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漢代の生活伝える 琴を弾く陶俑
 
   文=魯忠民 写真=王露 


(25〜220年) 高さ36センチ


 

 1975年、貴州省興仁県の雨樟鎮一帯の農村で、多くの漢代の墓が発見された。貴州省博物館は二回にわたり十八基の漢墓を発掘調査し、全部で六百余点の副葬品を収集したが、その中で、琴を弾く陶俑は、考古学的にも美術的にもきわめて高い価値をもっている。

 中国の古代では、俑は、死者が冥界に伴う「冥器」の一部である。死者が死後の世界でも、引き続き現世と同様の生活ができるようにするのが俑の役割なので、俑には、古代社会のさまざまな情報が満載されている。だから我々は、俑の中から当時の社会の姿を推しはかることができるのだ。

 古琴は、中華民族のもっとも古い弦楽器である。その歴史は悠久で、古琴に関する文献は多く、内容も豊富で、貴重なものである。

 歴代の古琴の著名な演奏家の多くは、歴史的に有名な文人であり、彼らは代々、古琴の曲を相伝してき
た。孔子は琴を弾くのを好み、『詩』三百篇はみな琴に合わせて歌った、という。漢代の文学者、司馬相如は即興で『鳳が凰を求める』という曲を琴で演奏し、恋する卓文君の愛を得た話は昔から有名だ。

 四川省を中心とする後漢時代の陶俑は、この地が戦乱から遠く離れ、全国でもっとも人口が多く、生産が豊かな農業地帯にあるため、みな、喜びと楽しみに満ちた表情をしている。

 この琴を弾く陶俑の顔も、表情が生き生きとしており、その動作も正確に作られている。俑は頭巾を被り、長い一重の上着を着て、正座して琴を弾いている。両眼は琴を見てはいない。これは彼が明らかに琴の演奏に習熟していることを示している。頭をやや傾げ、ときに高く、ときに低く響く琴の音に陶酔しているのか、演奏に夢中になっている。口元には笑みをたたえ、喜びと楽しみの中にもおっとりとしてもの静かな、落ち着いた表情が現れている。

 この俑は千年もの間、土の中に埋まっていたとはいえ、今でも見る人に、朴訥で温和な実直な人柄を感じさせ、人々に愛されている。

 早期の漢俑はすべて職人の手で土を捏ね上げて作られており、これらの俑から、職人たちの心の喜びが感じられる。(2004年12月号より)

 
 

貴州省博物館
 


 貴州省博物館は、中国の省クラスの総合的な博物館である。貴陽市の北京路にあり、1953年に建設準備が始まり、1958年に開館した。敷地総面積は1万9300平方メートル。

 収蔵されている文物や標本は6万点以上ある。収蔵品を自然科学と社会科学の2分野に分けると、自然科学分野は主に古生物の化石、古人類の化石と文化的遺物、動植物の標本からなっている。社会科学分野は主に考古、歴史、民族の三大部分から構成されている。

 考古学の発掘された文物は非常に豊富で、中でも戦国時代から前漢時代まで(紀元前475年〜紀元25年)の青銅器は、この地方の特色を有している。少数民族の文物は、貴州省の17の少数民族、とくにミャオ族の衣食住と交通、生産の文化的特色を集中的に展示している。

 刺繍、ろうけつ染、「挑花」(刺繍の一種のクロス・ステッチ)、錦織り、銀飾りが収蔵品の中で数量、種類の面できわめて多い。そのほか、代表的な収蔵品には、ミャオ族の婚姻を記述した割符、動物の図案を掘り込んだミャオ族の角の酒器、イ族の族長が着る「竜袍」(竜を刺繍した長衣)、スイ族の墓に葬られた石刻の銅鼓などがある。

 さらに、近現代の文物と革命文物があり、その中には、太平天国の時期の少数民族蜂起軍や辛亥革命の時の貴州政府、中国工農紅軍が黔東特区を設立した当時の各種の文物が含まれている。

 この博物館の常設展示には「貴州の鉱物資源」「貴州の自然資源」「太平天国時期の貴州各少数民族の農民蜂起闘争」「中国工農紅軍の貴州における活動」「貴州の出土文物」などがある。また、これまでに「貴州ミャオ族の風情」「貴州の石刻の拓本」「貴州の文物写真」などの展覧が催された。