縁あって中国という地にいるのだから、何か中国に役立つことをしたい――。 そんな思いから、上海でボランティア活動を行う日本人グループがある。「互人多」と書いて、フレンドと読む。中国語の発音を当て字にしている。1997年4月、上海日本人学校のPTA活動で知り合った女性五人が集まって始めた。 「一時的なものではなく、継続的にできるものはないかと考えました。でも当初は、一体何をしたらいいのか、何ができるのか、全然分かりませんでした。いろいろと調べるうちに、私たち自身が子供を中国で育てていますから、やはり子供が一番大事という結論に達し、『希望工程』を通じて、中国の子供たちの支援をしていくことに決めました」 そう、「互人多」事務局メンバーの進士薫さんは振り返る。 「希望工程」は、中国が1989年から全国的に展開している民間教育支援プロジェクトで、経済的理由から学校に行けない子供たちへの支援や貧困地区への学校建設などに取り組んでいる。 手作りの活動を続けていきたい グループを結成して二カ月後、ガレージセールを行う。趣旨を伝えると、上海在住の日本人から本や衣類などが寄せられ、1万8000元(1元=約14円)の収益金が上がった。引き続き、チャリティのボウリング大会やテニス大会などを企画。活動を始めて一年で8万元の資金が集まると、上海希望工程弁公室と相談したうえで、雲南省昆明市郊外にある四校に校舎修復費として寄付した。一校あたり2万元あれば、老朽化が激しく倒壊の危険のある校舎を改築できるのだという。 やがてグループ内には、「資金集めに時間がかかったとしても新しい学校一校を建設するほうがいいのではないか」という意見が高まっていく。一校の建設費用20万元を集めることが、「互人多」の新たな目標となった。 20万元は、日本円で三百万円近い。これをすべて手作りの活動のなかから生み出していくのは、簡単なことではない。彼女たちの活動を評価する中国人から、「上海の日系企業から寄付してもらえば、すぐに資金は集まるのでは」と言われたこともあるという。 「企業から寄付を募れば、お金はもっと簡単に集められると思いますが、それでは私たちが手作りで行っている活動の意味がなくなってしまうと思うのです」(同事務局・結城玲美さん) 20元達成!待ち望む新校舎建設 5人から始まったグループは、2000年末現在で会員は約百六十人にまで輪が広がった。グループの基本方針は、「やれる人がやれることをやる」「無理のない活動」。だから、一カ月10元の会費を納入するだけでもいいし、会員ではないが行事があれば協力を申し出てくれる人もいる。 事務局にたずさわっているからと言って、こうしなければいけないという義務もない。一人一人の自主性に任されているのだ。 上海の前は、ボランティアが根付いている米国に住んでいたMさんは、「自分ができるだけのお手伝いができる、というのがいいですね」と話す。核のメンバーになって3年近くになるSさんも、「雰囲気が堅苦しくないんです。中国の役に立ちながら、私自身にもお友達ができるし、自分の知らないことも学べる」と楽しそうだ。 ほとんどが駐在員である夫の帯同で来た女性で、3〜5年のサイクルで上海を離れていく。人が入れ替わりながらも活動が続いている秘訣は、この柔軟性なのかも知れない。 彼女たちの柔軟性は、イベントの企画にもいかんなく発揮されている。美容講習会から始まって、フィンランド、タイ、メキシコなどの各国料理教室や手芸講座…。そのほか、絵画鑑賞や中国アンティーク家具の基礎知識を学ぶ講座など、バラエティに富んでいる。 自分たちのネットワークをフルに活用して講師を招く。例えば料理教室なら、他国の駐在員夫人を講師にその国の本場の料理を教えてもらう。会員のなかには語学堪能な人もいるので、さっと通訳を買って出てくれる。適材適所にうまく回っている。 また、年各二回行うチャリティコンサートや古本市は、会員以外の在住日本人からも心待ちにされるイベントだ。日本の古本屋よりも安く手に入るとあって、古本市は毎回人いきれがする。コンサートも、日頃から木蘭拳や二胡、フラダンス、コーラスといったサークル活動に参加している人たちにとっては、またとない発表の場となっているようだ。 ボランティア活動を通して、友達の輪を広げ、戸惑うことの多い海外生活も楽しんでしまおうという「互人多」のメンバーたち。目標だった20万元も達成し、「互人多」と名のついた新校舎が建つ日を待っている。((2001年3月号より)) [筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生 |