2008 北京オリンピック 開催への熱い夢

               文・曹 復 写真・魯忠民

 来る7月13日、2008年オリンピックの開催地がいよいよ決定する。北京、パリ、大阪、トロント、イスタンブールのうち、どの都市が最終的に勝利を得るだろうか。

 どこに決まるにしても、もちろんオリンピックの聖火の輝きに変わりはない。けれど、中国人の北京開催への切望は、すでに頂点といえるほどに高まっている。

 アメリカの権威ある世論調査会社ギャラップのデータでは、北京市民のなんと94・9%がオリンピック開催に賛同している。

 今月はオリンピックを待ち望む中国人の声をレポートしてみた。

 北京市の西北部から、東南方向にある北京2008年オリンピック招致委員会(以下、招致委員会と略)に取材に向かう途中、乗り換えのバス停留所で周囲を見回してみると、あたりはオリンピック招致を呼び掛けるステッカー、ポスター、それに「環境にやさしいオリンピック、人にやさしいオリンピック、科学技術を駆使したオリンピック」という標語が至るところに貼られている。そして、それぞれに2008年オリンピックのシンボルマークがついている。それは、青、黄、黒、緑、赤の五輪の色が、中国伝統の飾り結びのようにも、太極拳のポーズにも見える形にまとめられたユニークなもので、生き生きと躍動感に満ち、またどこかユーモラスでもある。

 しゃれたデザインは人気を呼び、この模様を頬に描く若い女性まで出現したほど。招致委員会が製作した、記念バッチや飾りピンは飛ぶように売れている。

 オリンピック招致の行方は、今、北京人にとって最もホットな話題で、街の至るところで、その空気を感じることができる。

 北京は、1991年2月、2000年オリンピック招致を申請し、その後わずか二票の差で、シドニーに破れた。八年後の1999年1月、中国オリンピック委員会は、北京の2008年オリンピック開催への申請を承認し、国際オリンピック委員会(IOC)に招致申請書を提出した。

 招致委員会は、北京新僑飯店の六階にある。50年代から続く同ホテルの名は、多くの日本人には馴染みのあることだろう。私自身も、ここで何度も日本のスポーツ界人士を取材している。

 ここで、迎えてくれたのは招致委員会の新聞宣伝担当である馬春玲処長。八年の歳月を経て、北京の経済的実力、社会的発展、インフラ建設および環境保護方面には、顕著な変化が見られ、オリンピック開催の条件はいっそう整いつつあると、馬処長は力説した。

          約95%の支持率

 馬処長の話では、1999年9月6日に招致委員会が成立されて以来、多くの人々が、署名や自作の絵や書、詩や歌などを委員会に贈り、オリンピック開催への望みを表明しているという。そのような人々は、香港、澳門、台湾地区を含む全国にわたり、なかには、老教授や、子供たち、身障者なども含まれているという。

 激励の品のうち、一番多く届いたのは、署名で、なかでも北京の小学校から大学まで、あわせて300校、約30万人の学生が名前を連ねた、3000メートルもの長さになるものが、最大だった。

 2000年夏には、中国の有力ウェブサイトが参加して、ネットでの署名活動が繰り広げられた。これは一市民の陳帆紅さんが招致委員会のホームページに送った「全国ネットユーザーへの提議書」がきっかけとなったもので、それには「マウスをクリック、キーボードを叩いて、オリンピックの聖火を北京に点そう」と呼びかけられていた。各ウェブサイトには署名活動のためのリンクが設けられ、昨年暮れには、ネットを通して集められた百万人分の署名が、ディスクとなり、主催者自らの手によってスイス、ローザンヌのIOCに届けられ、国際オリンピック博物館の収蔵品となった。

 同じくオリンピックへの情熱を表明するために、北京の一般市民五人は、自ら10万元の資金を準備し、『陽の昇る大地での約束』と題されたMTVを撮影し、それは2001年1月24日の春節に中央電視台から全国に向けて放映され、大きな反響を呼んだ。

