微生物を利用し、汚水浄化に取り組む 2000年は、馮坤範さんにとって飛躍の年となった。 馮さんが、企業家として環境問題に取り組み始めたのは95年。上海玉壘環境生物技術有限公司を設立した。微生物を培養し、汚水浄化やゴミ処理、臭気除去などに利用する技術を売り物としている。 当時彼女は、琉球大学博士課程の大学院生。二足のわらじをはきながらのスタートだった。98年、博士号取得と同時に帰国してからは、企業家として寝食を忘れて走り続けてきた。 日本で学んだ技術には、自信がある。しかし、周囲の空気は経済重視で、環境問題にまで目が向かない。悶々とした時間が続く。 ちょうどこの頃、「二悪英(因)(アールオーイン)汚染」という言葉が連日、テレビや新聞を賑わすようになった(二悪英とは、ダイオキシンの訳)。99年6月、中国政府がヨーロッパ諸国のダイオキシン汚染食品の輸入、販売を禁止する通達を出したのだ。 また、その数ヶ月前から、上海では「豚肉が危ない」という噂が、風が駆け抜けるように広がっていた。精肉企業や販売業者は、自社の肉は「放心肉」(安心できる肉)とさかんに主張したが、市民の買い控えを止めることはできず、市場価格のは500グラムあたり、二、三元(1元は約13円)は安くなった。 「噂は、本当でしょう。危ない肉が多くなっていますから。でも、市民のなかには、値段が安ければ、それでいいと考える人もいますし、食品の安全性への関心もまだまだ高いとは言えません。しかし、あの時の政府の通達が、欧米の商品への盲信を多少とも糾す役割を果たしたのではないでしょうか」 社会が少しずつ動き出した。 「環境問題改善のためには、行政の力が必要」と、上海市の関係部門へ再三行ってきた提言にも耳が傾けられるようになってきた。 99年末には、市の承認を受けて市内を流れる蘇州河の生態系整備の実験を開始。2000年7月には、半年以上をかけた長期の実験にも成果が出た。今後、市の正式な委託を受け、本格的な生態系整備のためのプロジェクトに取り組んでいくことになる。 看護婦から医師、環境問題へ方向転換 馮さんは日本留学前、医療の現場にたずさわっていた。上海医科大学付属看護専門学校で看護婦の資格をとった後、看護婦をしながら夜間大学に通って医師免許を取得した。88年からは、東京の日赤看護大学で特別研究生として4年在籍した。祖国に戻り、看護大学の教師になるためだった。 しかしその後、長寿の地・沖縄に興味を引かれるようになり、琉球大学大学院医学研究科へ進むことになる。この頃の関心は、あくまで医学にある。彼女を環境問題へと向かわせることになったのは、ある日本人の一言だった。 「あなたの国の蘇州河はあんなに臭いのに、中国人はその水を飲んでいるじゃないか。あなたたちには免疫力があるんだから、これも食べられるでしょう」 そう言って、賞味期限の過ぎた食品を手渡してきたという。 彼の言葉は真実ではないが、心ない言葉にショックを受け、結果的にはこの一言が彼女を奮い立たせることになる。博士課程からは、専攻を環境生態系へ転じた。 「中国は改革開放以来、外国からの先進的な技術や商品がどんどん入ってきて、社会は発展をしてきました。しかし一方で、経済を重視するあまり、環境を悪化させるものさえも輸入してしまったのです。医師として病気を治すことも大切ですが、病気にさせないために人間を取り巻く根本的な環境づくりが、それ以上に大切だと考えたのです」 人々の意識を変えていくために 昨年、彼女の会社が取り組んだ生態系整備の実験は話題となり、テレビのドキュメンタリー番組や雑誌などで紹介された。自社の微生物研究所も昨年8月、政府の認可が下りて開設した。市のゴミ問題にも参画し始めており、各方面からも多数招請がかかるようになった。教壇に立つ機会が増えたほか、他の微生物研究者らとの共同研究にも参加するなど、活動範囲はどんどん広がっている。 「今はまだ、環境問題がどれほど深刻なものかを知らない人が多いのですが、本来中国人は健康に気を配ってきた国民です。環境問題が人間の健康にどのような影響を与えているのかを知る機会が増えれば、人々の意識は変わっていくはずです。だから今後は、教育にも力を入れていきたいと思っています。だって、環境問題の解決は、一人でできることではありませんからね」 そう、馮さんは話す。「まだまだ儲からないんだけど」と、苦笑する彼女だが、その顔は充実感にあふれている。 苦しい助走を続けた数年間。2000年で舞台は整った。さらに加速をつけて、彼女は新世紀を走り出している。(2001年1月号より) [馮さんのプライベート] ◆マイブーム…古筝の演奏 [筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生 |