「人民日報」海外版はこのほど、署名論文で、1946年5月7日に始まった葫蘆島日本人送還から60年が過ぎたが、この偉大な慈善の行為によって建てられた人道主義の大きな碑は一層高くそびえ、今日の世界に対する道義的啓発はますます大きくなっていると指摘した。
論文は「葫蘆島100万日本僑民大送還60周年を記念する:人道主義の一大記念碑」と題するもので、さらに次のように述べている。
1945年8月15日、日本は敗戦、降伏を宣言した。46年5月7日、2489人の在留日本人を乗せた2隻の船が葫蘆島港を離れ、「葫蘆島100万日本僑民大送還」が正式に始まった。3年間に葫蘆島から送還された日本人居留民・捕虜は105万1047人に上った。
日本の降伏前、関東軍司令官は「帝国復興のため、少しでも多くの日本人を中国大陸に残留させる」という復興計画をたてた。日本政府はこれら自国の残留民をいつの日か中国に捲土重来するための地下先遣隊にすることを企て、彼らに対する「棄民」政策をとった。この政策の下で、中国東北に残留した日本人は非常に困難な境地におかれ、敗戦後の潰走の過程で自殺、餓死、病死した人は17万4022人に達し、うち「開拓民」の死者は7万8500人を数えた。幸いにも生き残った在留日本人は、大多数がハルビン、長春、瀋陽など大中都市の難民収容所に集まり、苦しみの中で帰国を待っていた。
大送還には中華民族の度量の大きさと人道主義の精神が現れている。日本軍国主義が起こした侵略戦争は、中華民族に悲惨極まりない災難をもたらした。しかし抗戦に勝利した中国人民は、日本人居留民と捕虜を大海のような民族的寛容さで取り扱い、寛大な人道主義の精神で彼らが無事帰国するのを助けた。
60年の歳月が流れ、かつての日本人居留民・捕虜で、存命の人もみな古希の老人になっている。しかし彼らには日本軍国主義による中国侵略戦争が両国人民に与えた被害の記憶はなお新しく、かつて中国人民から与えられた無私の援助は忘れがたい。大送還で帰国した日本人にとって、葫蘆島は自分が再生した土地である。彼らは映画をとったり、回想録を書いたり、中国に命の恩人を訪ねたり、寄付によって中国の貧しい子供の学業を助けたりして、中国人民から受けた恩に少しでも報いようとした。
かつて葫蘆島から帰国した日本人居留民、捕虜一人一人の心には色々な話が深く刻まれているが、それらはすべて一つのテーマで貫かれている。すなわち、決して戦争の悲劇を繰り返してはならない、中日両国人民は子々孫々友好を続けなければならない。
葫蘆島は歴史を映す一つの鏡である。それは、日本軍国主義が起こした侵略戦争で中日両国人民は仇のようになったが、中国人民が血を流して抵抗し完全な勝利を収めてはじめて、両国人民は再び仲良くなったことを教えている。それはまた、今日の中日平和・友好の局面は容易に得られたものではく、それだけに両国人民はこれを大切にし、侵略戦争の名誉回復をはかろうとする勢力や思潮を共同で食い止め、中日ひいては世界の平和と繁栄が永続するすばらしい未来を共に築くべきことを教えている。
中国駐日本国大使館より 2006/06/26
|