 「陽の昇る大地で約束しよう、みなで手を携えて輝かしい成果をあげ、オリンピックの旗を高く掲げて、共に新しいメロディを奏でようと……」

 MTVの中で映像とともに流れたこの歌の価値は、それが、オリンピックのために作られた公益歌だということだけではない。歌は招致委員会の手によるものでなく、5人の、決して余裕がある暮らしぶりとはいえない庶民が、自ら資金を集め制作したものなのだ。それに、5人以外、撮影や挿入歌を担当したスタッフは、誰一人として報酬を受け取っていないという。  

 また春節の期間には、10人のオリンピック金メダリストとコーチ、それに20人の芸能界スターが参加して、オリンピック招致に関するドラマ『ここに私もいる』も放映された。

 各メディアはオリンピックに関する報道を盛んに繰り広げている。例えばテレビには、オリンピック専門の番組が設けられ、オリンピック専門のホームページや、オリンピックに関連した書籍も出版された。また各界共催で、オリンピックの知識に関するコンテストなども行われている。こうした活動を通じて、人々は、友情、団結、および公正に基づいた相互理解についての認識を得て、より美しく平和な世界を築くために貢献するオリンピックの精神について、理解を深めている。

 来たるオリンピック期間における、各国のスポーツ選手との交流のため、北京市民の多くが英語の勉強を始めた。これには、一般市民、子供たち、タクシーの運転手、政府機関職員などが参加し、かつてなかった外国語学習ブームとなっている。

 北京を東西に走る、目抜き通りの長安街には、2001年2月〜3日から、その名も「オリンピック招致バス」と呼ばれる二階建てバスが走っている。二階にはオリンピックに関する写真が車内に貼られ、そのなかには「新北京、新道路、新会場」をテーマにしたコーナーや、過去のオリンピックにおける中国人金メダリストたちのコーナーもある。このバスは、道行く多くの人を魅きつけている。

 バスの車掌や運転手などスタッフの4人は全員女性で、みな英語を話す。運転手の蔡春蘭さんは、16年の運転歴のなかで初めての、オリンピック招致バスの担当をとても誇りにしているという。彼女も含めて4人は、200人のスタッフから選ばれた精鋭だ。

 北京の道教寺院、白雲観では、2008年オリンピックの北京開催を願って祈祷式が行われた。

 道教は、中国独自の宗教であり、白雲観はその一派、全真教竜門派の叢林として名高い歴史遺産だ。シンボルマークが太極拳のポーズに、しかも道教における太極拳に似ていることから考えると、道教関係者が招致活動に参加するのは、大きな意義があるといえるだろう。

 北京のカトリック教徒たちは、神父、修道女、修道僧や信者たち、あわせて千人あまりが集まり、祈願のミサを行った。

 こうして中国人が北京オリンピックに向けて情熱を注いでいるだけでなく、外国の友人たちも、オリンピック招致に大きなエールを送っている。

 オーストラリア出身、オリンピックをテーマにしたシリーズ作品で知られる画家、チャールス・ビリシー氏は、北京オリンピック招致のために特に『北京千年都市風景画』と題された大型の油絵を創作した。彼は、世界の多くの有名都市を描いているが、この北京の絵は最も満足のいく仕上がりになったという。

 この大型作品は、IOC評価委員会が今年2月、北京を視察に訪れた際の宿泊先である、北京飯店のロビーに掛けられた。彼の希望は、評価委員会のメンバーが彼の絵を通して、「北京を見て、北京を味わい、北京を選ぶ」ことだという。

 私も評価委員会を取材した際、この作品が目に入った。この絵を前にして、古都北京への懐かしさと、その未来に対する希望が沸いてきた。一行は、北京のオリンピック招致の進行状況を四日間にわたって評定した。視察の結果については、日本の三大新聞、朝日、読売、毎日の日本向け報道を引用したいと思う。

