特に、「玉亀」「魚型下げ飾り」「玉鳥」「玉猪竜」などの動物型装飾品は、非常に精巧にできている。研究により、地位や権力を現す祭祀の礼器として使われていたこともわかっている。玉礼器は、人と神が交信する仲介物であり、階級と地位の象徴で、国の重要な宝物だった。
玉器を作る際には、材料選びに時間を掛けたことがうかがえ、細工は込み入っていて美しい。どの玉器も国宝と呼ぶにふさわしく、高い歴史的、科学的、芸術的価値がある。
大きな頭と耳、丸く見開いた怒ったような瞳、目の周りのしわ、突出しわずかに開かれた口元、むき出しの牙、輪のように丸くなった背中などの特徴がある「玉猪竜」は、ブタの頭とヘビの胴体が合体した形になっている。
おもしろいのは、出土した時に、「玉猪竜」が埋葬者の胸の上に置かれていたことだ。これは、この装飾品にお守りの意味があるだけでなく、中国古代の竜崇拝の始まりだった可能性を秘めている。当時の人々にとっての竜は、まだ超自然的な力を持ち合わせていなかった。しかし、ブタとヘビの結合が、竜を創り出すきっかけとなり、その後、数千年を経て、「中国竜」の全体像が創り上げられた。
専門家は、竜はブタから生まれたと見ている。それは、ブタが豊作を祈る祭事の供物であり、それが神聖化されて竜になったと考えるのが妥当だからだ。この過程には、原始農業と原始信仰の発展という歴史的背景もある。(2003年6月号より)
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