1975年、貴州省興仁県の雨樟鎮一帯の農村で、多くの漢代の墓が発見された。貴州省博物館は二回にわたり十八基の漢墓を発掘調査し、全部で六百余点の副葬品を収集したが、その中で、琴を弾く陶俑は、考古学的にも美術的にもきわめて高い価値をもっている。
中国の古代では、俑は、死者が冥界に伴う「冥器」の一部である。死者が死後の世界でも、引き続き現世と同様の生活ができるようにするのが俑の役割なので、俑には、古代社会のさまざまな情報が満載されている。だから我々は、俑の中から当時の社会の姿を推しはかることができるのだ。
古琴は、中華民族のもっとも古い弦楽器である。その歴史は悠久で、古琴に関する文献は多く、内容も豊富で、貴重なものである。
歴代の古琴の著名な演奏家の多くは、歴史的に有名な文人であり、彼らは代々、古琴の曲を相伝してき
た。孔子は琴を弾くのを好み、『詩』三百篇はみな琴に合わせて歌った、という。漢代の文学者、司馬相如は即興で『鳳が凰を求める』という曲を琴で演奏し、恋する卓文君の愛を得た話は昔から有名だ。
四川省を中心とする後漢時代の陶俑は、この地が戦乱から遠く離れ、全国でもっとも人口が多く、生産が豊かな農業地帯にあるため、みな、喜びと楽しみに満ちた表情をしている。
この琴を弾く陶俑の顔も、表情が生き生きとしており、その動作も正確に作られている。俑は頭巾を被り、長い一重の上着を着て、正座して琴を弾いている。両眼は琴を見てはいない。これは彼が明らかに琴の演奏に習熟していることを示している。頭をやや傾げ、ときに高く、ときに低く響く琴の音に陶酔しているのか、演奏に夢中になっている。口元には笑みをたたえ、喜びと楽しみの中にもおっとりとしてもの静かな、落ち着いた表情が現れている。
この俑は千年もの間、土の中に埋まっていたとはいえ、今でも見る人に、朴訥で温和な実直な人柄を感じさせ、人々に愛されている。
早期の漢俑はすべて職人の手で土を捏ね上げて作られており、これらの俑から、職人たちの心の喜びが感じられる。(2004年12月号より)
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