 朝日新聞は北京の環境が改善された、というハイン・フェアブリュッゲン委員長の談話を引用した。読売新聞は、評価委員会が、招致委員会の仕事ぶりを高く評価した、と伝えた。毎日新聞は、ハイン・フェアブリュッゲン委員長が最も印象に残ったこととして、北京市民のオリンピックに対する熱意を挙げた。

 北京市民のオリンピックに対する支持率の高さは、世論調査会社ギャラップが昨年実施した調査の結果にも表れた。同社では、1626人の北京市民に対し電話調査、および訪問調査を行い、その結果は、94・9%の北京市民がオリンピック招致に賛成、というものだった。この結果は、パリの79%、およびトロントの七八%をはるかに上回る。

 調査の過程では、調査員を感動させる多くのできごとがあった。その一人、調査員の孫さんは、電話での調査中に、一人の視覚障害者から次のような回答を得た。「私はオリンピックをこの目で見ることができません。でも、もし北京で開催されたら、毎日ラジオで聞くつもりです」

 また、別の被調査者は、「私は仕事中の事故のために足が不自由になりましたが、オリンピックの会場には車椅子で行き、選手を励ますつもりです。生きてるうちにオリンピックに間にあって、ほんとうにラッキーです」

 また、ある老人は、人を感動させ、また少し感傷的にもさせる言葉で答えた。「あと8年、必ず体に注意して、よく運動して、なんとか2008年まで生きていたい!」

         環境オリンピック

 北京政府は、オリンピックを招致するにあたって、「環境にやさしいオリンピック、人にやさしいオリンピック、科学技術を駆使したオリンピック」のテーマを提言している。劉淇・北京市市長、招致委員会主席は、これを「環境方面は、人と環境の調和を、人との関わりでは、人間を尊重し、東西文化の交流を、科学技術方面では、スタジアムや選手村の建設および、通信、交通など各方面に最先端の技術を駆使することを目指す」と解釈している。

 環境方面においては、緑化率と一人あたりの公共緑地面積が重要になる。昨年末までに、北京の緑化被覆率は、5年前の32%から36%に上昇し、一人あたりの公共緑地面積は、5年前の7平方メートルから10平方メートルになった。市街区の一人あたりの公共緑地面積は35平方メートルとなっている。

 今後五年の間に、北京市の緑化の目標は、緑化被覆率が48%以上、一人あたりの公共緑地面積が15平方メートルとなっている。

 北京の公共緑地と、緑化を管轄する、張樹林・北京市園林局局長は、生活環境の改善は、北京人にとって切実な望みになっていると語る。彼は「園林」という中国語の変化を説明しつつ、北京市の環境における喜ばしい変化を語る。

 張局長によると、「園林」という言葉はもともと「苑林」を語源としており、「苑」は皇室の御苑を意味する。のちにこの言葉は一般人の庭をも指すようになった。そして今「園林」の概念は、かつての意味から離れ、造園芸術は閉鎖的な高い壁に囲まれた空間のものから、都市における芸術となった。人々は今、都市を大型の花園のようにし、交通規則を整え、風景を創造し、草木や花々を植える。

 1999年以来、北京市政府は「大緑地運動」を始めた。商業地区、また市民の居住エリアに大面積の緑地を建設するというものだ。この運動は、1999年の一年だけで、北京市全市をあわせ十四カ所以上、1万平方メートルにのぼる緑地を築いた。

 緑の北京を建設すると同時に、大気汚染の改善も重要な課題だ。毎年11月15日から翌年の3月15日までの暖房供給の時期、石炭を燃料として暖をとっていた以前は、空気中に石炭の粉塵がいたるところ舞っていた。だが天然ガスの使用率が毎年高まっている現在では、そのような風景も見られなくなっている。  昨年12月、ハランド・国際馬術競技連盟秘書長、レイモンハン・国際ハンドボール競技連盟秘書長、金雲竜・世界テコンドー連盟主席は、相次いで北京市東南部にある暖房供給センター、方荘供熱廠を視察し、三人とも北京の環境保護に対する努力に満足の意を表した。

