ファッション誌激戦地・上海 上海はいま、ファッション誌の戦国時代を迎えている。海外有名雑誌の中国版に加え、国内各都市で次々に創刊されるファッション誌……。張培華さんは、創刊三年の人気ファッション誌『大都市(METROPOLIS)』の編集者である。得意の語学と筆力を買われて、同業他誌から移ってきた。 仕事は、特集企画やインタビュー取材、執筆者への原稿依頼など。そのほか、『VOGUE』や『BAZAAR』といった外国誌から世界のファッションの潮流をつかみレポートを書くのも、語学堪能な彼に期待されている重要な仕事だ。 「毎月、外国のファッション誌を読んでいますからね、それらと比べると中国のファッション誌はまだまだです。ファッションと言えばブランドですが、中国のものはファッション誌でありながら、ブランド情報がとても少ないのです。編集者として、時に矛盾を感じます」 なるほど同誌を見ると、ファッション情報以外に、人物インタビューや仕事、生活分野にもかなりの誌面を割いており、ビジュアルよりも活字量が多いという印象だ。 『大都市』の発行部数は現在、十五万部。ファッション誌としては、上海ではナンバーツーの地位にある。編集部の目標は、上海でトップを走るフランスの『ELLE』誌中国版からナンバーワンの座を奪うこと。自誌のプレステージをどう高めるか、張さんも外国誌や読者ニーズの研究に余念がない。 教師、貿易会社を経て雑誌編集者に 篤学の人とは、張培華さんのような人を言うのだと思う。上海に編集者多しといえども、英語が堪能なうえに、日本語もできる編集者はそうはいない。さらに驚くことに、英語も日本語も独学だという。 安徽省出身の彼は、高校卒業と同時に上海へやってきた。最初から雑誌編集者だったわけではない。編集者になる前は、英語教師、貿易会社社員をしていた。大学には行っていないが、働きながら日本の大検にあたる「自学考試」で「大専」(三年制の短大のようなもの)卒業の資格をとった。今年、大卒の資格を取得する計画で、勉強を続けている。 張さんのとどまるところを知らない向学心は、子供の頃の活字に飢えた記憶があるからなのかも知れない。六歳で技術者だった父を失った彼は妹二人とともに、農業を営む母に育てられた。 「うちは田舎で貧しかったですから、子供の頃、本が読みたくても読む本がなかったのです。学校に図書室? そんなもの、ないですよ。あの頃の僕には時間はたくさんあるのに、本というと教科書しかありませんでした。逆に、いまは本はいつでも手に入るのに、読む時間があまりとれなくて残念です」 一人暮らしのアパートの部屋には、大きな本棚がふたつ。二千冊あまりある。一番好きな作家・魯迅の全集も並ぶ。本棚に入りきらなくて、本棚のうえにはダンボール箱がいくつも積まれていた。張さんが上海に来てから十四年の間に、一冊一冊を吟味しながら買ってきた大切なものだ。 「毎晩一時すぎまで原稿を書いたり、本を読んで過ごします。翌日、寝坊して遅刻してしまうこともよくある」と、苦笑する。 どんなに忙しくても本を読む。来月号の原稿を校了した後、彼が真っ先に行く場所も本屋だ。 もうひとつの顔は作家のタマゴ 雑誌編集者として時間に追われる張さんのもうひとつの顔は、作家のタマゴ。忙しい本業のかたわら、随筆や小説を書き続けている。『小説界』『萌芽』『文学報』『新民晩報』『申江服務導報』など、定期的に寄稿している新聞・雑誌は多い。最近は外国小説の翻訳も手がけており、『外国文芸』で町田康の作品も紹介した。 「そもそも僕が語学を勉強しようと思ったのは、教科書でフルーベルの作品を読んでからです。外国の小説を翻訳ではなく、ナマで読みたいと思ったからです。それで、まずは英語を習得し、次に日本語を勉強したのです」 日本人作家では永井荷風や芥川龍之介、新しいところでは桐野夏生や浅田次郎も好きだという。 昨年から三つ目の外国語、フランス語にも取り組んでいる。中国語で書かれた教科書では面白くないからと、英語で書かれたフランス語の文法書を読む。 「三年後には、フランス語の原書を読めるようになっているはずです(笑)」 大卒の資格をとったら、大学院にも行きたいと思っている。もちろん、文学を専攻するつもりだ。 作家・張培華の名を目にする日は将来、必ず来るのではないかと思う。その時、外国の文学界との懸け橋となっている彼の姿が想像できる。(2001年4月号より) [張さんのプライベート] ◆マイブーム…フランス語の勉強。 [筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生 |