特集:庶民派宰相 温家宝新総理

天津の下町育ち

 温家宝・新総理が小中学生時代を過ごした生家を、南開区達摩庵前胡同に訪ねた。

 隣家の人たちは「温家宝総理の両親は小中学校の教師で、子供は3人。暮らしは豊かでなく、家具もなく慎ましやかな暮らし振りでした」と振り返る。少年・温家宝は聡明で成績がよく、なんでもしっかりできる子供――。これが近所の人たちの印象だった。

 上京して中央で仕事をするようになってからも何度もこの下町に帰省して両親を見舞い、近隣の年長者を訪ね、世間話をきさくに楽しんだ。近所の人たちにとってはいつまでも隣家のせがれ。役人風を吹かすことなどは1度もなかった。

名門、南開中学

温家宝少年が通学した天津市旧市街の達摩庵前の胡同

 天津の旧市街に育った温家宝が入学した鼓楼西小は、もう元の場所にはない。1954年から1960年にかけては南開中学で中学生活を送った。1904年に開校した同校には、周恩来も1913年から1917年にかけて在学。一中学が2人の総理を輩出したのはまれな例だ。

 南開中学の張伯苓・初代校長は46年間在職し、教育救国を提唱し、南開精神をはぐくんだ。その南開中学のモットーは(1)体育の重視(2)科学の提唱(3)団体組織(4)道徳訓練(5)救国の力の育成――の5点。6代目校長の康岫岩・現校長もこう語る。「愛国心や、民衆とともに楽しみ労働を敬う道徳観、科学の尊重、発展の追及、社会奉仕の責任感、これこそが南開中学の特色で、わが校の人文精神を鍛え上げた」と語る。

 統計によると、南開中学は100年近い歴史の中で、周恩来(1917年卒)、温家宝(1960年卒)の2人の総理、鄒家華副総理(1941年卒)のほか、全人代常務委員会副委員長4人、全国政協副主席5人を輩出。温家宝は1984年に記した「永久に耀く南開精神」と題する文章で、南開時代の6年間の生活について「深く脳裏に刻まれた南開精神は、仕事や生活にたゆまず励めと私を鼓舞し続けている」と語っている。

母校を思う気持ち

温家宝が1994年春に母校に贈った書「南開永遠年青」。今は教学実験楼に掲げられている

 温家宝は子供のような素直な気持ちで母校を思い、その発展に心を寄せている。1990年以降の3回にわたって母校を訪問しているが、地方指導者や学校指導者を驚かせないよう、時には当直の衛士だけを伴って静かに訪れている。

 同校で学んだ李溥さんは3回目の母校訪問の情景を今もよく覚えている。

 2002年9月26日夜10時ごろ。1台の自動車が校内に滑り込み、車内から濃い色のジャケットを羽織った温家宝が出てきて学校の当直に言った。「卒業してからもう40年以上たった。今日は校内を見に来ただけだから、他の人たちに電話して驚かせてはいけない」

 母校の後輩たちはちょうど夜の自習を終えて宿舎へ帰ったところ。温家宝は204号室へ入ると、気づいた高1の2班の生徒3人が直ちに起立、拍手して歓迎。温家宝は「座って、座って、座って」と、手を振って座らせるや、自分も部屋の入り口近くの椅子に腰を下ろして、親しく歓談し、微笑を浮かべて尋ねた。「1部屋で何人生活しているのか」

温家宝が高校時代を送った平屋宿舎。別の部屋には周恩来が寄宿した

 「8人です」

 「私のころは、みな平屋に住んでいたなあ。私は204号室だったから、この部屋に愛着を感じるんだ」

 温家宝は1人の生徒にさらに尋ねた。「出身はどこ」

 「張家口です。彼らは河北、山東です」

 「君たちは」別の生徒にも尋ねた。

 「承徳です」と生徒は答えた。秦皇島、ケイ台などと自ら答える生徒もいた。

 学生たちの答えを聞いて温家宝は言った。「よし、南開は大いに発展したな。四方八方から英才たちが集まった。しっかり勉強して将来は国のために尽くしてくれよ」

 生徒たちと言葉を交わした時間はおよそ5分間。夜10時10分ごろになり、温家宝は生徒に消灯時間を尋ねた。10時半と聞いて言った。「わかった。ゆっくり休んでくれ」

 宿舎を後にした温家宝は、当直のテキさんの付き添いでキャンパス内を歩き回りながら、当時の恩師たちの近況をたずねた。また、同席した職員たちに、康校長によろしく伝えるよう頼んだ。この訪問で温家宝は当初、校外から歩いて来ることを希望したが、警備上の理由で車での訪問になったという。

          (「人民網日本語版」より)2003年3月17日