 方荘供熱廠は、暖房供給面積270万平方メートル、大気汚染の改善のため、ボイラーに使う燃料を石炭から天然ガスに切り替えた。方荘供熱廠にあった石炭置き場は、今や敷地3万平方メートルの大型スポーツセンターとなった。センターの中には、プール、テニスコート、ボーリング場など全てが揃っている。建物の外壁は、青とピンクで彩られ、その清潔感あふれる様子は、かつてそこが真っ黒に汚れた石炭置き場だったとは、とても想像できない。こうした大気汚染に対する対策によって、北京の大気は指数三級および三級を上回る日が一年の93・7%を占めるようになった。

        オリンピック専用道路

 2008年、北京の交通はさらに安全に、便利に、正確に、そして快適になる。それはオリンピック時の需要に完全に適合することだろう。北京市交通管理局のある責任者は自信を持って語る。

 現在、北京のバス交通網は世界最大である。北京には現在、一万台の公共バスがあり、うち5000台が天然ガスを使用、その使用率は世界最多だ。2008年には、北京の公共バス台数は、1万5000台になるといわれる。現在の公共バスは、より速度のでる新型車両への切り替えが進んでおり、快適さや運搬能力は格段にあがることと予想される。

 私を含め、北京に長く住んでいる者なら誰でも、公共バスの路線が増え、台数が増えたことを身をもって感じていることだろう。数年前まではラッシュ時に乗客が多すぎて、バスが扉をしめることができずに立ち往生している風景がよく見られたが、今ではそんな現象は激減している。

 北京には、現在二本の地下鉄があり、両線をあわせた全長は、53・7キロ。これが2008年には、140キロになる計画だ。

 オリンピック期間には、選手村からスタジアムまでの交通の便宜を計るため、専用道路が設けられ、関係者、選手、審判、記者の往復バスが30分以内にスタジアムに到着することができるよう計画されている。

 この専用道路は、市民のための一般道路とは完全に分離される予定で、市民生活はまったく影響を受けることはない。

 北京市の三カ所の空港も、オリンピックに使用される。そのうちの首都空港は、中国最大の空港であり、一日のべ640機の飛行機が発着するアジアで最も稼働率の高い空港である。この空港から高速道路を利用して選手村に至るまでは、約20分。またこの空港のほかに、北京市南部の南苑空港、および西郊空港もオリンピックに関する貨物とVIPの発着サービスに使用される予定だ。 このように2008年のオリンピックに向けて、北京は並々ならぬ努力を続けている。劉淇市長は、2008年オリンピックを史上最も優れ、最も人の記憶に残るものにするために、北京には十分な資源があり、十分な能力があり、十分な自信があると語る。

 今世紀の初めの1908年、当時の中国の雑誌『天津青年』では、読者に向けて三つの課題を提起した。中国のオリンピック選手はいつ誕生するだろうか? 中国選手団をいつ参加させることができるだろうか? そしていつ、オリンピックを開催できるだろうか? 中国人の二つの望みは、早期に実現した。そして、最後の夢の実現は、いつになるのだろうか? すべての中国人はそれが、2008年に実現することを今、強く願っている。

 袁偉民・招致委員会執行主席、国家体育総局局長は、中国人民の共通の願いを以下のように表現している。「1908年から2008年は、一民族の百年にわたるオリンピックコンプレックスであり、百年にわたる希望である」

 オリンピック招致は、いわばマラソンレースのようなもの。ある選手に優勝の実力があったとしても、その結果は、彼がゴールインするまで分からない。今年7月13日、IOCは、モスクワで北京、パリ、トロント、大阪、イスタンブールのいずれかの都市を開催都市として選ぶ。「北京に決まるにせよ、決まらないにせよ、世界各国の友人たちと手を携えて、オリンピックの繁栄と発展のために貢献する」と劉淇市長は語っている。